第29話 焦熱のジャルディーン

 翌朝。ユーキとスツェリは物凄い距離を取っていた。


「どうしたんだ」

「あれでしょ、冷静になったらめっちゃ恥ずかしくなったんでしょ」

「顔真っ赤だなあ」


 彦三郎たちは言いたい放題言いながら朝食を摂る。話題にされている2人が怒りそうなものなのだが、お互いに恥ずかしさが怒りを上回っており、何も言い返せなかった。


 食事を終えたら出発であるが、その前にユーキとスツェリは"準備"をしていた。


「これくらいならどうかな。ユーキくん?」

「はーい」


 ユーキは馬の背の鞍に跨り、鐙に足をかける。2,3度鐙を踏み、長さがちょうどいいことを確かめると、馬の横腹を足で軽く押した。

 命令を受けた馬が、ゆっくりとした常歩なみあしで進み始める。ユーキが手綱を操れば、馬は少し加速して速歩はやあしになる。

 ユーキは馬の横腹を蹴り、上体を少し前へ倒した。それを受けた馬が足を早め、駈歩かけあしになる。重い馬蹄の音が荒野に響き渡る。更に馬は加速、トップスピード、襲歩しゅうほへ突入する。


 最高速で走る馬の背で、ユーキは手綱から両手を離した。鐙にかかった足裏と鞍を挟む太腿だけでバランスをとる。上体を起こし、左手の弓を起こし、右手の矢をつがえる。狙いは正面の岩。

 弦の音が鳴り響いた。すれ違いざまに放った矢は、岩に深々と突き刺さっていた。


 ユーキは手綱を引く。馬が疾駆を止め、徐々にスピードを落としていく。スツェリの所へ戻ってくる頃には、ゆっくりとした常歩に戻っていた。


「どうだった?」

「うん。いい感じ。ありがとう、スツェリさん」


 呼びかけたスツェリに、ユーキは馬上から礼を言った。


 ユーキが乗っているのはイフリートの若武者が乗っていた馬だ。馬車まで戻るためにスツェリが奪ったのだが、立派な馬だったのでユーキが乗ることになった。

 ただ、ユーキには不釣り合いな大柄な馬だったので、鐙や手綱などの馬具を調整する必要があった。それが"準備"だ。スツェリが調整したお陰で、騎射ができるほど乗りこなせたようだ。


「いやしかし……本当に馬に乗ったまま使うんだな、その弓」


 改めてユーキが持つエルフ式和弓カマクラン・ボウを見る。ユーキの背丈の倍はある巨大な弓だ。普通の馬上弓と比べれば4倍以上はあるだろう。

 それを当然のように使い、疾駆しながら岩に当ててみせた。これがカマクランの常識だというのなら、確かに脅威という他ない。


「まだちょっとバランスが悪いけどね。今は無理して引いてる」

「そこはまあ、仕方ないな。エルフは馬に乗らないし、どう作ればいいかわからなかったんだろう」

「しょうがないかあ」

「まあ、移動手段が増えるだけでも便利だろう。それともキミが馬車に乗るか? そしたら私がそっちに乗るが」

「……こっちにする!」


 そういう訳で、スツェリの馬車にユーキの馬が並んで旅を続けることになった。


 一行は領軍の目を欺くために、街道を避けて荒野を行く。荒野ではデスワームやジャイアントスコーピオンなどの魔物が襲ってくるが、見つからないためには我慢するしかなかった。それに、大抵の魔物はユーキが馬を駆けさせて仕留めてしまうので、問題にはならなかった。


「これなら焦熱伯に見つかる前に、平坂府に逃げ込めそうだな」


 ひとまず順調な旅に、スツェリはほっと胸を撫で下ろす。


「そういえばさあ、その焦熱伯って何者なの?」


 隣の馬に乗ったユーキが訊いてきた。


「うん? ジャルディーン・バルザフ伯爵だ。前にも話したと思うが、東都バルザフに住むイフリートだな」

「その伯爵っていうのがよくわからないんだけど、どれくらい偉いの?」

「どれくらいって言われると……そうだな。まず、この魔王国では魔王が一番強くて偉い。これはわかるな?」


 ユーキが頷く。


「その次に強くて偉いのが六大公だ。森を抜ける前に会ったトゥー・世忠シーフォンが強壮公ドゥルジに仕えていると言っていただろう? あれも六大公の一人だ」


 強壮公ドゥルジ、爆発公タローマティ、屍山公マナフ、焦枯公タルウィ、飢渇公ザリチュ、そして破壊公サルワ。魔王から直々に公爵の座を授けられた彼らは、『六大公』と呼ばれている。

 このうち、タルウィとザリチュは魔寇でカマクランに襲われて魔王もろとも死亡。タローマティは「好かれるやつほどだめになる」と言い残して引退した。なので実は現在『三大公』なのだが、長年の習慣から『六大公』と言われ続けている。


「六大公の下が侯爵だ。魔王を補佐する大臣や親族が任命される。これは偉いが強くない。政治や血縁でなる地位だからな」


 もちろん鍛えている侯爵もいるが、立場上戦場にあまり出ないので、本職と比べるとどうしても劣る。

 それでも彼らがいなければ魔王国の統治は成り立たないので、偉いことには変わりない。


「そして侯爵の下にいるのが伯爵だ。ここにいるのが焦熱伯ジャルディーンだな。多くの領土や都市を支配しているし、有事の際は周辺の子爵や男爵を指揮することもある。

 この前の吸血鬼……パヴェレツ子爵だったか。あれに命令できるくらい偉いと考えてくれればいい」

「結構偉いねえ……で、強さは?」

「強いのもいれば弱いのもいるというか……政治で活躍して伯爵になった魔族もいれば、軍を率いて活躍したのもいるからな。一口では言えない」

「そっかあ。それじゃあ、その『焦熱伯』って言うのはどれくらい強いの?」


 ユーキの問いかけに、スツェリは腕を組んで唸った。


「多分、『六大公』の半分以上に勝てる」

「えっ」


 今までの説明がすべてひっくり返る答えだ。


「いや、ジャルディーンは伯爵の中でも別格でな。魔王国に征服された国の王族の末裔なんだ。それで魔王が警戒して、伯爵の地位に留めていたらしい。そうでなければ六大公の座は間違いなかったとか、一騎討ちなら魔王にも勝てるとかいう噂が流れているくらいだ。

 おまけに率いている軍勢も精強で大勢いる。この前の異世界侵攻では3000人を率いて、大勢のカマクランを討ち取ったらしい」

「うわあ……」


 さすがのユーキもこれには表情を強張らせるしかなかった。


「焦熱伯が直々に出張ってくることは無いにしても、100人単位で追手を差し向けられてはどうしようもない。だからさっさと平阪府に入りたいんだよ」


 スツェリの話を聞いたユーキは、不安に駆られて後ろを振り返った。なだらかな丘が続く荒野の向こうに、不吉な砂嵐が立ち上っているのが見えた。




――



 東都バルザフ。オーガも見上げる高さの城壁に囲まれた一万人都市。どの道路にも衛兵が巡回し、武具や食料がひっきりなしに運び込まれ、完全武装の騎士たちが従者を引き連れて闊歩している。魔王国東部を侵略するカマクランを迎撃するための戦時体制だ。

 このバルザフの中心には石造りの館が建っている。他のどの建物よりも巨大で堅牢な建築物だ。内部も金銀宝石ミスリルなどの貴金属と、魔界各地から集められた宝物で飾り付けられている。

 商人ならば思わずその価値を計算してしまうであろう豪奢な内装に囲まれて、しかし蛙人間フロッガーの奴隷商アーダマは一桁の計算もできないほど緊張していた。


「顔を上げよ」


 言われるがままに、跪いたアーダマは顔を上げる。

 眼前には、椅子に腰掛けるイフリートがいた。熱した鉄のように赤い肌の上に、黒地を金糸と宝石で飾り付けた服を纏っている。髪は燃え尽きた灰のように白く、その間から黒い2本の角が生えている。

 東都の主。精霊王国の末裔。"焦熱伯"ジャルディーン・バルザフ。

 金色の目が険しい視線をアーダマに投げつけた。


「貴様がアーダマか」


 豊かな髭と、その下の牙が動き、地鳴りのような声が響く。


「は、ははっ! アーダマ商会の会長、アーダマと申します!」


 アーダマは震え声で答えた。それから、ジャルディーンの返事を待つ。商談ならば口は回る。しかし今日、アーダマはなぜここに呼ばれたのか聞かされていない。

 『奈落の大橋』で奪われた奴隷の事を知らせた後、アーダマたちは長旅の疲れを癒やすため、ひとまず東都で休んでいた。すると伯爵家の使いがやってきて、アーダマに館へ来るよう知らせてきたのだ。


 身に覚えのない呼び出しであった。逃亡奴隷ごときで伯爵直々に面会するはずがない。ならば別の要件だろう。

 税金はきちんと納めている。賄賂も欠かしていないから、不正が咎められる心配もない。ならば奴隷の売買かとも思ったが、今までの商談で伯爵が直々に面会することはなかった。資産家でもあるジャルディーンが借金を頼むこともない。


 呼ばれた意味がわからない。だからこそアーダマは恐怖している。何しろ相手は焦熱伯ジャルディーンだ。100人を一息に焼き尽くせるほどの力を持つ。下手に機嫌を損ねれば、アーダマなど消し炭も残らないだろう。

 一体何が目的なのか。アーダマが戦々恐々していると、ようやくジャルディーンが口を開いた。


「奴隷を扱っているらしいな」

「はい……はい? はい、ええ、そうですが……」


 意外な話題にアーダマは目を丸くする。まさか、わざわざ呼びつけての商談なのだろうか。


「『奈落の大橋』の守備隊長から話は聞いている。お前が取り扱っていた奴隷が奪われて、こちらへ向かって逃げているかもしれない、と」

「いや……ええ、確かにそうですが」

「なぜ、余に知らせなかった?」

「はい? それは、その、このような些事、わざわざ閣下のお耳を煩わせるほどの事ではありませんので……」


 馬車で血の森やドラゴンの巣を越えられる訳がない。つまり橋の守備隊長が仕事をすればいいだけの話で、わざわざ伯爵に知らせる必要はない。現に、今まで何度か逃亡奴隷を出しても、せいぜい役人が来るだけで伯爵から直接質問される事は無かったのだ。


 困惑するアーダマを差し置いて、ジャルディーンは指で合図を出す。すると、壁際に控えていた使用人が出てきて、赤い布を広げた。マントのようだ。金と銀の糸で精細な刺繍が施されているが、赤黒く乾いた血でべっとりと汚れている。


「我が息子、ベイルゼムが討たれた」

「えっ!? それは……その……お悔やみ申し上げます」

「このマントを持ち帰った近衛兵が言っていた。東のカマクランに砦を落とされて撤退中、カマクランの奴隷を乗せた馬車に遭遇して討たれたとな。

 その馬車には、アーダマ、貴様の商会の紋章が描かれていたそうだ」


 ここでようやく、アーダマは事の重大さに気付いた。


「おま……お待ちください閣下!? それは奪われた奴隷であって、決して私が命じてご子息を待ち伏せした訳では……!」

「たかが奴隷ごときが、ワーウルフの近衛を殺し、我が息子を討てるとでも思うたか? 貴様は奴隷に扮したカマクランの戦士にまんまと騙されて、我が領内に引き込んだのだ……!」

「いや、あれは本当に奴隷で」


 アーダマの反論は消し炭になった。ジャルディーンの炎が、アーダマの頭ごと一瞬で炭化させたからだ。

 首を失ったアーダマの体が倒れる。焼け焦げた首の断面から吹き出したか血が、余熱で蒸発して血煙となる。


「片付けろ」


 使用人がアーダマの死体を運んでいく。入れ替わりに、鋼鉄の鎧を身に纏ったタイタンが謁見の間に入ってきた。


「追撃隊1000人、編成を終えました」

「ご苦労。城の守りはお前に任せる」

「カマクランが本格的に攻勢を仕掛け、南のエルフも動きを見せている今、閣下が東都を出るのはどうしても賛成できませんが……」

「くどい。愚行なのは承知の上よ。だがな……」


 ジャルディーンとて、魔王に警戒されながら伯爵の座まで登り詰めた男である。事情はおおむね把握している。カマクランの奴隷が間者などではないことも、ベイルゼムが討たれたのが不幸な偶然であることも理解している。

 それでも。


「息子を討たれて敵討ちに行かない親がいるものかよ……!」

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