第28話 斑の結城
戦場から逃げたスツェリたちは東に進みつつ、街道から大きく離れた岩山の影で野営をすることになった。
昨日の夜にグゼルと戦い、休む間もなく騎士と戦ったから、ユーキもスツェリもへとへとに疲れていた。
彦三郎たちはすっかり旅慣れたもので、スツェリに指示されなくても近くの枯れ枝を集めて焚き火を起こし、夕食を手早く準備してくれた。
今日の夕食はエルフの村でもらった平パンと、野菜の漬物だ。ただの保存食だが、元々の素材が良いのでおいしい。
焚き火の側に生首が置かれているのにも慣れたものだ。スツェリがアンデッド避けの呪文を唱えているから、化けて出る心配もない。
ちなみに今回の兜首は角と牙が生えた赤い鬼、イフリートの若武者だった。火炎魔法を得意としていたのも、イフリートの種族としての特質だったのだろう。
「東部を支配している焦熱伯ジャルディーンもイフリートだ。同族のよしみで騎士になってもおかしくはないだろう」
漬物をかじりながらスツェリは説明する。それを聞いた彦三郎は、不安げな表情を浮かべた。
「あの……そしたらこいつ、領主の一族なんじゃないですか?」
「いや、それはないだろうな。一族にしては兵士が少なすぎる」
遠い親戚でも50人は警護の兵士をつけるものだ。さもなければ、伯爵としての威厳に関わる。
「ただ、騎士が討たれたとなれば伯爵も警戒するだろう。早く平坂府に向かわないとな」
スツェリはポリポリと漬物をかじる。あの場の兵士は全滅させたが、いつ死体が見つかってもおかしくはない。まずいような気がするが、だからといって今から死体を埋めに行くのもバカバカしい。疲れが酷くて考えがいい加減だ。
「あの、姐さん」
「うん?」
隣の彦三郎が声をかけてきた。
「今日の見張りは俺たちがやりますよ」
「どうした急に」
「いや、だってめっちゃ疲れてるじゃないですか」
「そんなにか?」
「それ俺の漬物ですよ?」
スツェリは自分の手を見た。食べかけの漬物がある。
続いて自分の皿を見た。食べかけの漬物がある。
隣の彦三郎の皿を見る。漬物がない。
「ごめん、返す」
「食いかけを返されても……。いやそれより、見張りをする代わりにお願いがあるんですけど」
「お願い?」
彦三郎は何も言わず、そっと視線を横へ向けた。
その先にはユーキがいる。焚き火の光に照らされながら、食事もせずにじっとイフリート生首を見つめている。戦いは終わったというのに張り詰めた空気が抜けていない。そのせいで、奴隷たちはユーキから距離を取っている。
そういえば騎士に遭う前、いやそれ以前、ヴァンパイアのグゼルに襲われた時から様子がおかしかった。首を獲った興奮が落ち着いて、混乱が戻ってきたのだろうか。
これをどうにかするのは、確かに彦三郎たちには荷が重い。スツェリは彦三郎の目を見て、力強く頷いた。
食事が終わり、片付けと就寝の時間になった。結局ユーキは食事には手を付けず、いつものように焚き火から離れた所にうずくまった。
「ユーキくん」
そこにスツェリは声をかける。大太刀を抱えて眠ろうとしていたユーキは、僅かに顔を動かした。
「なあに? 見張りはいいの?」
「今日は彦三郎たちに任せた」
「下人に見張りを任せて大丈夫なの? 寝首を掻かれない?」
「寝相に何の関係があるんだ?」
「え?」
「うん?」
お互いに首を傾げる。それからスツェリは、食い違いに気付いた。
「あー、『寝首を掻かれる』というのはな。デュラハンの言葉で『寝相が悪くて首が転がる』という意味だ」
「そんな簡単に外れちゃうの……?」
「まあ、うん。カマクランだと『寝首を掻かれる』とはどういう意味なんだ?」
「不意打ちで殺される」
「だいぶ直接的だな」
おおむね物騒な意味だとは察していたが、思った以上に物騒だった。
それからスツェリは、手のひらに抱えた熱を思い出す。
「いや、言葉の話よりも、これだ」
スツェリは木の器を差し出す。中には干し肉と豆のスープが入っている。ユーキのために作ったものだ。
「少しは食べなさい。お腹も空いているだろう」
「……食べる気しない」
「食べないと死ぬぞ」
スツェリの言葉を聞いたユーキは肩を震わせ、スープを受け取った。本人は気付いていないが、温かいものを食べて顔が少し緩んでいた。
様子を見計らって、スツェリは声を掛ける。
「どうだ。生きてるって感じがするだろう」
ユーキはちらっとスツェリの方を見て、それからスープに視線を戻した。
「あんまり」
「そうか? さっきよりもいきいきとした顔だが」
言われて、ユーキは表情を引き締める。今更キリッとしても遅い。その様子がまた可愛らしい。
「なんだよ」
「いや、かわいいなーって」
「うっさい」
ユーキはまたスープを一口。ちょっと怒らせてしまった。
よくない。スツェリは自戒する。真面目な話をしようとする度に、どうしてもユーキの可愛さを理由に逃げてしまう。ユーキを守ると決意したのに、相変わらずこの臆病さは治らない。
いい加減、腹を括って見つめるべきだ。ユーキに抱いている違和感を。
「なあ、ユーキくん」
「なに?」
「可愛いのは間違いない。いきいきとしてる、それもわかる。その上でひとつ、確かめたいことがあるんだが」
「だから何?」
「……抱きしめてもいいか?」
「は?」
ユーキは驚いた様子でスツェリの顔を見た。
「真面目な話じゃなかったの?」
「真面目な話なんだ。その、デュラハンとして、
嘘でも下心でもない。素質のある一部のデュラハンは、相手に触れることで魂の有無や状態を探ることができる。ユーキの魂にグゼルが何か仕掛けたなら、それもわかる。
「……スツェリさんなら、いいけどさあ」
そう言うと、ユーキはスツェリに背を向けた。
「背中から?」
「前からだと恥ずかしい」
その様子に胸が高鳴る。スツェリは深呼吸して心を落ち着かせる。十分に集中してから、ユーキの首にそっと腕を回し、体を密着させる。
互いの服の布地越しに、微かな体温が伝わってくる。ひんやりしている。スツェリよりも少し低い。
その奥に痺れるような感触がある。友好的なものではない。呪い、あるいは怨念。負の感情だ。ユーキの魂はその先にある。だが、迂闊に近付けば傷付くだろう。
それでも逃げるつもりはない。ユーキに何が起こっているのが知りたい。少しでも力になってあげたい。
負の力のヴェールを慎重にくぐり、意識をユーキの更に奥へ、魂へと近付ける。
見つけた。無数の手足だ。ユーキの中から生えた手足が、ユーキ自身を捕らえている。いや、手足がユーキを形作っているのだろうか。
瑞々しいものもあれば腐っているものもあり、それらに支えられているユーキの魂もまた、生きた部分と死んだ部分が斑模様になっている。
生きているのか、死んでいるのか、どちらともいえない。あまりに複雑に絡んでいるから、スツェリにはわからない。
「スツェリさん?」
「ひゃっ」
耳元で涙声を囁かれて、スツェリの集中が途切れた。途端に意識はユーキの中から弾き出される。
「ど、どうしたユーキくん」
「いや、いつまでこうしてるのかなーって。ずっと抱き締めたまま動かないから……」
スツェリはほんの一瞬だと思っていたのだが、実際には結構な時間が経っていたらしい。
「すまん……君の魂の様相に圧倒されていたようだ」
「魂?」
ユーキが首を傾げる。探られている方は、何があったかわからないだろう。だが、あの斑の様相を見たスツェリには、はっきりわかることがあった。
「なあ、ユーキくん」
「今度は何?」
「君、死にかけたことがあるだろう」
ユーキはぴたりと動きを止めた。
「殺されてない。生きてる」
「死んだと言ってるわけじゃない。死にかけたか、と聞いているんだ」
「……どうしてそう思うの?」
「デュラハンは人の魂を見れるのだが……ユーキくんの魂は、その、悪いけど普通じゃなかった。生きているんだけど、死に近かった。死者に纏わりつかれているというか、支えられているというか……。
いるんだよ、たまにこういう様相の魂の持ち主が。私の父のように、大怪我や大病で生死の境をさまよった事がある人がこうなる。だから、ユーキくんも死にかけたことがあるんじゃないかと思ったんだ」
ユーキは硬い顔をしていたが、やがて諦めたように溜息をついた。
「うん。そうだよ。確かに殺されかけた」
がっくりと項垂れて、ユーキは語る。
「お父さんが仕えてた偉い人が倒れてね、いよいよってなって、家族みんなで集まってお葬式の準備をしてたんだ。そうしたら、屋敷がたくさんの武士に襲われたの」
ユーキの喋る声だけが夜に響く。彦三郎たちは遠くにいる。スツェリは何も言わずに黙っている。
「攻め込んできたのは、近くに住んでる親戚の人だった。叔父さんの命令で、僕たちを殺しに来たんだって。お父さんが謀反を企んでるとか言ってたけど、そんな訳ない。騙し討ちだよ」
親戚に騙し討ちにされた。エルフの村の祝宴ではごまかしていたが、やはりそういうことだったらしい。相手がそのような凶行に走った理由は、遺産か、あるいは権力争いか。カマクランを知らないスツェリにはわからない。
「みんな頑張って戦ったけど、ダメだった。お父さんもお母さんも、弟も妹も、部下の人たちも下働きの人も、全員殺された。それで死体は山積みにされて、屋敷ごと燃やされた。
僕は死体の山の一番底で、血で火を凌ぎながら、誰もいなくなるまで隠れてたんだ」
予想はしていたが、想像以上の惨状だった。スツェリは息を呑み、しばらくしてから一言告げるのが精一杯だった。
「……よく、生きていたな」
ユーキは僅かに顔を歪めて、首を横に振る。
「……わからない」
「わからない?」
「こうして動いて話してるから、生きてるはずなんだ。
だけど、あの時に死んだ覚えが……死にかけたじゃなくて、はっきり殺された記憶がたくさんあるの。
斬り殺されたような気もするし、撃ち殺されたような気もするし。焼け死んだ覚えもあるし、乾き死んだ覚えもある。
よくわかんないんだ。僕は本当に生きてるのか、生きてるって思い込んでるだけの死体なのか」
両の腕で自分の肩を掻き抱き、身を震わせる。
「だから、死体を、首を見たいの。死んでるものを自分と比べて、生きてるって安心したい」
死に半身を浸からせるような経験。それがユーキの心の深い傷を残した。傷は今も痛み、ユーキにその身の終わりを思い知らせている。痛みと恐怖から目を逸らすために、ユーキは別の死を見つける。
それが首か。ユーキにとっての首は手柄の証ではなく、生存の証か。
だけど、とスツェリは思う。そんなもので自分を保つのはあまりにも歪んでいる。嫌だ。ユーキにはそんな生き方をしてほしくない。だからスツェリは思わず告げていた。
「私じゃだめか?」
振り返ったユーキは怪訝な顔をしていた。
「へ?」
「私じゃ、君が生きている証にならないか? 短い間とはいえ、今までこうして旅をしてきた仲じゃないか。
ここにいるキミは確かに生きている。死体や首なんかじゃなくて、生きている私が保証する。それじゃあだめか」
「……信じられないよ。生きてるか死んでるかなんて、他の人にはわからないでしょ?」
「私にはわかる。デュラハンだからな。生と死の狭間に立つ
「……知らないよ。見たことも聞いたこともない神様なんて」
「なら」
スツェリはユーキの体を強く抱きしめる。
「私のこの心臓の熱を証にしてほしい」
とくん、とくん、と血を送り出す心臓を。
首を切り離せるデュラハンでも、ごまかしが利かない急所を。
強く願う、心の在り処を。
やがてユーキは小さく、しかし間違いなく頷いた。
それを受けてスツェリは、もう一度ユーキを強く抱き締めた。
――
夜半すぎ、仲間の奴隷と見張りを交代した彦三郎は、寝入ろうとしてスツェリが焚き火の側にいないことに気付いた。ひょっとしたら、まだユーキと喋っているのかと思い、辺りを探してみる。
すぐに見つかった。焚き火の光がギリギリ届くところで、ユーキと一緒に眠っていた。スツェリがユーキを背中から抱き締めて、地べたに横になっている。
「確かにお願いはしましたけどねえ……」
そんなに仲良くなっているとは思わなかった、と彦三郎は驚いた。
しかし、このままでは風邪を引くだろう。彦三郎は馬車に戻って毛布を引っ張り出した。2人を起こさないように忍び足で近付く。五歩の距離に近付いても、ユーキもスツェリも身じろぎすらしない。ぐっすり眠っているようだ。
そっと毛布をかけ、空になったスープの器を回収すると、彦三郎は忍び足で焚き火へと戻っていった。
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