第26話 魔界のパラディン

 吸血鬼ヴァンパイアとは他人の血を糧とする魔族である。栄養や水分といった意味ではない。それは普通の食事で事足りる。彼らは他人の魔力や魂を自分のものとして取り込めるのだ。

 そうして蓄えた力を自らのものとすることで、凡百の魔族では到底敵わない力を振るうことができる。


 グゼルはヴァンパイアと名乗った。その上、子爵という肩書もある。並の魔族なら震え上がり、武器を捨ててひれ伏すだろう。


「光よ、敵を貫け! ナデル!」


 しかしスツェリはそんなものでは止まらなかった。何のためらいもなく剣を向け、グゼルに向けて魔法の矢を放つ。


「なんじゃい!?」


 驚きながらも、グゼルは魔法を避けた。


「お主、ワシの話を聞いていたか!?」

「聞いていたとも! ヴァンパイアのグゼル・パヴェレツ子爵だろう! ユーキくんに何をした!」

「ユーキ?」


 スツェリに訊かれて、グゼルは眼下で正座するカマクランの少年に目を向けた。


「ああ、これのことか。我が領地に断りもなしに入り込んで狼藉を企てていたからな。領主として捕らえて尋問していたまでよ」

「狼藉だと? ユーキくんは私と一緒に東へ向かっていただけだ! 悪さをするつもりは無い!」

「それを決めるのは領主であるこのワシよ。それにお主らはカマクランの軍勢を馬車に隠してワシの領地に忍び込んでおる」

「軍勢? いや、あれは奴隷だ! 平坂府に運ぶ途中なんだ!」

「信じるものかよ。本当だったとしても、ちょうどよい労働力じゃ。全員ここに置いていけ」


 横暴である。しかし魔王国では領主が絶対。法も税も、彼女のさじ加減ひとつで決まる。そして、野生のカマクランに散々悩まされていたグゼルのさじ加減は、非常に厳しいものになっていた。


「それともあれか、ワシに逆らうか? 屍山公アカ・マナフ・パヴェレツの娘にして、子爵でもあるこのワシを相手取るつもりかよ?」


 からからと笑うグゼル。一方、スツェリは唇を真一文字に引き締めて、ユーキを見つめた。


「ユーキくんはな」

「うん?」

「カマクランとコボルトに囲まれてもな、私を見捨てなかったんだ」

「それが?」

「だから、私も見捨てないぞ」


 そしてスツェリは改めて剣を構えた。


「……気持ち悪いな」


 嫌悪の表情を浮かべたグゼルが、翼を羽ばたかせて高度を上げた。


「逃げるのか?」

「阿呆。汚物の掃除は下郎の仕事よ」


 足音が近づいてくる。スツェリは上空のグゼルから地上へ視線を戻す。こちらに向かって走ってくる数十の人影。雑多な武器と雑多な種族。しかし纏った魔法の気配は同じ。亡骸を操る魔力。


「アンデッドの軍団……貴様、死霊術師ネクロマンサーか!」

「御名答」


 ヴァンパイアとしての魔力と、生まれた時から備えていた才能を、グゼルは死霊術ネクロマンシーに注ぎ込んだ。子爵という地位を活かせば、領民や冒険者の新鮮な死体を手に入れることは造作もない。吸血鬼の特質を活かせば、ネクロマンシーに必要な魔力は確保できる。

 そして人手がほしいのに人口が少ない『鋼鉄古戦場』では、アンデッドも貴重な労働力であった。何しろ魔族の死体1つからスケルトンが1体、ゴーストが1体、フレッシュゴーレムが0.5体できあがる。労働力は2.5倍だ。


「此度は50体の死霊兵を連れている。……いや、さっき増やしたから60体か。まあ、どちらでも同じこと」


 スツェリの背後にも死霊兵が数体回り込んでいる。逃がすつもりはないらしい。

 不幸中の幸いは、彦三郎たちが寝ている馬車からは離れていることか。見張りを交代する時間になってもユーキがいないから探しに出ていたスツェリだったが、今回ばかりはユーキがやけに遠くに出ていたことを感謝していた。

 だから、考えることはこの場を切り抜けるだけだ。スツェリは剣の切っ先を、手近な死霊兵へと向けた。


「さて、それ1体を倒すのにどれだけの時間がかかる? 魔力はどれだけ必要か? お主の手並み、見せてもらおうか」

「散華せよ、ヴァラッセン」


 スツェリがひとつ呪文を唱えると、アンデッドは何の抵抗もできずに灰になった。


「……は?」


 グゼルの驚きを無視して、スツェリは次の呪文を唱えた。


「終われ、ベーアディグル」


 剣から黒い閃光が放たれ、死霊兵の群れを貫く。光に触れたアンデッドは、ひとつの例外もなく倒れてただの死体になった。


「じょ、除霊魔法!? 何でそんな使い所のない魔法を、そんな練度で……!?」

「パヴェレツ子爵。屍山公アカ・マナフ・パヴェレツの娘と言ったな。父親自慢なら私だって負けてないぞ」


 狼狽えるグゼルに対して、スツェリは冷酷に名乗りを上げた。


「我が父はベルシラック・ヘッセン!

 海より来たる死霊群100万、プレゲトンの災厄を治めた大将軍!

 終の神より魔界の終わりを見届ける役目を与えられた、偉大なる冥道王なり!」

「ベルシラック……"首無し王"ベルシラック!? その子ということは、まさか、デュラハン……!」

「いかにも! 我が名はスツェリ・ヘッセン!

 ついの神に仕える騎士にして、冥道王ベルシラックの子、デュラハンなり!」


 デュラハン。魔界北方に住む魔族である。首を胴体から切り離すことができるのが特徴だ。

 この『首を切り離す』という行動。デュラハンにとっては呼吸や歩行とさして変わらない行動であるが、他の種族からしてみれば『死』同然である。客観的に見ればデュラハンは生と死を往復する存在だと言えよう。

 そのためデュラハンという種族は、他の魔族よりも死や終わりの気配に敏感だった。魂を視ることができるし、アンデッドを正しく終わらせる除霊魔法の適正を持つ者が多い。魔界に唯一存在する神、終の神と交信できる者すらいた。


 こうした特性を持つデュラハンたちの間で、死と終わりを司る終の神への信仰が生まれるのは当然だったと言えよう。

 デュラハンたちは魔界を見捨てなかった終の神に感謝を捧げ、真っ当に生きた魔族に真っ当な終わりが与えられる事こそが最善だと考えた。

 すなわち、肉体と魂が揃って神の元へ送られることこそが善。肉体と魂の分離、すなわちアンデッド化を悪とする。


 その教えに従って、デュラハンたちは死者を弔い、アンデッドと戦い始めた。終の神に祈りを捧げ、アンデッドを迎え撃つための拠点として、神殿を建てた。

 そこに集うデュラハンたちは、神殿騎士パラディンと呼ばれた。


「死者の魂を惑わせ、終の神に逆らう不信心者ネクロマンサーめ! 神殿騎士パラディンの刃は必ずや貴様を貫かん!」


 スツェリは剣を眼前に構える。


「終わりしか齎さない神を崇める辺境の異端め! 魔界の正義とは力の事、貴種の力で叩き潰してくれる!」


 グゼルが指を鳴らし、死霊兵を動かす。


 戦が始まった。

 死霊兵たちが槍を構えて突進する。そこへスツェリが切っ先を向け、呪文を唱える。


「終われ、ベーアディグル!」


 黒い閃光がアンデッドたちを塵に還す。槍衾に空いた穴にスツェリが飛び込み、剣を振るう。アンデッド殺しの黒い光を纏った剣は、掠めただけでもアンデッドを終わりへと導く。

 だが、剣を受け止めるアンデッドもいる。太刀を持ったゾンビカマクランだ。

 除霊魔法は強力だが、その名の通りアンデッドにしか通用しない。生者はもちろんのこと、無機物にも傷ひとつつけられない。つまり、鎧や盾で普通に防がれる。

 ゾンビの防御や反撃を掻い潜るには、パラディン個人の技量が必要となる。


「ふんっ!」


 そしてスツェリは十分過ぎる実戦経験を積んでいた。太刀を受け流し、体勢が崩れたゾンビカマクランの首を断ち切る。そのまま振り返り、背後から近寄ってきたゾンビオークの胴を薙ぐ。

 再び前方に向き直り、並み居るゾンビの群れへ突撃する。武器を弾き、防具の隙間に剣を突き入れれば、アンデッドたちは次々と倒れていく。

 スツェリにとっては同じ数の生者よりも楽な相手だ。魂無きアンデッドは生前よりも動きが鈍い。そして除霊魔法を使えば、剣で少し突くだけで滅びる。グゼルは50体いると誇っていたが、その程度ではいないも同然だ。


「終の神よ、ここに集いし死者たちに、永久の眠りを与え給え……!」


 剣を振り回し、周囲のアンデッドを葬りながら、スツェリは呪文を詠唱する。高まる魔力に合わせ、剣に宿った光が一際強くなる。アンデッドの軍勢のど真ん中に到着すると、スツェリは地面に剣を突き刺した。


「真なる終わりを! マィエスティート!」


 スツェリを中心として除霊結界が展開される。白い光が彼女を取り囲んでいた全てのアンデッドを飲み込んだ。結界の光が収まった時、アンデッドの大群は全て武具を残して消えていた。

 息をつく間もなく、スツェリは剣を引き抜き、上空に向かって振り上げた。急降下してきたグゼルの剣を受け止める。


「調子に乗るなよ、傭兵風情が!」


 グゼルはスツェリに次々と斬撃を放つ。ヴァンパイアの力で強化された筋力と、金と権力で揃えた上質な武具が合わされば、そこらの雑兵では束になっても敵わない強さとなる。

 だが、太刀筋がお上品にすぎる。傭兵として様々な戦場を渡り歩いてきたスツェリにとっては、単純な剣術にしか見えない。数度の打ち合いの後、斬撃を掻い潜り、避けられないタイミングで胴への一閃を放った。


「おおっと!」


 しかし、グゼルは翼を羽ばたかせ、上昇して斬撃を避けた。

 スツェリは舌打ちする。剣の腕前そのものよりも、空を飛んでいることが厄介だ。常に上を取られているし、地上ではあり得ない動きを軽々とこなすからやりづらい。


「串刺しにしてくれる! クレブニー・コピー!」


 グゼルが手をかざすと魔力の槍が形成され、スツェリへと落下してきた。スツェリは横へ飛んで避け、剣の切っ先を向ける。


「光よ、敵を貫け! ナデル!」


 放ったのは魔法の針。除霊の光ではない。ヴァンパイアは生者だからだ。


ぬるい!」


 グゼルが一括すると、魔法の針は掻き消された。魔力に差がありすぎる。魔法による射撃戦はできそうにない。スツェリはもとより、グゼルもその事実に気付いた。


「ならばこのまま削り殺してくれようぞ」


 グゼルは次々と魔力の槍を生成する。スツェリは、あるものは避け、またあるものは剣で弾くが、ジリジリと体力を削られていく。


 槍を避けながらスツェリは考える。削り殺すとは言っているが、あのプライドの高さ。トドメは自らの手で刺しにくるだろう。体力が尽きたフリをすれば、一度はおびき寄せられる。

 問題はその一度で仕留める手段が無いということだ。剣は恐らく避けられる。除霊魔法は通用しない。ナデルやドーンハンマーは掻き消される。切り札のブリッツプファイルを使うには魔力が足りない。他に使える魔法は解毒や解呪など、戦闘用ではない魔法ばかり。


 それでもユーキを助けなければならない。スツェリはユーキの様子を伺う。相変わらず呆けた顔で正座をしている。恐らくグゼルが何らかの魔法を掛けて、動きを止めているのだろう。

 ならば自分の取るべき手段は。スツェリは腹を括った。


 数本の魔力の槍を剣で受け、わざと力を抜いて弾かせる。地面に転がった剣を見て、グゼルはニヤリと笑った。


「勝負あったな。とどめじゃ!」


 勝ちを確信したグゼルは、予想通り剣を構えて急降下してきた。やはりお上品にすぎる。


「ふんっ!」


 スツェリは突き出された剣を掻い潜ると、握った拳をグゼルの顔面に叩きつけた。


「ぶっ!?」


 まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。ガードもできずにグゼルは後方へ吹き飛ばされた。そんな彼女に指を突きつけ、スツェリは呪文を唱えた。


「災いを尽く洗い清めたまえ……グライニヒト!」


 グゼルを中心に、淡い光を放つ結界が広がる。魔法を防ごうと身構えたグゼルは、すぐに困惑の表情を浮かべた。


「……解呪魔法?」


 スツェリが唱えたのは魔法による毒や眠り、呪いといった干渉を掻き消す解呪の魔法だ。グゼルにとどめを刺す魔法ではない。そもそも、他人を傷つける効果がない。


「一体何を」


 考えている、とまでは言えなかった。グゼルの首が胴体から切り離され、宙を舞っていたからだ。


 グゼルの背後、五歩も離れていない距離。立ち上がったユーキが大太刀を振り抜き、目の前の吸血鬼の首を斬っていた。スツェリの解呪魔法によって体の自由を取り戻したユーキは、無意識のうちに大太刀を手に取り、目の前にいたグゼルを斬り捨てた。

 まさか背後にいたのが眠りながらでも人を殺す異常なカマクランだとは思っていなかったグゼルは、自分の身に何が起こったかもわからないまま、首を落とされる結果となった。


「……ふえ?」


 ユーキが間抜けな声を上げる。一拍遅れて目を覚ましたらしい。


「あれ? スツェリさん? え、何でこの人死んでるの? あれ、え?」

「目を覚ましたか。ユーキくん、すぐに逃げるぞ」

「何、なんなの?」

「説明は後でする。まずは彦三郎たちを起こすぞ!」


 グゼルは死んだものの、増援がこちらに向かっていてもおかしくはない。まずは身の安全を確保するため、スツェリはユーキの手を取って馬車へと向かった。


 後に残されたのは、消滅したアンデッドの武具と、首を斬られたグゼルの遺体である。


「……ハァッ! 死ぬかと思った!」


 声を上げたのは、地面を転がるグゼルの生首だった。胴体から離れているのに目を見開き、心底驚いた表情を浮かべている。

 更に首を失った胴体が立ち上がる。胴体は地面に転がるグゼルの生首を拾い上げると、切断面に押し付けた。傷が急速に塞がり、グゼルの体は元通りになった。

 それでも恐れはすぐには引かない。未だに残る怖気に震え、グゼルは額に手をついた。


「ネクロマンシー潰しのデュラハンに、無意識に人を殺すカマクランなど、相手にしておれんわ、全く……!」


 スツェリは実感していなかったが、グゼルにとってもギリギリの戦いであった。本来グゼルは、アンデッドを盾にして後方から支援するという戦い方を得意としていたのだが、スツェリは一瞬で盾役を全滅させてしまった。

 魔法戦では優位に立っていたが、ヴァンパイアの魔力とて無尽蔵ではない。そもそも魔力の大半は、何の役にも立たなかったアンデッドたちに回している。あのままスツェリが防御に徹していれば、グゼルの方が魔力切れに陥る危険すらあった。

 その上、あのカマクランだ。解呪が解けた瞬間に斬りかかってきた。もしも首ではなく、ヴァンパイアの弱点である心臓を貫かれていたら、グゼルは荒野の塵となっていただろう。


 化け物2人、加えて馬車にも多数のカマクラン。グゼル1人ではとても手に負えない。そこで恥を忍んで、死んだふりをしていたのだ。


「大体気持ち悪いんじゃ、あのデュラハンは」


 2人が去った方向を見ながら、グゼルは嫌悪の表情を浮かべる。


「見目が良いからといって、幼子をアンデッドにして連れ回すなど、それこそデュラハンの風上にも置けぬ所業じゃろうに」

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