まだらのユーキ ~鎌倉魔寇見聞録~
劉度
魔界つれづれ二人旅
第1話 まだらのユーキ
ファジャール魔王国は広大な荒野の国だ。魔族たちは僅かな川や点在するオアシス、辛うじて残る森にしがみついて街や村を作り、それらを街道で繋いで国家を成り立たせている。
その街道のひとつで、悲鳴と魔法が飛び交う戦いが繰り広げられていた。
「嫌だ! 助けてくれ、誰か、ひいいい!」
男が巨大な手に掴まれている。握るのはオーガ。男の5倍近い背丈があり、骨を噛み砕くための鋭い牙が口から生えている。牙の隙間からは、先に食われた人間の血が流れ、異臭を放つ巨体へと垂れていた。
掴まれた男は必死に抵抗するが、握られた手はびくともしない。オーガは悠々と男を持ち上げると、喚く頭へかじりつこうとする。
「稲妻よ、敵を討て! ブリッツプファイル!」
オーガの口に雷が飛び込んだ。爆ぜる白熱がオーガの頭を焼く。脳と目を沸騰させたオーガは、人間の男を手放し、どう、と倒れた。
「ひいい……!」
「こっちに来い!」
「は、はいっ!」
男は腰を抜かしながら、フラフラと走る。その先にいるのは、鋼の鎧を纏った女だ。黒い短髪はオーガの青い血に塗れ、緑の瞳は疲労を湛えている。
女の後ろには馬車がある。荷台には男と同じ、粗末な身なりの男女が10人ほど押し込まれている。繋がれた馬が恐怖で暴れていた。
男が馬車に隠れると、女は前方を見据え、深く息を吐いた。地響きが近付いてくる。オーガは1体ではなかった。3体のオーガが、血まみれの棍棒を手にして向かってきている。
対して、女の武器は剣一本。切り札のブリッツプファイルは魔力が尽きて使用不可。味方がいれば違っただろうが、この場で戦えるのは彼女ひとり。馬車に積まれた奴隷たちは戦力にならない。詰みだ。
「似合いの末路か」
死を目前にした女の顔には、自嘲の笑みが浮かんでいた。それでも生を諦めたわけではない。稲妻の余波を帯びた剣を眼前に構え、女は気炎を上げた。
「我が名はスツェリ・ヘッセン!
言の葉の軛を忘れた獣どもよ! その汚れた牙で我が首を獲るというのなら、見事獲ってみせよ!」
オーガたちは言葉ですらない咆哮を上げ、スツェリへ突進する。山と見まごう巨体が迫る。
だが、スツェリを叩き潰す前に、オーガのうちの1匹が足をもつれさせて無様に転んだ。奇妙な動きに、他の2匹も足を止める。覚悟を決めていたスツェリも、驚きに目を見開いた。
転んだオーガの背中に矢が突き刺さっていた。オーガの巨体と比べたら、小枝のように小さい矢だ。
だが、小枝とて心臓に刺されば、死ぬ。
倒れたオーガの背中を貫いた矢は、心臓半ばまで辿り着き、オーガを一撃で絶命させていた。
風切り音。まだ立っていたオーガの片方が、悲鳴を上げてのけぞる。左目に倒れたオーガの背中のものと同じ矢が突き刺さっていた。
3体目のオーガが、唸り声を上げて荒野の一角を睨みつけた。スツェリもオーガの視線を追う。
少年がいた。
まず目を引いたのは、彼が持つ弓だ。少年の身の丈の倍近い長さがある、見たこともない大きさの弓だった。
次に顔。肌は白く、黒い目は大きく、口は真一文字に引き結ばれている。長く艷やかな黒髪は首の後ろで括られ、荒野を吹く風に揺られている。
着ているのは奇妙な仕立ての服。長袖で長裾。布地は暗い朱色で染められていて、動きの邪魔にならないように各所を紐で縛っている。
両手両足は黒塗りの甲で覆っている。防具と言えるものはそれだけだ。鎧も、盾も、兜も無い。
そして少年の横には、これまた背丈を超える刃渡りの剣が地面に突き刺さっていた。細く、緩やかに湾曲しているその剣は、魔界の太陽を受けて白く輝いていた。
射られなかったオーガが吠え、少年に向かって走り出した。小山が動いたと錯覚する勢いだ。衝突すれば、少年の小さな体など簡単に潰されてしまうだろう。
少年は逃げることなく、弓に矢を
十分に引き絞られた弓から、矢が放たれた。風切り音と共に飛んだ矢は、突進するオーガが掲げた腕に突き刺さった。
小枝とて心臓に刺されば死ぬ。しかし、急所に当てなければ致命傷には程遠い。痛みに呻きながらも、オーガは少年に肉薄し、叩き潰そうと棍棒を振り上げた。
「逃げろっ、少年!」
スツェリが叫ぶが、遅かった。オーガの棍棒が振り下ろされるその前に、少年が動いた。
手にした弓を投げ捨て、地面に突き刺していた剣を引き抜く。己の背より長い刃を、少年は軽々と構え、オーガの足元へ飛び出した。
棍棒は空振り、地面を叩く。衝撃を背に受けて加速した少年は、オーガの足首へ手にした剣を振り下ろした。
オーガという生物は、その巨体のせいで足を狙われやすい。そのため、足が硬く、強靭になるように進化を遂げてきた。成人のオーガの足は岩盤の如き硬さを誇る。
それを、少年は一太刀で斬った。
足を斬られたオーガはバランスを崩してうつ伏せに倒れる。痛みに悲鳴を上げながらも立ち上がろうとするが、その背中に飛び乗った少年が、心臓に剣を突き刺すと、大きく痙攣して動かなくなった。
別の咆哮が響いた。目を射られたオーガが、憤怒の形相で少年に迫っていた。丸太のような棍棒を横薙ぎに振るう。少年はオーガの背中から剣を引き抜くと、死体から飛び降りた。棍棒が死体をかすめ、暴風が吹き荒れる。
剣を手にした少年がオーガの足元へ迫る。オーガは近付く少年へと腕を振り下ろした。少年は真横へ飛んでオーガの拳を避ける。更に、オーガの拳が地面を叩くのに合わせて飛んだ。衝撃を味方につけた跳躍は、少年を遙か高み、すなわちオーガの首へと導いた。
白刃が煌めく。柄まで深々と刺さった刃が、オーガの首を半ばまで両断していた。千切れた首がだらりと傾き、断面から魔族の青い血が噴水のように噴き出す。青い雨は着地した少年に降り注いだ。
暗い朱色の服の上に青が染み込んで、白い肌に青が飛び散って、黒髪が青に濡れて、
血に塗れた不快感を微塵も顔に出さず、むしろ微笑みすら浮かべる姿を見て、スツェリはある噂話を思い出していた。
1年前、ファジャール魔王国は異世界へと渡る魔法を完成させた。異世界は魔界とは比べ物にならないほど緑に満ち、生き物に溢れ、金銀財宝が山のように存在する楽園であった。
当時の魔王ザッハークは、この異世界を我が物にしようと20万の兵士を率いて攻め込んだ。魔王を先頭に、無数の兵士がイビルゲートの向こうへと赴いた。
しかし、イビルゲートから最初に帰ってきたのは、魔王でも兵士でもなく、剣と弓矢で武装した異世界人であった。20万の軍勢は返り討ちに遭い、魔王自身も討ち取られてしまったのだ。
その上、異世界人は『切り取り次第』なる題目を掲げて、魔界の各地を占領しようとイビルゲートから溢れ出してきた。
異世界人は獰猛にして殺戮を好み、敵を殺せばその首を切り取って持ち帰ってしまう。
剣と弓、それに馬の扱いに長け、個人戦でも集団戦でも無類の強さを誇る。
だが、真に恐るべきは無謀とも言える勇敢さで、末端の兵士ですら死を恐れずに敵に突撃し、指揮官ともなればドラゴンにたった1人に挑むという。
百万総兵と恐れられた異世界人たちは、異世界軍の名前から取って『
カマクランの噂については信じていなかったスツェリだったが、目の前でオーガ3体を瞬く間に葬った実力を見せられてはその強さを認めるしかなかった。
そして、そんな伝説の具現化が今、微笑みを浮かべたまま自分の方に歩いてくる。何を考えているかわからないが、嫌な予感がする。そう気付いたスツェリは、とっさに声をかけた。
「ちょっと待て! ちょっと待ってくれ!」
すると、少年は足を止めた。しかし刀は降ろさない。スツェリをじっと見据えている。気が変われば斬られる。そう悟ったスツェリは素早く口車を回した。
「助けてくれて感謝する! キミは命の恩人だ、礼がしたいんだが、何か欲しいものはあるか!?」
そうは言っても、傭兵のスツェリに大した財産は無い。後ろの馬車も合わせれば多少は足しになるが、それでもたかが知れている。大事なのは、やり取りするものを命からそれ以外に変えることだ。
「じゃあ……」
少し考えてから、少年は言った。
「その首、ちょうだい?」
思わぬ要求に、スツェリは渋い顔をした。
「首、首かあ……」
「何でもくれるんでしょ? だったら首ちょうだい?」
カマクランは生首を好むという。まさか本当だとは思わなかった。流石に差し出しづらいものではあるが、背に腹は代えられない。
「わかった。ほら」
スツェリは両手で自分の首を取り外すと、少年に差し出した。
「え」
「体の方はいいのか? 一応、こっちの方が価値はあると思うんだが……」
首だけで少年に問いかける。少年は目をまんまるに見開いて、口をぽかんと開けていた。
「……何を、驚いているんだ?」
「いやいやいやいや!? 何で普通に首だけで喋ってるの!? 動いてるの!? 生きてるの!?」
「そりゃあ、私はデュラハンだからな」
デュラハン。魔界北方に住む魔族である。
その最大の特徴は、首を胴体から切り離して浮かばせることができる、というものだ。首は空を飛ぶこともできるし、首がないまま体を動かすこともできる。
「ほら、遠慮するな。受け取ってくれ」
「いい! 違う! こういう首はなんか違う!」
「遠慮するな。私の首ひとつで済むなら安いものだ」
「そういう意味じゃないんだと思うんだけどその言葉!?」
スツェリは首を持ってにじり寄るが、少年は涙目で後ずさる。どうやら本気で嫌がっているらしい。泣き顔は愛らしいが、機嫌を損ねて本気で殺されにかかっても困るので、スツェリは程々の所で首を収めることにした。
「キミになら首を預けるのもやぶさかではなかったのだが……まあいいか。
私はスツェリ・ヘッセン。商隊の護衛をしていたのだが、オーガどもに目をつけられてこのザマだ。
改めて、助けてくれたことに感謝する。年若きカマクランよ、よろしければ名前をお聞かせ願いたい」
少年はしばらく警戒していたが、スツェリが再び首を差し出さないとわかるとようやく警戒を解いた。そして、軽く咳払いをすると、堂々と名乗りを上げた。
「
聞き慣れない名前、そして強烈な自己紹介。
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