第7話 漂泊のスツェリ

 2日目の野宿は小さな泉の側で行った。野魔ベリーのほかにクルミも生えていたので、盗賊たちから奪ったパンも合わせれば、十分な食事が行き渡った。

 野宿で食べる食事にしては上等なはずだ。現にカマクラン奴隷たちは頬を緩めて食事を摂っている。それでもスツェリの心は沈んだままだった。


『同族も、親兄弟、親戚も関係ないよ。必要なら殺すだけ』


 黙々と手綱を操っても、一心不乱に野魔ベリーを収穫しても、その言葉が頭から離れない。和気あいあいと話しているこのカマクラン奴隷たちも、理由があったらお互いに殺し合うのだろうか。

 それは、怖い。こうして話し合っているのは上辺だけの付き合いなのか。それともすぐに頭を切り替えられるのか。まるでわからない。魔族の常識を完全に逸脱した連中の群れ。そんなものが、この世にいるとは。


あねさん、あねさん」


 いつの間にやら、彦三郎が隣に来ていた。考え込みすぎて、スツェリはまったく気付いていなかった。


「……どうした?」

「あの、お侍様のことなんですが」


 彦三郎は視線でユーキを指し示す。ユーキは焚き火から少し離れたところにぽつんと座って、パンと野魔ベリーを食べていた。いや、食べているのか。そうしている振りをして、スツェリたちを殺す機会を伺っているだけかもしれない。

 スツェリが顔を強張らせていると、彦三郎が申し訳無さそうに言った。


「さっきの言葉はおかしいです。俺たちカマクランだって、親兄弟は大切にします」

「……は、え、ちょっと?」


 なんか、一日中悩んでいたことを全否定するような発言が飛んできた。


「え、カマクランも家族が大事なのか?」

「当たり前でしょう。たったひとりの両親、同じ釜の飯を食った兄弟、苦労して育てた子供、毎日顔を合わせる村の仲間。大切に思うのは当たり前ですって」

「あっ、そう……そうなんだ……いや、もちろん魔族だって親兄弟が大事なのだが、ユーキくんが違うというから違うものだと思って」

「それが変なんですよ。お侍さまは、そう思うだけの何かがあったのかも知れねえ」


 彦三郎はなおも深刻な顔だ。それは、カマクランの常識に照らしても良くないことがあったことを意味する。


「同族を……いや、仲間を信じられなくなるだけの何かがあったと?」

「ひょっとしたら、です。遺領相続で揉めて親戚同士でいがみ合ったり、お上に難癖つけられてゾクメツなんてこともありますから」

「ゾクメツ?」

族滅ゾクメツです。一族郎党皆殺し」


 どうやら、苛烈な処罰は魔界も日本も変わらないらしい。前の魔王ザッハークも、しばしば村を滅ぼして見せしめとしていた。

 そして、もしもユーキがそれに巻き込まれた果ての生き残りだとしたら。


「ひょっとしたら、ただのイカれた殺人鬼なだけかもですが、それでも約束を交わした姐さんには手を出さないだけの理性はあるんです。そこまで怖がらなくてもいいとは思いますよ。ましてや、ただの奴隷の俺らなんて」


 今のスツェリは彦三郎たちの生殺与奪を握っている。もしもスツェリがカマクランに恐怖して逃げ出すようなことがあれば、彦三郎たちは野垂れ死ぬだろう。その前にユーキに全員殺されるかもしれない。

 そういう利害もあるだろう。ただ、彦三郎の顔は、心配の色の方が濃かった。一人の少年の行先を案じる男の顔であった。


「すまないな、気を遣わせて」

「恐れ入ります」


 深々と礼をする彦三郎を後にして、スツェリは焚き火から離れた。懐から香水のボトルを取り出し、自分に軽く振りかける。慣れ親しんだカモミールの匂いが心を落ち着ける。

 覚悟を決めたスツェリは、ユーキの傍に行った。一応、5歩くらいの間合いを取って声を掛ける。


「ユーキくん」


 返事はない。ただ、微かに肩が動いた。起きている。


「そばに行ってもいいかい?」


 やや間があって、ユーキが頷いた。スツェリはユーキの横に腰を下ろす。横顔を覗き込むと、ユーキは口を尖らせていた。


「……なあに?」


 不機嫌そうだが、いきなり斬り掛かってくるほどではない。話は聞いてくれそうだ。

 しかし、頭ごなしに同族殺しを叱るつもりはない。そもそも向こうから襲ってきたわけだし、ユーキを怒る理由はない。ただ、その心を心配している。

 そうだ、心配だ。今更になって気付いた。出会った時からスツェリはユーキを心配している。何故?

 ユーキの笑顔が、いつもどこか苦しそうだったからだ。


「ひとつ、昔話をしようと思ってな」

「……ふうん?」

「私の同族……いや、家族の話だ」


 ここよりはるか北の地、スツェリの故郷、かつてヘッセン王国と呼ばれた場所での話だ。


「私の父は小さいながらも国を束ねる王だった。故郷は北のケンタウロスたちの縄張りに接していてな、しばしば争いが起こった。

 昔は仲良くしていたらしいのだが、私が生まれた頃には本格的な戦争になっていた」


 100年ほど前にクロ・ハンという魔族が現れ、ケンタウロスの部族長になった。クロ・ハンの部族は積極的に勢力を拡大し、北の大平原を領地としたラピテス連合国を建国した。

 それからも拡大は止まらず周辺諸国を侵略。スツェリが生まれた頃には国を3つ滅ぼし、ヘッセン王国の国境を侵していた。


「ケンタウロスたちが攻めてくる度に、村や街が焼かれた。もちろん人も死んでな、家族を亡くした子供たちが大勢出た。父はそうした子供たちを王都に集めて面倒を見ていたんだ。

 この魔界で同族を、親を亡くした子ほど辛いものはない。せめて代わりになることが我々の勤めだと父は言っていたな。

 私も同じ気持ちで、孤児院にたびたび顔を出し、子供たちの面倒を見ていた。

 とはいっても、その時は私も同じくらいの子供だったからな。面倒を見ていたのはお付きの者で、私は一緒に遊んでいたようなものだが」


 調子に乗っていたな、とは今でも思う。孤児たちと一緒に泣いていた覚えもあった。

 ただそれでも、父がいて母がいて、多くの仲間たちがいて、幸せだったのは間違いない。


「しかしそれも長くは続かなかった。漁夫の利を狙って南から魔王国が攻めてきたんだ。挟み撃ちにされて都は陥落し、私たちは散り散りに逃げることになった」


 今でも思い出す。逃げ惑う市民。遠くからやってくる馬蹄の音。血の匂い。鎧を纏った父の姿。頭を撫でてくれた硬い篭手の感触が最後の思い出だ。


「私は孤児たちと一緒に逃げていたんだが、ある朝気がつくと全員いなくなっていた。足手まといになるからと、従者が勝手に見捨てて馬車を走らせたんだよ。

 その従者も金目当てに御者に殺され、私は身を守るために御者を殺して逃げた」


 ほんの4,5日で、スツェリは一緒の時間を生きた同族を全て失った。


「それからは生き残るのに必死だった。手習いとはいえ武芸は身に着けていたから、傭兵として何とか身を立てた。だけど、生き続けてもひとりだった。ずっと、ひとりだった」


 5年経ったが、ヘッセン王国の生き残りとは、同族のデュラハンとはまだ会ったことがない。どこかに隠れ潜んでいるのか、奴隷にされて身動きがとれないのか、それとも殺し尽くされたか。


「ユーキくん。親兄弟を失っても、君にはまだ他の同族がいるじゃないか。カマクランがこの魔界に攻め込んでいるし、あの奴隷たちだっている。私に比べたらまだ未来に手が届く場所にいる。そうだろう?

 だから、必要な時以外は、同族に刃を向けるようなことは止めたまえ。自ら未来を閉ざすような真似は、とても苦しいものだからな」


 言えた。どうにかこうにか、不格好ながらもユーキを慰められた。心中でスツェリは安堵の息を吐く。

 同時に自分が情けなくなった。未来を閉ざすなとユーキに言っておきながらも、他ならぬスツェリ自身が未来から目を背けている。

 行こうと思えばヘッセン王国の跡地には行けるのだ。傭兵という職業は土地に縛られない。魔王国と隣接しているから、そこまで遠いわけでもない。旅費さえ貯める気になれば、故郷に帰る事はそう難しくない。

 そうしなかったのは、やはり臆病だからだろう。金が貯まらない。ケンタウロスに見つかるリスクがある。そういう理由をつけて、故郷に帰ることを諦めようとしていた。自分の命が惜しいから。本当に情けない。


 ふと、頭に柔らかいものが触れた。

 顔を上げると、ユーキが腕を伸ばしてスツェリの頭を撫でていた。


「大変だったねえ」

「……うん?」

「生まれた国が大変なことになって、生きていくのも大変で。頑張ったねえ」


 ユーキは同情するような顔でスツェリを見上げ、頭を撫でている。慰められている。おかしい。自分が慰めるはずだったのだが。

 ただ、小さな温かい手で撫でられるのは心地よい。


「ああ……うん……」

「うん。今日はさ、スツェリさんが先に休んでよ。僕はもうちょっと起きてられるから」

「いや、でもそれは大人としてな……」

「だから言ってるじゃん。僕だって大人です。ちょっとは格好つけさせてよ」


 自信満々の笑顔を向けられては、スツェリは頷くしかなかった。


「うん……それじゃあお願い」

「任せてー」


 スツェリはふらふらと焚き火の側に戻った。そこで、まだ寝ていなかった彦三郎と目が合った。途端に、なぜ自分がユーキと話に行ったのかを思い出す。みるみるうちに、スツェリの顔が首まで赤くなった。


「な、なんで私の方が慰められて……?」

「いやその……すいません、姐さんも心配される側の人だったとか、思いもよりませんでした……」

「気を遣わなくていい……!」

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