第6話 街道上のカマクラン

 ばん藤四郎とうしろう泰隆やすたか。聞いたことのない響きを持つ名前に、スツェリは戸惑った。しかし、珍しい意匠の鎧と、手にした太刀からしてカマクランであることは間違いない。

 ここはまだカマクランの勢力圏からは程遠いと思っていたが、もうこんな所まで侵攻されているのだろうか。だとしたら、魔王国が滅びるのも時間の問題だ。

 ひとまずスツェリは後ろに下がり、弓を手にしたユーキの隣に立った。ユーキとヤスタカの顔を見比べ、同じ種族だと確認してから囁きかける。


「ユーキくん、知り合いか?」

「ぜんぜん」


 顔見知りではないらしい。


「げっ、日本人カマクランかよ……」


 一方、ユーキを見たヤスタカは、妙に動揺していた。ユーキのことを一方的に知っているのか、それともカマクラン自体に思うところがあるのか。


「まあいい! オラッ、女子供の分際で、この相模次郎泰隆様の領地を黙って通ろうなんぞいい度胸だな! おまけに俺の大事な下人共をこんなに殺しやがって!

 本当なら今すぐ叩き斬ってやりたいところだが……まあ同じカマクランのよしみだ! 小僧、馬車と女を置いていくなら、お前だけは許してやるよ!」


 ヤスタカは太刀をギラつかせ、ユーキと馬上から見下ろしている。足元のコボルトたちも、武器を構えて臨戦態勢だ。

 これは、厳しいんじゃないか。無言のユーキを見てスツェリは推察する。

 コボルトはざっと20人。ヤスタカを中心に、スツェリたちを囲むような半円の陣形を取っている。さっきの先鋒のように油断しているわけではない。飛び込もうとすれば、たちまち槍衾に貫かれてしまうだろう。


 それ以上に危険なのはヤスタカだ。騎兵の強さはスツェリは散々知っている。馬の背という高所を常に取っており、重量のある防具で身を守りながらも、歩兵よりも機動力がある。

 何よりヤスタカは大人のカマクランだ。どれだけ強いか見当もつかない。スツェリの鎧くらいなら一太刀で真っ二つにできるのではないか。


 そういうことを、ユーキも考えているはずだ。いくらユーキが強いと言っても限度がある。これだけの数を相手にして命を落とすくらいなら、馬車とスツェリを渡して逃げた方がいいと計算しているに違いない。あの商人たちと同じように。

 なら、こちらが先に逃げるしかない。スツェリは視線だけで逃走経路を探る。ヤスタカたちは馬車の後方を塞ぐように展開している。横に逃げれば丘を登る羽目になる。騎兵相手にそれは避けたい。となると、岩で塞がれている前方だ。馬車は通れなくとも、人なら間を抜けて逃げられる。そこから先は運次第か。


「弓はどうしたの?」


 不意に、ユーキが口を開いた。


「は?」

「武士なのに弓を持たないとか、どうしたの?」


 隣で見ているスツェリが驚くほど冷たい目をしていた。


「……ッ、しゃらくせえぞ小僧ッ! 逃げるか死ぬか、どっちなんだ!」


 言い終わる前に、ユーキが動いた。手にした弓を引き絞り、ヤスタカに向けて放つ。矢は、ひょう、と音を立てて飛び、ヤスタカの鎧に命中した。


「がっ!?」


 衝撃を受けたヤスタカがのけぞる。だが矢は突き刺さらず、地面に落ちた。半ばから折れている。野魔ベリーの枝で作った、雑兵用の矢だった。


「なんだ、鎧は本物か」


 ユーキは呟き、新たな矢を背負った矢筒から取り出した。


「こ、殺せぇっ! お前ら、殺れぇっ!」


 慌てたヤスタカが号令を繰り出すと、呆気にとられていたコボルトたちが我に返って走り出した。ユーキは動じず、次々と矢を放ってコボルトたちを射殺する。

 だが、数が多い。すべて撃ち殺せるものでなく、コボルトが一体、ユーキに肉薄する。


「ユーキくん!」


 スツェリは前に出て、コボルトを斬り伏せた。すると、耳元を風切り音が通り抜けた。前方のコボルトの額に矢が突き刺さる。援護のはずだ。しかし、見捨てかけたのを咎められたような気になって、スツェリは一瞬動きが鈍った。


「どけぇっ!」


 だから、突撃してくるヤスタカに反応するのが一瞬遅れた。馬に跨り、太刀を振り上げたヤスタカが迫る。避けるのは間に合わない。首めがけて太刀が振り下ろされる。

 スツェリはとっさに首を切り離した。垂直射出された首と地面に残った体の間を、白刃が通り抜ける。危ないところだった。


 宙に浮かぶ首から地上を見下ろせば、ヤスタカはユーキへ一直線に向かっていくところだった。やはり、同じカマクランを警戒している。

 近付くコボルトを撃ち殺したユーキは、突進するヤスタカを見咎めると矢筒に手を伸ばした。

 取り出したのは、太い白羽の矢。今まで使っていた雑兵用の矢とは違い、まっすぐに整えられた上で焼入れがされ、頑丈に作られている。

 更に矢の先端には鉄製のやじりがついている。ただ、妙な形だ。かえしがついていない。あれでは敵を貫いても、矢を引き抜いた時に体の中に鏃が残らない。


 そこまで考えたスツェリは、ある可能性に思い当たり戦慄した。

 あれが兜首、すなわち大物の敵に対して使う矢であり、貫くことを重点においた造りならば、何を貫くつもりで作ったのか。予想はできる。だが、理解ができない。あまりにも馬鹿げている。


「死ねぇぇぇっ!」


 太刀を振り上げたヤスタカがユーキに迫る。ユーキは既に弓を引き絞っている。だが、放たない。そして、弓を向けられてもヤスタカは動じない。何しろさっき鎧が弓を防いだのだから、恐れる必要がない。

 2人の距離がみるみるうちに縮まる。顔が見える距離。その半分。黒目が見える距離。更に半分。振り上げた太刀の刃紋が見えるところまで来た時、ユーキは弦を放した。


 鈍い音が戦場に鳴り響いた。破城槌で城門を殴りつけたような打撃音だ。その音だけでは、弓矢による射撃音だと悟ることはできないだろう。

 同時に、ヤスタカの体が馬上から後方へと吹き飛んだ。馬の背中から弾き飛ばされたヤスタカは、刀を握ったまま背中から地面に叩きつけられた。乗り手を失った馬は、ユーキを避けて走り去った。


 ――和弓が鎧を貫通できるか、という問いかけは、現代になってもある種のロマンを孕みながら繰り返されている。

 身も蓋もない話だが、結論から言うと『条件次第』としか言いようがない。


 厚さ2mmのフライパンを貫通したという話もあれば、凹ませることはできても突き刺さらなかったという話もある。命中しても矢が耐えられずに砕けてしまったという結果もある。射撃距離も遠いものは15m、近いものは5mとバラバラだ。きちんと固定されているか、紐で吊り下げただけかどうかもわからない。

 加えて、矢を受ける鎧の性能も様々だ。厚さ2mmの鉄板で全身を覆ったフルプレートメイルもあれば、獣皮を膠で固めただけのレザーメイルもある。鎌倉時代末期の大鎧は鉄と革を組み合わせて作られており、同じ鎧でもどこにどの角度で当たるかによって結果が変わる。

 更にいえば、冶金技術の差というのもある。同じ厚さ2mmの鉄板でも、現代の工業技術で作られたフライパンと、13世紀末の鍛冶職人が作った鉄板では、質に大きな違いがある。


 繰り返しになるが、和弓で鎧を貫通できるかどうかは条件次第である。厳密に確かめるなら、重要文化財に指定されている当時の大鎧を持ち出し、銃弾テスト用のジェルブロックに括り付け、人体と同程度に固定し、当時と同じ製法の弓と矢で射撃する必要があるだろう。


「あ、あが……!?」


 ただ、とにかくこの場面、この瞬間において、ユーキの弓は鎧に勝った。よろいとおしの特注の矢がヤスタカの鎧を貫き、その先の衣服も貫通し、腹の肉を抉っていた。

 しかしそこまでだ。ヤスタカを吹き飛ばしこそしたものの、鏃は内臓まで到達していない。致命傷には程遠い。衝撃から立ち直ったヤスタカは、立ち上がろうと上体を起こす。


 その顎をユーキの足が蹴り上げた。ヤスタカの体が再び地面に叩きつけられる。蹴り飛ばしたユーキは、懐から短刀を抜くとヤスタカの上に馬乗りになった。


「待……」


 ヤスタカが命乞いの声を上げようとしたが、その前にユーキの短刀がヤスタカの喉を貫いた。くぐもった悲鳴がヤスタカの口から漏れる。

 ユーキは素早く短刀を引き抜き、再び首に刺す。刃が太い血管を斬り裂き、赤い血が噴水のように吹き出した。顔に血が噴きつけるのもいとわず、ユーキは素早く、何度も短刀を振り下ろす。


 やがてヤスタカが動かなくなると、今度は短刀を首の骨の隙間に突き刺し、肉と神経を引きちぎり始めた。あまりに凄惨な光景に、スツェリも、周囲のコボルトたちも手が出せない。


 鎧に身を包んだ武士同士の戦いは、そう簡単には決着がつかない。互いに何十本も矢を撃ち込み、太刀で数十回斬りかかっても、鎧の守りを突破できないという事は珍しくない。

 それ故に武士たちは鎧に守られていない場所、すなわち首元や脇の下、あるいは装甲の隙間を狙う。そうした箇所を狙う方法はいくつかあるが、最も一般的なのは組討くみうちである。

 仰々しい名前がついているが、何のことはない。相手を殴り、蹴り、投げ飛ばし、組み伏せ、あらゆる手段で抵抗力を奪った上で、分厚い短刀で急所を狙うというものである。


 御家人の嫡男であるユーキも当然、この組討術を身に着けていた。正確に言えば好んでいた。組み伏せた上で殺害する都合上、相手の体が力を失って死ぬ瞬間がよくわかる。弓で撃ち殺すよりも、大太刀で斬り殺すよりも、人を殺していることが実感できた。

 そして相手が完全に死んだら、待望の首獲りである。一際激しく血が噴き出すと、ヤスタカの首が体から離れ、ユーキの手に収まった。


「狼藉者、伴藤四郎泰隆! 討ち取ったぁーっ!」


 取れたばかりの兜首を掲げ、嬉々として歓声を上げるユーキ。隙だらけだが、周りのコボルトたちは一歩も動けない。コボルトの青い血とカマクランの赤い血でまだらに染まった悪鬼に挑みかかる者など、誰もいなかった。

 カクン、とユーキの首が傾く。視線の先にはコボルトがいた。転げ落ちそうなほど目を見開いて、歯を剥き出しにして笑うユーキに見つめられ、コボルトの戦意は一瞬で崩壊した。


「ひいいいっ!」

「化け物だぁぁぁ!」

「やってられっか、逃げろ、逃げろぉーっ!」


 コボルトたちは武器を投げ捨て、背を向けて一目散に逃げ出した。ユーキは大弓を拾い上げ、そのうちの2,3人を撃ち殺したが、大半は逃げてしまった。フフン、とユーキは満足げに笑う。


「……ユーキくん?」


 そんな血塗れの少年に、首を戻したスツェリは恐る恐る声をかけた。ユーキはパッと振り返る。


「なあに、スツェリさん?」

「いや、その……怪我はないか?」

「うん、大丈夫!」


 ユーキは胸を張って答える。傷がないことを確かめてから、スツェリは尋ねた。


「その……殺して良かったのか?」

「ん?」


 スツェリの視線はヤスタカの生首を指している。ユーキは生首を軽く掲げてから、にっこり笑った。


「これ、武士じゃないから。平気だよ」

「違うのか? いや、さっきそんな感じのことを言ってなかったか?」

「あれ嘘だよ。馬の乗り方がなってないし、それに弓持ってないもん」

「弓?」

「そ。武士は弓馬の道を修めるもの。『弓取り』って言われることもあるくらいなんだから。弓を持ってないわけがないもの」

「いや、馬に乗るから置いてきただけなんじゃないのか?」


 ユーキの大弓を見ながら、スツェリは返答する。あの大きさだと、馬に乗る時は邪魔なだけだと思ったのだが。


「いやいや。騎射が本領だから」


 ユーキは信じられないことを言った。


 騎射、つまり馬に乗ったまま弓を射ることだ。それ自体は魔界でも見かける。オークの騎獣射撃隊や、ケンタウロスの弓騎兵などがいる。スツェリも故郷で練習したことがあるくらいだ。

 ただ、そこで使うのは取り回しの良いショートボウ。カマクランの大弓の半分にも満たない長さの弓だ。常識的に考えて、馬に乗るのに大きな弓を使っていたら、邪魔でしょうがない。


「……彦三郎?」


 またユーキがおかしいだけではと思い、スツェリは馬車の中から顔を出して様子をうかがう彦三郎に尋ねた。


「本当です」

「えー!?」


 残念ながら常識だった。


「……いや、でも。武士じゃなかったとしても」


 赤い血を頭から被ったユーキを見て、スツェリは更に質問を重ねる。


「同じカマクランを殺して良かったのか?」


 ヤスタカはカマクランである。つまり、ユーキと同族。赤い血を見ても明らかだ。それをこうも簡単に殺して、しかも笑っていられる神経は一体何なのか。


「何でそんなこと気にするの?」

「……何?」


 問い返されているということはわかる。だが、ユーキの言葉の意味がわからない。気にする? 気にしない、ということがあるのか?


「だってここは魔界でしょう? いろんな人たちがいろんな方法でいつも殺し合ってる。それが当たり前なんでしょう?

 いつ、どれだけ人を殺しても怒られない、とっても安心できる場所。そういう世界だって聞いたからここに来たんだよ。

 そこで誰が死んでも、別に気にしないでしょ? それとも、ゴブリンは殺していいけどカマクランは殺しちゃいけないとか言うの?」


 ユーキはスツェリの顔を見つめて、滔々と語る。対してスツェリは、声の震えを押さえつけて反論する。


「同族だぞ。体の造りも、視えるものも同じ仲間だ。仲間を殺すのは悪いことだろう。それとも、カマクランは違うのか?」


 言葉を話せない獣でも、同族を積極的に殺すことはない。それは魔界においても同じだ。

 もちろん同族でも縄張り争いや諍いというものはある。それでも、全く別の種族よりも心は通わせやすい。

 ユーキが言うように魔界は争いが日常茶飯事だが、だからこそ同族や血縁の絆は深い。ほとんどの国では、同族殺しの罪は一等重くなるのが常識だ。

 だが、カマクランがそうでないと言うのなら。


「同族も、親兄弟、親戚も関係ないよ。必要なら殺すだけ」

「……それは獣ですらない。あってはならない怪物だよ」


 スツェリはそう返すしかなかった。

 ユーキは白けた顔でスツェリの横を通り過ぎて、馬車の中に潜り込んだ。これ以上話すことは無いらしい。


 スツェリは何とか体を動かし、御者台に登った。

 心が苦しい。わかりあえたと思っていたけど、とんだ勘違いだった。カマクランは想像もできない怪物の集まりだった。

 言葉を交わしてから、それを知ってしまったのが辛い。最初から怪物だとわかっていたら、どれだけ気楽なことだったか。

 スツェリは泣きそうになりながら、それでも手綱をしっかりと握りしめた。

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