第8話 農村のワーラビット

 ユーキの説得はうやむやに終わった。まずスツェリの心構えができておらず、逆に慰められるという情けない結果に終わった。情けないはずなのに少し嬉しそうに見えるのは年上としてどうなんだ、と遠目から見ていた彦三郎は呆れていた。

 不幸中の幸いとして、説得がうやむやに終わったのでユーキが機嫌を悪くしなかった事が挙げられる。翌朝、スツェリたちが起きても死体や生首が増えているということはなかった。


 何事もなかったかのように旅が再開された。御者台にスツェリが座り、その隣にユーキが座り、カマクラン奴隷たちは荷台に押し込まれる。3日も経つと、この状況にも全員慣れてきた。

 だが、慣れてきた分、先の見通しが立ってしまう。食べ物がない。水もない。毛布の1枚もない。突然の旅だったため、物資がまったく足りていない。

 今までは野魔ベリーやオアシス、盗賊からの強奪品で凌いでいたが、本格的に旅を続けるとなると、そんな運任せの補給には頼っていられない。改めて旅支度を整える必要がある。

 幸い、金はやたらとあった。ユーキが懐に収めている袋に、銅貨や銀貨、更に小石ほどの大きさの金まであった。金はともかく、魔界の硬貨をカマクランが持っているのはおかしいのだが、出所は聞くまいとするスツェリであった。


 とにかく金はあるから、どこかで道具を買い揃えたい。食料、水、薬。馬にも干し草を食わせたいし、人数分の毛布も欲しい。

 だからといって大きな街に立ち寄ることはできない。ここは魔族の勢力圏だ。カマクランだと気付かれれば、たちまち衛兵や守備隊が出てきて捕まってしまうだろう。


 そこでスツェリは道すがら村を探した。都市から離れた農村なら、兵士がいる可能性は少ない。多少怪しまれたところで手を出されることはないだろう。

 そこで必要な物資を買う。足元を見られるだろうが、それはもうしょうがない。食べられない金を抱えて荒野で野垂れ死になど、魔界の笑い話のタネにしかならない。

 スツェリは首を飛ばして街道沿いを探した。その甲斐あって、昼頃には村を見つけた。


「ほら、見えてきただろう? あれが村だ」

「おおー……!」


 ユーキは目をキラキラさせて、道の先の光景を眺めている。

 20戸くらいの小さな村だ。家は日干しレンガを積んだ茶色い平屋で、煙突からは炊事の煙が立ち上っている。ところどころ崩れているのを見るに、あまり豊かな村ではないらしい。

 村の周りには畑が広がっている。今は冬。秋播き小麦の青々とした大地が広がっている。これが冬を越し、春になると一気に背が伸びて見事な穂をつける。


「スツェリさん、あれ、なあに?」

「知らないのか? あれは、井戸だ」


 ユーキが指差したのは、石造りの井戸だった。どこにでもあるごく普通の井戸だ。見える範囲だけでも10個くらいある。


「……多くない?」


 井戸はあぜ道の上に等間隔で作られている。魔界では当たり前の光景なのだが、カマクランのユーキには珍しいようだ。


「ああ、あれは地下水路の通気孔だからな」

「……あの下に水が流れてるの!?」

「そうだ。ああやって空気を通してやると、早く遠くにまで流れる」


 乾燥地帯の多いファージャル魔王国では、灌漑農業が主流である。小川やオアシス、水の魔石の台座から水路を引き、畑を潤すのだ。この水路を地下に埋めると水が蒸発しにくくなり、より遠くまで効率的に行き渡るので、耕作地を広くできる。

 しかし、あまり地下水路を伸ばしすぎるのもよくない。ゴミが詰まって水路が崩壊したり、瘴気が淀んでスライムや魔界デスラット、吸血コウモリなどが発生してしまう。

 そこである程度の間隔で井戸を掘り、通気孔としているのだ。もちろん、井戸なので下の水路から水を汲み上げることもできる。


日本カマクラの畑に井戸は無いのか?」

「なくはないけど、そういうのじゃないよ。水を汲むだけ。田んぼの水は川から引いてくればいいもん」

「田んぼ?」

「うん。耕した所に水を張って、お米を育てる所」

「水を……張る? えっ、こういう畑を丸ごと池にするということか? 水が足りないだろうそれは」

「日本じゃ水なんていくらでもあるけど」

「彦三郎?」

「本当です。むしろ魔界に水が少なすぎるんですよ」


 日本の主流も灌漑農業だが、水を使う量が桁違いだ。特に水田耕作では、広大な農地に川の水を引き込み、数ヶ月も丸ごと水没させてしまう。ここまで豪快に水を使うには豊富な水資源が必要であり、日本を初めとする東南アジアぐらいでしか行えない。


「どうなっているんだ、カマクランの畑は」


 水が貴重な魔王国からしてみれば、溶かした金を畑に流し込んでいるようなものである。スツェリの反応も無理はなかった。


 ともあれ、スツェリたちの馬車は村に入った。だが、様子がおかしい。村によそ者が入ってきたというのに、村人が誰も顔を出さない。まさか廃村なのだろうか。


「おーい、誰かいないのかー?」

「いるのはわかってるんだよー。出てこないならこっちから行くけど?」


 ユーキは気配を察しているらしい。隠れていられないと気付いた村人たちが、家の中から恐る恐る、と言った様子で出てきた。

 住人は兎の獣人、ワーラビットだった。頭から細長い耳を生やしていて、丸っこい両手両足は白い毛に覆われている。ただ、どうにも元気がない。


「ええと……その、何だ。見ての通りの行商人だ。少々物資が心もとなくてな。食料を買いたいのだが」

「すまねえ。ウチの村にそんな余裕はねえ」

「ああ、余裕がないのか。だったら毛布か、あるいは水を入れられる革袋はないか?」

「だから無いって」

「じゃあ、せめて水を一杯……」

「無いものは無いって言ってるだろ!」


 スツェリは訝しんだ。食料や物資を渡す余裕が無いのはわかる。だが、水の一杯も渡せないというのはおかしい。ここは農村、水源があるはずだ。


「まっさかあ。ここに住んでるんだし、何も無いわけないでしょ?」


 話を聞いていたユーキが立ち上がり、刀を抜いた。目が爛々と輝いている。殺して奪い取るつもりだ。

 しかしワーラビットは一歩も引かなかった。正確には、下がる余裕がないほど崖っぷちだった。


「何も無いんだよ! オークの盗賊どもに全部奪われちまった! 畑を潤す魔石も、冬を越す食料も全部だ! 俺たちを殺しても麦一粒手に入らねえぞ! 残念だったな!」


 どうやら盗賊の襲撃を受けていたらしい。こうした小さな村を5,6人の盗賊が襲い、金目の物や女を奪っていくのは魔界では珍しいことではない。そもそもスツェリたちも、僅か3日の旅の間に3回も襲われている。


「盗賊か……タイミングが悪かったな。あー、領主にはもう通報したのか?」


 治安維持は領主の努めだ。収入源の農村を襲撃されたとなれば黙ってはいない。軍を率いて討伐しに来るだろう。

 そこにスツェリたちが居合わせるのはまずい。カマクランの集団など怪しいことこの上ない。特に理由がなくても捕まるだろうし、ユーキがいる以上捕まえる理由は間違いなく発生する。

 早く逃げた方がいいか、とスツェリは考えたが、ワーラビットは首を横に振った。


「したけど、ダメだった」

「ダメ?」

「賊を率いているのはオークのヤーシフ軍曹。メンバーは異世界から帰ってきた兵士崩れが50人。もう近くの村が6つも襲われた。

 ここの領主は異世界攻めで戦死して、軍も壊滅してるから、そんなデカい賊は討伐できないんだとよ……!」


 そう言うと、ワーラビットはユーキを恨めしげに睨みつけた。カマクランが魔王軍を返り討ちにしなければ、自分たちがこんな目に遭うことはなかったとでも言いたい顔だ。

 なお、睨まれている当の本人は涼しい顔でワーラビットを見つめている。魔寇には参加していないから知ったこっちゃない、といった風情だ。

 間に挟まれたスツェリは焦っている。知らない間にとんでもない盗賊の縄張りに踏み込んでしまっていた。50人ともなると、小さな町の守備隊に匹敵する。そんな盗賊たちを前にして呑気に馬車を牽いているのは、どうぞ襲ってくださいと言っているようなものだ。一刻も早くこの地を離れなければ。


「50人かあ……」


 だというのに、ユーキは何やら考え込んでいる。何とも可愛らしい仕草だが、今はちょっと可愛さに浸っている場合ではない。


「ユーキくん、何か考えるなら後にしてくれ。まさか50人なら殺せるとか言わないだろうな?」

「いや、皆殺しにするのは無理だよ。その盗賊って馬に乗ってる人はいる?」


 ユーキに訊かれたワーラビットの青年は、訝しみながらも答えた。


「馬はいない。騎獣兵も、竜騎兵も。全員徒歩だ」

「居場所はわかる?」

「ここから半日歩いたところにあるオアシスに住み着いてる」


 機動力はない。居場所も離れている。すぐに出会うことはなさそうだと、スツェリは安堵した。


「だったら盗賊が来ないうちにすぐに出発しよう。ユーキくん、物資を買うのはまた今度だ」

「えっ?」


 スツェリの言葉に振り向いたユーキは、キョトンとした顔で首を傾げた。


「皆殺しは無理でも、追い払うくらいならできるでしょ?」

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