第14話 追撃のワイバーン
魔王国中央部と東部は、大渓谷によって南北に隔てられている。渓谷には『奈落の大橋』と呼ばれる石造りの橋が掛かっており、ほとんどの旅行者はここを通っていく。通行料は安くはないが、渓谷は端から端まで丸2日歩かなければいけないほど長い。
その渓谷の南端に大森林が広がっている。魔王国内では珍しい森林だ。木が生えるということは豊富な水があり、土壌も肥えており、たくさんの動物が住んでいる。魔王国にとっては宝の山だ。
現に、魔王国南方はかつては
200年前、魔王軍は、新たなる富と木材を求めてこの大森林に攻め込んだ。
彼らを迎え撃ったのは、森に住む魔族、エルフであった。エルフたちは分厚い短剣でゴブリンの頭をかち割り、身の丈ほどの大きさがある長弓でハーピーを撃ち抜き、茂みに仕掛けた罠でオークの騎獣隊を土の下に葬り、魔王軍を散々に苦しめた。
たまらず魔王軍は森から逃げ出したが、激怒したエルフは森から出撃してきた。怒りのままに各地で報復の焼き討ちを開始。一時は東都バルザフに迫るほどの勢いであった。
100年前、業を煮やした魔王ザッハークは自ら大軍を率いて出撃。強壮公ドゥルジと爆発公タローマティも引き連れて、徹底的な報復を行った。大森林の1/3が炎と毒で失われたと言われている。裏を返せば、そこまでしなければエルフは降伏しなかったということだ。
降伏したエルフたちは全員奴隷とされ、魔王直属の奴隷戦士隊とされた。100年間魔王軍と戦い続けた力は伊達ではなく、戦争に参加すれば必ず戦果を挙げた。あるいはこの力が各地に散らばることを恐れて、ザッハークはわざわざ自らの手元に置いたのかもしれない。
ともかくエルフを排除した魔王国は、安心して大森林の開発を始めた。しかし、大森林の魔獣は非常に強かった。あのエルフたちと同じ場所に住んでいることを考えると、予想して然るべきだったのかもしれない。送り込んだ開拓団は、次々と大森林に飲み込まれていった。
エルフ戦争から今日まで、あまりに多くの犠牲者を出し続けてきた大森林は、いつしか『血の森』と呼ばれるようになり、誰も近付かなくなった。
いるのは精々、王命で強制的に移住させられた開拓団と、命知らずの冒険者、そして『奈落の大橋』を渡れない訳アリの魔族くらいである。
ユーキとスツェリは3番目になろうとしていた。『血の森』を抜けて魔王国東部へ、そこから東の果てにあるカマクラン本拠地、イビルゲート平坂府を目指す。
見送ってくれたシーフォンの話によると、森の浅い所には街道が通されていて、そこなら馬車も入っていけるそうだ。ただ、道があるといっても管理されている訳ではないので、危険なことには変わりない。
それでもスツェリは引き返そうとはしなかった。カマクラン奴隷を売り払うという当初の目的もある。しかしそれ以上に、『血の森』の話を聞いたユーキが心配になるくらいはしゃいでいたからだ。
「面白そう! 行ってみたい! 人がいっぱい死んでそう!」
大太刀を掲げて魔獣の群れに笑顔で突っ込んでいきそうな勢いだ。スツェリとしてはこれを放っておくわけには行かず、ユーキと一緒に『血の森』を抜けることにした。
シーフォンのテントで一泊したスツェリたちは、翌朝にはテントを後にした。シーフォンは長々とした出発の挨拶の後に、いくらかの食料をプレゼントしてくれた。話は長いが、気前のいいモンゴリアンであった。
東に進んでいると徐々に風景が変わり始めた。それまで土と岩しかなかった荒野に、ポツポツと草が生え始め、少しずつ多くなり、やがて緑の絨毯が広がる草原になった。
「おおー……」
「これは、すごいな……」
地平線まで広がる草原を見るのは、ユーキもスツェリも初めてだった。荷台の奴隷たちも外の光景に見惚れている。
「……いやいや、異世界は緑豊かじゃなかったのか?」
「そうだけどねえ。森と山に囲まれてるから、こういう、全部原っぱ、っていうのは見たことないんだよねえ」
「ですね。まず山が少ないですもんね、魔界って」
ユーキと彦三郎の言う通り、日本で地平線まで広がる草原は珍しい。森が無いだけの地域なら畿内にいくつかもあるが、山が無い地域は日本では珍しい。彼らにとってもこの大平原は目を見張る光景であった。
更に先に進み、小高い丘を越えると風景に緑が差し込んだ。鬱蒼と立ち並ぶ木々。『血の森』である。
「なんとまあ……」
見渡す限りの森に、スツェリは身震いした。荒野だらけの魔界において、木というものは貴重である。良質な成木1本には、1年は遊んで暮らせるほどの価値があるほどだ。
つまりこの大森林は、金銀財宝が野ざらしで放置されているようなものだ。前の魔王が軍勢を差し向けてでも手に入れたかったのがわかる気がした。
「森だねえ」
「森ですねえ」
一方、ユーキと彦三郎は特に反応しなかった。この程度の森林は、日本ではよくあるものだ。見慣れた景色に懐かしさすら感じるくらいであった。
「一応、偵察してこよう。森の中で何か起こっていても、外からでは見えないからな」
そう言うと、スツェリは首を飛ばした。分離した首は森の方へと飛んでいき、見えなくなった。残された体は何事もなく馬車を操っている。
ユーキは体だけのスツェリをまじまじと見つめている。
「まだ慣れないんですか」
「いやおかしいでしょ」
「まあ、そうですけど……」
そんな会話をするユーキと彦三郎にはお構いなしに、首無しスツェリは馬車を進ませる。この状態だと耳が無いので、周りで誰か喋っていてもスツェリには聞き取れない。
不意に馬車が止まった。何事かと思い、ユーキはスツェリの顔を伺う。しかし、顔がついていないから顔色がわからない。
何かあったのは間違いない。しかし何があったのかわからない。口が無くて意思疎通ができないからだ。スツェリの体はそわそわと手足を動かすばかりである。
少し考えてから、ユーキは弓を張ることにした。何があったかはわからないが、馬車を止めるということは危ないことがあったのは間違いない。
恐らく、敵襲。スツェリの首を追いかけてくるなら、敵と鉢合わせになる可能性は十分にあった。
やがて森の上空に、こちらに向かって飛んでくるスツェリの首が見えた。その後ろには案の定、追手の姿があった。
「わーお……」
スツェリの首を追っているのは、翼を持ったトカゲだった。中々の大物だ。緑色の鱗を纏い、足に生えた鋭い鉤爪でスツェリを捕まえようとしている。
「気をつけろ、ユーキくん! ワイバーンだ!」
ユーキの方に飛んでくるスツェリの首が叫んだ。同時にユーキは矢を放った。
野魔ベリーの矢はスツェリの横を通り過ぎ、ワイバーンに当たる。しかし矢は硬い鱗に弾かれた。
不意に射掛けられたワイバーンは、スツェリからユーキへと狙いを移した。大きく羽ばたき方向転換すると、地上のユーキに向かって急降下する。魔力も併せた加速は旋風を伴うほどである。
予想外の急接近に、ユーキは二の矢を諦め横へ飛んだ。直後、さっきまでユーキが立っていた地面をワイバーンの爪が抉り取っていった。もしも留まっていれば、ユーキの華奢な体がそうなっていただろう。
離れるワイバーンの背にユーキは矢を放つ。これも背中の鱗に阻まれた。舌打ちしつつ、ユーキは矢筒から
再びの急接近。ユーキは弓を引き絞り、ワイバーンを十分に引き付ける。そして羽ばたきの直後、方向転換ができない一瞬の隙を狙って弦を離した。
しかし、ワイバーンは空中で直角に曲がり、矢を避けた。鎧貫しが空を切る。
「えっ!?」
日本の生物ではありえない動き。魔力を体の横から吹き出し、反動で強引に曲がったのだ。
ワイバーンは弧を描いて滑空、再びユーキを鈎爪で狙う。今度も避けたが、直後、魔力の突風がユーキを襲った。
「ぐっ!?」
地面を転がるユーキ。いかにカマクランが強靭でも、魔力による攻撃には翻弄されるばかりだ。
ワイバーンは低空で旋回、最短距離でユーキを狙う。避けられないと判断したユーキは短刀を抜く。
だが、スツェリが飛び出しワイバーンの首めがけて剣を突き出した。
「このおっ!」
思わぬ横槍にワイバーンは攻撃を中断し、上昇する。その間にスツェリはユーキの横に並び立つ。
「大丈夫か、ユーキくん!」
「平気!」
「ならばよし! さっきの矢をもう一度頼む! 私が迎え撃つ!」
「……できるの?」
ユーキが不信感もあらわに問いかける。スツェリは黙って背中を見せることで答えとした。
ワイバーンが急降下してくる。迷っていたユーキだったが、選択肢は無かった。矢を番えて正面から放つ。ワイバーンは魔力噴射で軌道を変え、矢を避けた。そこから旋回、今度こそユーキを捕らえようと迫る。
「おおおっ!」
だが、今度はスツェリがいた。旋回によって速度が落ちたワイバーンに迫り、長剣を突き出した。鱗に覆われていない腹に刃が食い込む。そしてスツェリは呪文を唱えた。
「稲妻に潰れよ! ドーンハンマー!」
込められていた魔力が電流となり、ワイバーンの胴体に流し込まれた。ワイバーンが大きく体を痙攣させる。
それでも絶命には至らない。ワイバーンは慌てて後ろへ飛び退る、が。
「ようこそ」
逃げる先には大太刀を構えたユーキが待ち構えていた。
白刃一閃。魔力噴射の隙も与えず、刃がワイバーンの首を斬り裂いた。骨まで達した傷から青い血がほとばしり、ユーキの全身に浴びせられる。
力を失ったワイバーンの体が、どう、と倒れた。
「大丈夫か、ユーキくん!」
「……平気」
駆け寄るスツェリに、全身を青い血で染めたユーキが答える。憮然としている。
「どうした!? どこかケガしたか!?」
首を斬ったのに不機嫌な様子に、何かあったのかとスツェリは心配する。
「ううん。ケガはしてないよ。信じちゃっただけ」
「……どういうこと?」
スツェリの疑問にユーキは答えず、短刀を取り出すとワイバーンの首を切り取りにかかった。
――
スツェリたちを追って東へ向かっていた奴隷商のアーダマたちであったが、先に進めば進むほど不穏になってきた。
まず、街道沿いに首のないゴブリンの死体が散乱していた。そのゴブリンの首は、野営の跡にまとめて置かれていた。
続いてコボルトたちの死体と、首のないカマクランの死体を見つけた。異世界からの侵略者が魔王国中央部まで来ていることにアーダマは驚き、慌てて領軍に通報した。
死体を確認した隊長はこう言った。
「これは近所の農場から逃亡したカマクラン奴隷ですね。討伐していただきありがとうございます」
どうやらカマクラン奴隷が脱走し、コボルトを率いて盗賊行為を働いていたらしい。農民とはいえカマクラン。力は強いし知恵も働くため領軍も手を焼いていたそうだ。
「わしらが殺したのではなく、死体になってたんじゃが……」
「……じゃあ誰が?」
更に東へ進むと、物騒なものを見つけた。廃村の周りに吊るされた、オークの盗賊団の首である。その数19。何らかの儀式ではないかと魔術師が派遣されたが、ただの残虐行為だと認定された。余計に物騒だ。
ここまで来るとさすがのアーダマたちもおかしいと思い始めた。デュラハン1人で出せるような被害ではない。別の凶暴な何かの仕業かとも考えたが、近くの村のワーラビットたちの話によると、アーダマの商会の紋章が入った馬車が確かに訪れたし、そこには女デュラハンも乗っていたという。
アーダマは頭を抱えた。数々の被害はともかく、アーダマの馬車が近くにいたということが問題なのだ。変に結び付けられて噂されたら風評被害で売上が落ちる。
「とにかくさっさと止めなきゃならん。東に向かってるのは間違いない、なら『奈落の大橋』を通るはずじゃ。行くぞ!」
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