第23話 魔界のネンブツ
結局、ユーキがわがままを押し切って、まず悪党たちの首を切ることになった。終わった頃には日が傾いていたので、急いで吸血コウモリの巣から離れ、ちょうどいい野営地を探した。
彦三郎たちが焚き火と食事の準備をしている間に、ユーキのケガの手当てをすることになった。
「さあ脱げ」
「なんで」
「脱がないと薬を塗れないし包帯も巻けないだろう。脱げ」
「いや、その『なんで』じゃなくて……スツェリさんが薬を塗ろうとしてるのは『なんで』、って意味なんだけど」
スツェリは塗り薬を手にして鼻息を荒くしている。ちなみにこの塗り薬は、エルフからスツェリにプレゼントされたものである。打撲によく効くのはスツェリが身を以て証明済みだ。しかし塗り薬なので、別に誰が塗っても効果は変わらない。
「手の届かない所とかあるだろう。肩の後ろとか」
「いや、届くけど」
そう言って、ユーキは肘を頭の後ろに回し、肩の後ろを手で撫で回す。
「うわあ、体柔らかい!?」
「そもそも背中に岩は受けてないし。ほら、お薬貸して」
「ぬう……」
そうまで言われてはスツェリが手伝う理由はない。薬の瓶をユーキに手渡した。ユーキは薬を受け取ると、着物をはだけてアザの上に薬を塗り始めた。
ユーキの体は青黒いアザで斑模様になっている。元の肌が白い分、余計にアザが痛々しい。アザに指が触れる度にユーキの眉が僅かに動く。
「痛くはないか?」
「平気」
それでもユーキは強がっている。努めてそうしている。戦士である以上、他人に弱みは見せられないか。
なにかしてあげたいが、スツェリにできることは何もない。回復魔法が使えれば痛みを和らげることもできただろうが、あいにくスツェリは適正を持たない。使えるのは魔導具を通して放つ雷の魔法と、使い道が限られたデュラハンの魔法だけだ。
「何かできることがあったら言ってくれ」
「大丈夫」
本気で助けてあげたいのだが、ユーキはひとりで薬を塗って、包帯を巻いて、手当てを終えてしまった。出番がなくてスツェリはしょんぼりした。
「あのー、すいません。姐さん、お侍様」
ユーキが着物を整えたところで、彦三郎が声を掛けてきた。
「なんだ?」
「あの首、いちおうネンブツのひとつでも唱えといた方がいいと思うんですが、いいですかね?」
あの首、というのは、野営地の片隅に積み上げられている悪党たちの首である。全部で10個、ユーキが手作業で収穫したものだ。
「ネンブツ、とは何だ?」
「仏さんのありがたい言葉です。
「アンデッド避けの魔法なら、私がさっきかけておいたぞ」
「そういうんじゃないんですよ。そもそも何ですか、アンデッドって」
彦三郎に訊かれて、スツェリは居住まいを正した。
「アンデッドというのは、魔力によって動き出した死者だ」
「やっぱり化けて出るんですね。
「たまにじゃないぞ。きちんと処理しなければ、必ずアンデッドになる」
「必ず!?」
彦三郎は驚いているが、魔界では当たり前の話だ。何しろ死体や霊魂に魔力が干渉することでアンデッドは生まれる。そして、魔力は魔界中に当たり前のように存在するのだ。つまり誰かの死を放っておけば必ずアンデッドになる。
「せっかくだし教えておこう。アンデッドには2種類ある。
ひとつは、死んで魂を失った遺体に魔力が溜まって動きだしたもの。ゾンビやスケルトンがこれに当たる。
もうひとつは、体から離れた魂が、魔力を通して現世に干渉するようになったものだ。こちらはゴーストやファントムが当てはまるな。
いずれにしろ死者が動くということには変わりない」
「ほっといたら蘇るなら、お葬式とかいらないんじゃないの?」
ユーキの疑問に対し、スツェリは首を横に振った。
「違うぞ、ユーキくん。アンデッドは、生者とは似て非なるもの。一種の魔獣だ。
魂無きゾンビに意志は無く、目につくものに手当たり次第に襲いかかる。体を失ったゴーストに理性は無く、生者ではわからぬ理論で、意志の力をそこら中に撒き散らす。
生き返るわけじゃない。死体の一部が勝手に動くだけなんだ。それで被害を増やさないために、アンデッド避けの呪文をかけるんだ。そちらでいうネンブツ、というものだな」
「いやですから、念仏ってそういうのじゃないんですよ。死人を弔うための言葉で、魔法とかそういうのじゃないんです」
「……弔い? カマクランは神を信じているのか!」
彦三郎の言葉を聞いて、なぜかスツェリが表情を明るくした。
「神様っていうか仏様なんですけど……いや、神様もいますけど」
「いや、いい! 神様でもホトケサマでもいい! 神を信じている魔族はほとんどいないからな!」
「ええ……?」
彦三郎とユーキは顔を見合わせた。
「まあ待て。言いたいことはわかる。私だって同じ気持ちだからな。これには魔界特有の事情があるのだが……先に食事にしよう」
スツェリは焚き火の方に目をやった。すっかり夕食の準備が整っている。そして、カマクラン奴隷たちが、腹減ったから早く話が終わらないかな、とスツェリたちの方を眺めていた。
――
魔界は
しかし、造られてしまった以上、世界は壊れていく。川は枯れ、森は焼け、始まりの人々は崩れ落ちた。
代わりにやってきたのは
「造の神はなんでもかんでも始めすぎる。とうとう世界まで終わらせる羽目になった。これは時間がかかるぞ」
そうして終の神は魔界を終わらせ始めた。しかし、世界ひとつを終わらせるのには時間がかかる。川を埋め、森を刈り、始まりの人々に死を与えた。そうしていると、造の神が作った別の世界から死人がやってきた。
「終の神様! あちこちの世界が死者で溢れかえって大変です!」
「なにー!?」
終の神が魔界を終わらせている間に、造の神は様々な世界を作っては放り出していた。それらの世界に終の神が訪れないから、誰も死ねなくて大変なことになっていた。多次元ゾンビアポカリプスである。
このままではすべての世界が死ねない人間で溢れかえってしまう。だからといって、終の神がそれぞれの世界をいちいち回っている時間はない。
そこで終の神は、すべての世界で終わりの時が来たものを魔界に呼び寄せることにした。死者は一度魔界に来て、魔族として転生する。そして終の神による本当の終わりを与えられるまでの順番待ちをしているのだ。
「ま、そういう訳で魔族は神を信じないんだ。世界を造った神には見捨てられているし、今いる神は我々を終わらせることしか考えていない。
そもそも世界が生きづらい。魔石がなければ畑も満足に作れないような環境だ。信じるどころか、文句を言う魔族だっているくらいだぞ」
長い話を終えた後、スツェリは水を一口飲んだ。たくさん喋ったので喉が疲れていた。
「ふーん」
「はあ」
それだけ喋ったにも関わらず、彦三郎たちの反応は芳しくない。宗教談義は知識人のものだ。寺に行くのは風呂と葬式の時くらいしかないカマクランの農民にとっては、まるで想像もできない話である。
その上、スツェリの話は、彦三郎たちが僅かに知る魔界の常識とも違う。
「神様とか仏様の話、前の主人からは聞いたことないですけど……?」
「あー、まあ、うん。これ、私の地元くらいでしか信じられてない話だから……」
「マイナー宗教かよ」
「佐渡に流されたりしない?」
そもそも魔界で神について考える人が少ない。スツェリはデュラハンという種族柄、神や死についていろいろと知っていたが、これは例外だ。その辺のオークに神について質問したら、考えたこともないと一蹴されて終わりだろう。魔界でもっとも信じられているものは
「で、でもデュラハンはそういう魂や死後の世界を垣間見たりできるから、デタラメを言ってるんじゃないんだぞ。ただ、当たり前のように見えるから他の種族には教えづらいだけで。本当だぞ」
「まあ嘘ついてるとは思えませんけど……」
彦三郎たちはあまり信じていない。何しろ魔界の宗教だ。彦三郎たちが信じているものとは何から何まで違う。それが本当かどうか判断しろと言われても困る。
ただひとり、ユーキだけは何も言わなかった。スツェリには目を向けずに、焚き火の炎をじっと見つめていた。
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