第3話 荷台の彦三郎

 ユーキとスツェリが乗った馬車は、街道を引き返して東へと向かっていた。馬車を操るのはスツェリである。デュラハンは馬や騎獣の扱いにも長けている種族だ。

 時折スツェリは首を上空に飛ばして周囲の様子を伺う。空からの偵察は効果的だ。盗賊や魔獣が隠れていてもすぐにわかる。

 しかし、スツェリが首を飛ばす度に、隣に座るユーキはびくっと肩を震わせるのには少々困っていた。


「そろそろ慣れてほしいのだが」


 5回目の首射出を終えたスツェリは、相変わらずドラゴンを見るような目をしているユーキに話しかけた。


「慣れるわけないでしょ。なんで首が無いのに生きてられるのさ」


 ユーキは口をとがらせて反論する。


「何故と言われても、デュラハンはそういうものだから仕方ないだろう。キミは魚に『エラ呼吸ができるのはおかしいだろう』と聞くのか?」

「いや、おかしいって。こっちに来てからいろんな人の首を斬ったけど、スツェリさんみたいに生きてる人は一人もいなかったよ」

「……ちょっと待て。例えば何を斬った?」

「えーと、ゴブリンでしょ、コボルトでしょ。オーク、リザードマン、ドワーフ、ワーウルフ、サキュバス、インプ、ワイバーン……」

「やりすぎだバカモノ!?」


 大量殺人犯である。


「だって、執権しっけん殿どのが切り取り次第って言うから……」

「切り取るのは首じゃないと思うぞ!?」

「じゃあ何を切り取るのさ!」

「えっと……彦三郎!」


 スツェリは後ろの荷台の奴隷に助けを求めた。オーガに食われかけていた奴隷は彦三郎という名前で、ユーキに比べたら常識を持ち合わせたカマクランであったため、異文化コミュニケーションのサポートをお願いしている。


「はい! 切り取り次第ですから……多分、魔界の土地の事だと思います!」

「だそうだ。……待って、今そんなことになってるのか!?」

「あー、うん。そうそう。魔界にどんどん武士が来て、そこら中に攻め込んで領地にしてるよ」


 魔王ザッハークによる魔寇を返り討ちにした後、鎌倉幕府は異世界の存在を全国に公表した。それと同時に、異世界に攻め込んで獲得した領地の支配を認める『異世界、切り取り次第』の触書を発布した。

 これは鎌倉幕府執権、北条ほうじょう時宗ときむねの狡猾な策である。魔寇で戦果を挙げた武士に幕府は恩賞を出さなければいけないのだが、魔寇は防衛戦であったため新たな土地を獲得できた訳ではなかった。そこで、恩賞の代わりに異世界を切り取り次第支配することを認めたのだ。

 結果、当初から魔界入りしていた九州御家人や六波羅探題の軍勢に加え、全国各地から一攫千金を狙って零細御家人が次々と魔界へとなだれ込んだ。

 魔王の討ち死にで混乱していたファージャル魔王国は抵抗できず、鎌倉武士カマクランに次々と領土を切り取られている。


「そうするとさ、異世界全体が、戦場みたいなものでしょ? 戦場ならどれだけ首を取っても怒られない! だから切り取り次第だよ!」

「彦三郎?」

「おかしいです」


 戦争とはいえ、むやみやたらに人を殺せばいいものではない。撫で斬りにしたら田畑を耕す人間がいなくなる。鎌倉武士カマクランにとって、敵国の住民は未来の労働力なのだ。

 ましてや領地にも恩賞にも興味を持たず、人を殺すためだけに異世界にやってきたユーキは、彦三郎が言う通りカマクランの常識に照らし合わせても常軌を逸していた。


 これは釘を差しておかねばなるまい。スツェリは溜息をついた。


「ユーキくん。先に言っておくが、これからは不要な殺しは我慢してほしい」

「えー、なんで?」

「目立つからだ。この辺りは焦熱伯ジャルディーンの領地だ。そこでカマクランが人を殺して回っているという噂が流れてみろ。領主が軍勢を率いてやってくるぞ」

「何人くらい?」

「即応できる手勢だけでも500人はいるはずだ。だが、数は問題ではない。ジャルディーン伯爵はイフリートだ。もしも敵対すれば、一歩も動かぬうちに灰になるぞ」


 焦熱伯ジャルディーンは、魔寇から生還し、現地のカマクランを何人も討ち取った豪傑である。いくらユーキが強くとも、強さの次元が違う。相手にならないだろう。


「500人かあ……それはちょっと厳しいねえ」

「人数の問題ではないと言っているだろうが……」


 スツェリは大きな溜息をついた。それから息を吸い込む。ほのかに甘い匂いが鼻をくすぐる。その匂いの元は隣にいるユーキだった。


「……なあ、ユーキくん」

「なあに?」

「香水をつけているのか? おそらく男子だろうに、珍しいな」


 香水は魔界の女性の嗜みだ。庶民でも花の香りの香水をつけるし、王侯貴族となれば自分専用の香水を作らせている者もいる。傭兵のスツェリだって、安物の香水を持っているほどだ。

 ただ、男性が香水をつけるのは珍しい。しかもユーキが纏わせている甘い香りは、魔界では聞いたことのないものだ。物騒な趣味に反して、非常におしゃれである。


「香水じゃなくてお香だよ。沈香じんこうっていって、火をつけると香りがついた煙が出るから、それを服に染み込ませてるの」

「ほう! そういう匂いの付け方もあるのか。その香りはユーキが自分で選んだのか?」

「いや? 血の匂いが酷いから、京のお貴族様に無理矢理焚かれたの。あれから結構返り血浴びてるのに、全然匂いが落ちないんだよねえ」

「ええ……」


 いい香りの話をしていたのに急に血生臭くなった。台無しである。まさか、この着物が赤黒いのは、返り血に染まったからなのか。それは臭いも酷いはずだ。

 しかし、ユーキを香で燻したカマクランの貴族の気持ちもわからなくもない、とスツェリは同情した。

 何しろこの血生臭さに目を瞑れば、ユーキは相当の美少年である。種族が違うスツェリの視点からでもわかるのだ、カマクランからしてみれば、それこそ香を焚きしめ着飾らせたい逸材に違いない。


「せっかく似合うんだから、子供のうちにできるだけおしゃれしたほうがいいと思うんだがな」

「僕、もう元服してるけど」

「……げんぷく?」

「一人前の大人ってこと」


 スツェリは信じられない、といった表情でユーキを見つめた。御者台で足をぶらぶらさせて座るユーキの姿は、どう見ても少年である。これが大人など、冗談としか思えない。

 更に首を回して、彦三郎の方を見る。彼もぽかんと口を開けていた。彦三郎はスツェリの視線に気付き、首を横に振る。同じカマクランから見ても信じられないようだ。


「ほんと?」

「当たり前でしょ。子供だったら、まず武器が手に入らないじゃない」


 確かに、ユーキが持つ大弓も大剣も、子供が持つものではない。つまり一人前の戦士なのだろう。理屈はわかる。わかるが、あまりにも可愛らしくて感情が拒否する。


「反則だろう……これは。いくらなんでも反則だろう……」


 ブツブツ言いながら、スツェリは馬車を走らせた。ユーキは会話に興味を無くしたようで、荒野の風景をぼーっと眺めながら馬車に揺られていた。


 しばらくすると、スツェリは馬車を停めた。街道のど真ん中だ。周りには何もない。せいぜい、遠くに少し背の高い草むらがあるくらいだ。


「どうしたの?」

「今日はここで野宿だ。そろそろ日が暮れる」


 スツェリは御者台から降りると、馬車のカーテンを開けて、中の奴隷たちに呼びかけた。


「お前たち! 向こうに野魔ベリーの茂みがある! 採れるだけ採ってこい! 今日の夕飯にするぞ!」


 奴隷たちはゾロゾロと荷台を降り、茂みへと向かう。足取りは重いが、今日の糧を自分たちで採るということで誰も不満は口にしない。


「魔獣や野盗、不審なものを見かけたらすぐに私に知らせろ。対応する。

 それと、お前とお前」

「はいっ!?」

「なんですかっ!?」


 呼び止められたのは奴隷二人だ。


「お前たちは薪を拾ってこい。野魔ベリーの枯れ枝はいい燃料になる」

「あっはい」

「わかりました」


 特に酷い命令ではないとわかると、奴隷たちはいそいそと茂みへ向かった。

 ギシギシと木が軋む音がする。スツェリが振り返ると、ユーキが馬車を使って大弓を張っていた。


「……何をするつもりだ?」

「野宿でしょ? ひと狩り行ってくる!」

「ああ、うん。それはいいな。頼む」


 野魔ベリーは水分が豊富だが味が薄い。肉があればバランスが取れるだろう。


「暗くなるまでに帰ってくるんだぞ」

「はーい!」


 元気よく返事をすると、ユーキは弓を片手に駆け出していった。



――



 1時間後。


「人狩ってきた!」

「強盗ーッ!?」


 弓にゴブリンの生首を4個も括り付けた血塗れのユーキが意気揚々と帰ってきた。

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