第10話 丸洗いのスツェリ

 オークの盗賊団は一夜にして壊滅した。19体のオークが死に、首領のヤーシブも討たれた。ユーキが獲った首を数えたから間違いない。

 首は廃村を囲む石垣の上に並べた。オークの生首に囲まれた村という凄まじい光景だ。前の魔王ザッハークはしばしば罪人の死体を磔にして城門に並べたが、その残虐性に勝るとも劣らない。逃げ出したオークたちもこの光景を見れば、二度とこの辺り一帯に近付かなくなるだろう。

 そんな地獄絵図を作り出したユーキたちは村に戻り、奪われた村の財産をワーラビットたちに返しているところだった。持ってきたのは、食料と魔石、それにスツェリたちの取り分となる物資だ。


「ありがとうございます……! 助かった、これで村を捨てずに済む……!」


 魔石を受け取ったワーラビットの村長は、村の中心にあるオアシスに向かった。そこにある祭壇に、村長は魔石を嵌め込む。すると祭壇が淡く輝き、続いて水が溢れ出した。

 清らかな水が注がれ、少し濁って水位も低くなっていたオアシスがたちまち息を吹き返す。さらに、水はオアシスから四方の水路に流れ込み、地下水路を通って農地全体を潤していく。これで春には立派な小麦が収穫できるだろう。


「便利だねえ」

「ですねえ。あれが日本にあれば、どんな所も田んぼにできますよ」


 無から水を生み出す祭壇を眺めながら、ユーキと彦三郎はしみじみと呟く。日本ではまず見られない魔法という現象は、カマクランの目を引くには十分であった。


「おーい、ユーキくん」


 そこにスツェリがやってきた。手には何故かタオルを持っている。


「んー?」

「村の人たちと話がついた。約束通り、必要な食料と水、あと毛布とかの物資を分けてもらえたよ」

「よかったねえ」

「それとおまけも付けてもらえた」

「おー。おまけ、おまけ。嬉しいねえ。何もらったの?」

「風呂だ」

「……んー?」


 ユーキは目をぱちくりさせ、首を傾げた。


「お湯をもらった、ってこと?」

「そんなわけあるか。風呂だよ、風呂。風呂を沸かしてもらったんだ。入るぞ」


 魔界において、入浴の習慣はさして珍しいものではない。水の魔石と火の魔石、それに水を溜めておく場所さえあれば、例え荒野のど真ん中であろうと風呂には入れる。魔界で一番高い山、イックーム山の頂上で風呂を沸かしたヴァルムスタック卿の伝説があるほどだ。

 農村ではさすがに毎日は入れないが、週末に露天風呂が解放されて村人全員でのんびり湯に浸かるくらいの余裕はある。今回は村を救ってくれたユーキたちに寛いでもらおうと、村人たちが特別に沸かしてくれたらしい。


「えっ、いや、僕はいいよ。みんなで入ってきたら?」

「何を言う! キミが入らないと意味がないだろう! それともカマクランには風呂に入る習慣が無いのか、彦三郎?」

「いやありますあります、ありますよ!?」


 日本にも入浴の習慣はある。鎌倉時代は蒸し風呂か温泉が主流だ。武士や貴族はもちろん、寺院が施しという名目で蒸し風呂を定期的に開放していたので、庶民も入浴を知っている。


「でも、僕が入らないといけないってどういうこと?」

「気付いてないのか君。臭いぞ」

「いきなり悪口?」

「違う、悪口じゃなくて事実だ。オークの血と脂で凄いことになってる」


 今のユーキは、髪は返り血で強張り、顔には血を拭った痕、服には血が染み込み、腕は血と脂でぐっしょりと染まり、足元は血が未だに乾いていない。赤と青のまだら模様で、どちらかというと青の方が強いという有り様だ。

 そんな格好なので、ユーキは酷い臭いの発生源になっていた。服に焚き染められた香も意味をなさないほどだ。

 村を救った英雄なのにワーラビットたちが近付かないのはこれが原因である。実は隣の彦三郎も、臭いがヤバいなと思いながら我慢していた。


「だから洗うぞ。君が汚いままなど私が許せん」

「いいよ別に、入らなくても死ぬわけじゃないし」

「……そんな臭いでは、闇討ちができなくなるぞ?」

「んぐ」


 何かを思い出したように、顔を歪めるユーキであった。



――



 そんな訳で丸洗いである。洗い落とした汚れで凄いことになると判断したワーラビットたちによって、ユーキとスツェリのためだけに浴場がひとつ貸し切りになった。奴隷たちはもうひとつの浴場を男女交替で使っている。

 そう。ユーキとスツェリのためだけの貸し切りだ。2人は一緒に風呂に入っている。というか、スツェリがユーキを無理やり風呂に押し込んだ。


「自分で洗えるんだけど!?」

「髪の洗い方がなってない! 教えてやる!」


 なお、魔界で風呂に入る時は、男女ともに麻のローブを身に纏う。鎌倉時代における湯帷子と同じようなもので、これはユーキたちもすんなり受け入れた。それでもユーキはスツェリの方を見ようとしないが。


 洗い始めると、ユーキの汚れは想像以上に酷いものだった。魔界に来てから風呂に入ったことはなく、汚れが気になった時は小川やオアシスでの行水で済ませていたらしい。

 これは洗い甲斐がある。孤児たちの世話をしていた頃を思い出し、スツェリは下心抜きで奮起した。


「ほら見ろ、流したお湯が茶色い。これが全部、乾いた返り血なんだからな」

「うええ……」

「特に髪が酷い。血で固まってガサガサになってる。ちゃんと洗ってるか?」

「洗ってるよう」

「どんな風に?」

「こんな風に、ガシガシって」


 ユーキは指を立て、自分の頭に添え、髪を掻き回す仕草をする。


「ダメだ!」

「えー!?」

「そんな洗い方じゃあダメだ! 髪が痛む! 髪の根元じゃなくて、頭皮を指先で小刻みに、こうだ!」


 ユーキの頭頂部を指先でわちゃわちゃと洗う。頭皮にこびりついた血と脂をこそぎ落とす。こんなので病気にならないのかと心配になる。


「てっぺんを洗ったら、次は頭の横だ。ほら、首を外せ」

「えっ」

「早く首を外せ」

「いや、むり!」

「そうだった」


 デュラハン流のやり方だと、首を外して頭の横と後ろをていねいに洗っていくのだが、ユーキはデュラハンではなくカマクランだった。


「えーと、そしたら……手探りで頑張って洗ってみなさい。私が見ててあげよう」

「それくらい見られなくても、自分で洗えるし……」

「じゃあ今までの体たらくはどうなんだ、うん?」


 スツェリの圧に押され、ユーキはしぶしぶ頭を洗い始めた。


「うむ、頭の横はまあそうとして……あー、ちょっと待て。耳の後ろを忘れているぞ。そうだ、汚れが溜まりやすい。

 頭の後ろは……おいおい、うなじがちゃんと洗えてないぞ」

「髪が邪魔……」

「そしたら、前かがみになって、髪を顔の前に垂らして……そうだ。それなら洗いやすいだろう。

 あー、こらこら。そのまま髪を洗おうとするんじゃない。血の塊に引っかかって髪が痛むだろう。そこは指先じゃなくて手のひらで挟んで、こうだ」

「頭が重い」

「我慢しろ。せっかくいい髪をしてるのに、もったいない。

 うん。それで、毛先まで洗ったらすぐにタオルで水を取る! 濡らしたままだと頭が重いし、髪にもダメージが入るからな。

 ああ、だからゴシゴシするな! 髪が痛む! そうだ、全体的に優しく、拭くんじゃなくて水を吸わせるんだ。

 で、十分に乾いたらこの紐で髪を留めろ。湯船に浸かって髪が濡れないようにな」

「め、めんどくさい……!」

「こんな綺麗な髪をしておいて! 宝の持ち腐れだぞ、羨ましい……!

 さて、髪は洗い終わったし、次は体を……」

「そっちは自分で洗えるから!?」



――



 じっくりことこと1時間。風呂桶のお湯を5杯も浸かって洗った結果、ユーキは見違えるようにきれいになった。服も洗って香水を吹きつけているので、積み重なった死臭はきれいさっぱり無くなっている。

 そうするとまあ、気品がある。元の素材が良い上に、立ち振る舞いも洗練されているので、武士の嫡男とか貴公子とか言われても遜色ない。実際武士の嫡男なのだが。

 同じカマクランの彦三郎たちはもとより、ワーラビットたちすら只者ではないと感じるほどであった。


「ふっ、ひっ、へへへ……」


 そして、そんな美少年光線を至近距離で1時間も浴び続けていたスツェリは、もうなんかダメになっていた。


「大丈夫ですか?」

「磨けば光るとは言ったけどねえ、まさか太陽が昇るとは……」

「大丈夫ですか?」

「このままでは心がローストチキンになってしまうよ」

「医者」

「軽い湯あたりです」

「軽い湯あたりでよかったねえ」



――



 オーガの群れに襲われた蛙人間フロッガーの奴隷商アーダマは、傭兵たちとともにひとまず近くの都市に逃げ込んだ。それから一晩経って、追手のオーガが来ないことを確かめると、恐る恐る襲撃地点へと戻った。逃げる時に置いていった商品を、可能な限り回収するためである。

 だが、彼らはそこでおぞましい惨状を目の当たりにした。


「何じゃこりゃあ……」


 街道に転がっているのは、オーガたちの死体であった。しかも、1体は頭が黒焦げになっているし、3体は首を切断されている。死体から流れた青い血が街道に流れ、異臭を放つ血の池を作っている。

 予想外のものが転がっていた代わりに、予想していたものはなかった。囮にした奴隷と傭兵の死体、それに馬車の残骸だ。


「どういうことだ?」

「アイツひとりでやったんか?」

「んなバカな……」


 オーガ4体を屠るなど正気の沙汰ではない。軍勢に例えれば200人、貴族に例えれば男爵クラスの戦力が必要な相手である。だからこそ、アーダマたちは囮を残して一目散に逃げ出したのだ。

 だが、現実にはオーガは全滅し、馬車は姿を消している。通りすがりのカマクランという不確定要素を知らないアーダマたちには、スツェリがひとりでやったとしか考えられなかった。


 そして、その結論に辿り着いた時、アーダマは余計な推理を導き出す。


「あの女……ワシを騙しおったな……!」


 騙して囮にした事を棚に上げた言い草である。しかし、欲にまみれたアーダマの頭は、スツェリが実力を隠して懐に入り込み、財産を盗もうと企んでいたとしか思えなかった。

 これが単なる商品なら諦めもついたが、失ったのはカマクランの奴隷10人。馬車も合わせれば、行商3往復分の赤字である。ここまでの大損害を与えられて、黙っていられるわけがない。


「追うぞ! 奴隷の馬車だ、そう速くは進めまい! 追いかけてワシの財産を取り返すんじゃあっ!」


 アーダマの馬車と護衛の傭兵たちは、スツェリの後を追って東へ向かった。

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