第17話 樹上のアンカブート
蜘蛛の魔物、アンカブートは目が悪い。代わりに触覚が鋭い。巣に何かが触れれば、例え木百本分離れていてもわかるという。そのため昼でも夜でも動きはあまり変わらない。
そこでエルフたちは、夜間は準備に徹し、夜明けとともに現地へ向かうことになった。エルフの朝駆けである。
エルフたちの戦装束は濃緑色の丈夫な服の上に、森の魔獣の革で作った鎧を身に纏ったものだ。目立つ金髪や白い肌は、帽子やフェイスペイントで隠している。さらに隠蔽魔法も使うため、並の魔族では隣を歩かれてもまったく気付けない。
武器は噂通り、
姿が見えず、道無き森を通り抜け、大弓を使いこなす戦闘集団。魔王軍と100年も戦い続けられるわけだ、とスツェリは感服していた。
そういうスツェリはいつもの白銀の鎧に泥を塗っている。光が反射して目立つからだ。後で洗えばいいのだが、やっぱりちょっとみっともない。
隣のユーキの服はいつも通りだ。この暗い赤色は土の色に近い。地面に寝そべればそう簡単には見つからなくなるだろう。
なお、馬車と彦三郎たちはエルフの隠れ里で留守番している。さすがにこの戦いにはついてこれそうになかった。
先頭のエルフが足を止め、後方に静止するよう手を掲げた。とたんにエルフたちの間に殺気が満ちた。スツェリとユーキも身構える。
獣道の先に丸太の壁がある。恐らく、魔王国の開拓村だろう。しかしその壁は白く粘ついた糸に覆われていた。壁だけではない。そこら中に木よりも太い蜘蛛の糸が張り巡らされている。
ここからはアンカブートの縄張りだ。あの糸に触れればたちまちアンカブートが現れ、食われてしまうだろう。
エルフたちは糸の結界の手前に展開。それぞれ弓を構える。ユーキとスツェリもそれぞれの得物を用意する。
全員の準備が整ったのを見て、先頭のエルフが糸に向かって木の枝を投げた。枝が当たった糸がゆっくりと揺れる。
これでアンカブートが来るはずだ。そこをエルフの一斉射撃で迎え撃つ。一当てで倒せるとは思っていないが、先制攻撃で大きなダメージを期待できる。
スツェリたちは巣の向こう側に視線を注ぐ。僅かな予兆も見逃さないように。
しばらく待ったが、アンカブートは姿を現さない。
「来えへん……」
「しっかせい。アンカブートに聞かれもっそ」
焦れたエルフたちがささやきあう。ユーキも困惑して首を傾げている。
その時、スツェリの頭に何かが当たった。石や木の葉ではない。液体だ。髪に手をやると、青い液体がついた。魔族の血液だ。
見上げる。頭上の木々にびっしりと白い糸が張り巡らされていた。その糸に足をかけて、緑色の巨大な蜘蛛がぶら下がっていた。赤く光る複眼が、スツェリたちを見下ろしている。先程まで食事中だったのだろう。口から青い血が垂れ、スツェリの頬を濡らした。
縄張りの手前で待ち構えていると思いこんでいたが、とっくにスツェリたちは縄張りに踏み込んでいた。
「……上だっ!」
スツェリの一言で察したのは、さすがのエルフたちであった。素早く弓を頭上に向け、アンカブートに向かって放つ。数十本の矢が天上の蜘蛛へ向けて飛ぶ。何本かは刺さったが、大半は弾かれた。
「ちいっ!」
「ほとんど弾かれてんぞ!?」
「上に撃っちょる! そげなるのも当然でごわす!」
アンカブートが糸から足を離した。家より大きな巨体が、スツェリたちに向かって落ちてくる。
「下がれっ!」
タトゥーインの掛け声が響く。直後、アンカブートが落下。逃げ遅れたエルフが下敷きになった。肉が潰れる音が森林に響く。
「クソがっ!」
「撃てっ、撃てぇーっ!」
エルフたちが次々と矢を放つ。距離が縮まった分、刺さる矢の数も多くなるが、アンカブートはものともしていない。矢は硬い表皮に留まり、有効打を与えられていない。
アンカブートが口を開いた。そこから大量の白い糸が吐き出される。避けそこなったエルフたちが糸に巻き込まれ、近くの木に叩きつけられた。
アンカブートの前に赤い影が飛び出す。ユーキだ。アンカブートは噛みつこうとするが、ユーキはひらりと身を躱した。そのまま方向転換、アンカブートの足元に飛び込み、得物を振り上げた。
今日のユーキの得物は槍のように柄が長い大太刀。
長巻化の利点はリーチが長くなっただけではない。重量バランスが整って振り回しやすくなり、斬撃半径の拡大により刃にかかる遠心力も倍増する。
そこから導き出される破壊力は、丸太のようなアンカブートの足を斬り裂くに至った。8本脚の1本を失い、アンカブートは大きくバランスを崩す。
「シャアッ!」
「良か一撃ぞ!」
エルフたちが矢を放つ。数人は短剣を抜き、アンカブートの表皮を砕こうと飛びかかる。
アンカブートが口を開いた。そこから毒々しい紫色の霧が吹き出し、エルフの1人を直撃した。
「ごふっ……!?」
途端に口から血を吐いて倒れるエルフ。周りの草も猛烈な勢いで枯れていく。毒霧だ。近付いていたユーキやエルフが察して後退する。だが、少し吸い込んだようで足元がおぼつかない。更にアンカブートは毒霧を撒き散らし、エルフたちを寄せ付けない。
「災いを尽く洗い清めたまえ……グライニヒト!」
スツェリは剣を構え、呪文を唱える。彼女を中心に淡い光の領域が発生した。流れてきた毒霧は、光に触れると跡形もなく消え去った。解毒の結界の呪文だ。
「すまん!」
「ようしたぁ!」
エルフたちがスツェリの後方に周り、毒から身を守りながら射撃を続ける。他にも、毒霧が届かない距離まで下がったエルフたちいるが、そちらからの矢は距離が遠すぎて弾かれてしまう。
アンカブートは木を登り、頭上に張り巡らされていた巣へと飛び移った。脚が1本足りないとは思えない動きだ。樹上を素早く這い回ったかと思うと、いきなり地面へ急降下。そこにいたエルフを脚で薙ぎ払う。アンカブート自身は落下せず、腹から生やした糸にぶら下がり静止。糸を巻き上げ上方へ戻る。
「チクショウ!」
「関節だ、関節を狙え!」
エルフたちの攻撃がアンカブートの関節に集中する。首や胸に数本の矢が刺さる。中には脚の関節を撃ち抜く者もいて、アンカブートに着実にダメージを与えていく。
一方、アンカブートは木の陰に隠れながらスツェリたちに接近。更に糸を吐き出してくる。何人かのエルフが粘ついた糸の下敷きになる。スツェリの即席解毒結界では糸を防ぐまでには至らない。
「突っ込んでくっぞぉ!」
「散れっ、散れっ!」
アンカブートが巣から飛び降りてくる。エルフたちは射撃を中断し、散開。スツェリも慌ててその場を飛び退く。地響きとともにアンカブートが着地。毒霧を吹いてエルフを牽制する。
「光よ、敵を貫け! ナデル!」
スツェリは光の矢でアンカブートの目を狙うが、狙いが外れて表皮に弾かれた。アンカブートがスツェリを睨み、突進してくる。スツェリは斜め後ろに飛んで回避。アンカブートは後ろにあった大木にぶつかって止まり、再びスツェリに向き直る。
矢を撃ってくるエルフには目もくれず、スツェリを狙っている。解毒の結界を使える事に気付いたか。舌打ちしたスツェリは剣を構える。
だが、不意にアンカブートの真下の土が立ち上がった。違う。土によく似た暗い赤色。ユーキの服だ。木陰に伏せて隙を伺っていたユーキが立ち上がったのだ。手にした長巻を、頭上のアンカブートの首めがけて振り上げる。
光の半月が蜘蛛の首に食い込んだ。黄色い体液が吹き出し、ユーキに滝のように降り注ぐ。土と体液でまだらに汚れるのも構わず、ユーキはスツェリに向き直り、胸を張った。
「どお? ちゃんと届いたでしょ」
このための長巻であった。言われるまでもなくスツェリは承知していたが、今は返事ができなかった。
「まだだ!」
アンカブートがまだ死んでいなかったからだ。
未だ首が繋がっているアンカブートが牙を剥く。振り返ったユーキは、後ろに飛んで顎を避ける。しかし、牙から滴った毒液がユーキの顔を汚した。毒の原液を受け、足がもつれて倒れるユーキ。そこへアンカブートが噛みつこうとする。
ユーキが、子供が、食われてしまう。
「させるかあッ!」
スツェリは雄叫びを上げて、ユーキに向かって駆け出した。振り下ろされた牙を剣で受け止める。同時に魔力を解放する。
「稲妻に潰れよ! ドーンハンマー!」
電流がアンカブートの全身を駆け巡る。衝撃に巨体がのけぞった。圧力が緩んだ頭を押し返し、ユーキが抉った首の傷へ剣を突き出す。
胸に衝撃。体が宙を舞う。少しの浮遊感の後、木に叩きつけられた。薙ぎ払われたアンカブートの脚が、スツェリを弾き飛ばしていた。
「が、ぐっ……!」
死んではいないが、息ができない。打撃で鎧がへこんでいる。
いや、それよりもユーキは。顔を上げる。吹き飛ばされたスツェリを目を丸くして見つめている。私はいいから、そこから逃げろ。そう叫びたいが、口から出てきたのは血だけだった。
アンカブートが口を開いた。口から糸が垂れ落ち、喉の傷から体液が溢れる。スツェリに糸を吹き付けようとしたが、喉の傷のせいで勢いがでなかったらしい。ならば叩き潰そうと、アンカブートが脚を振り上げる。
「キィィィエアアアッ!」
この世のものとは思えぬ叫び声が森に木霊した。スツェリも、ユーキも、アンカブートさえも身を竦ませる。
絶叫したのはタトゥーインであった。弓を投げ捨て、頭巾と覆面を剥ぎ取り、両手で握った短剣を顔の横に垂直に立てて構えている。その体からは金色の
硬直したアンカブートに向け、剣を構えたタトゥーインが突進した。
「チェストォォォッ!」
――チェストとは、エルフの言葉で『ぶち殺せ』の意味である。
だがここは魔界。言葉は空間の魔力によってダエーワ語に置き換えられるはずだ。
エルフ語がエルフ語として響き渡っているのは、先程のタトゥーインによる
そして
ほんの数十秒で立ち上がれなくなり、1分で死に至る危険な能力増強。それ故エルフはトドメに、勝負所に、すなわち
突進するタトゥーインに、アンカブートは足を振り下ろす。タトゥーインは避けず、下がらず、真っ向から短剣を振り下ろす。アンカブートの足先が一撃で砕け散った。もはや剣ではない。強化した腕力を叩きつけるための鉄塊だ。そのために、敢えて分厚く造り、
それがエルフの剣であった。
「チェストォォォッ!」
脚を屠ったタトゥーインはアンカブートの懐に飛び込み、再び剣を振り下ろす。剣は表皮を貫き、アンカブートの肉を抉る。さらに剣を引き抜き、振り下ろし、傷を広げる。
だがその傷はアンカブートの巨体に対しあまりにも小さい。アンカブートが倒れる前にタトゥーインが力尽きる。そう思われた。
「
タトゥーインが叫ぶ。それに答えて。
「キィィィエアアアッ!」
「チェストイケチェストォォォッ!」
「エクスペリャァァァ!」
「ヒットベェェェ!」
四方から
超絶強化されたエルフたちがタトゥーインに突進する。タトゥーインの脚に、腹に、胸に、頭に、
それが数十人。さすがの巨大蜘蛛もこれには耐えられず地に伏した。それでもエルフたちは容赦なく
「チェスッタアアアッ!」
「シャァァァッ!」
「ウオアァァァッ!」
魔獣と対して変わらなくなったエルフたちが、剣を掲げて雄叫びを上げる。そして、その場にバタバタと倒れ始めた。強化の代償に払っていた体力が尽きたのだ。辛うじて立っているエルフもへろへろになっている。
これ、このまま全員野垂れ死ぬんじゃないのか。痛む胸を抑えながら、スツェリはそんな心配をするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます