第12話 モンゴリアンのデスワーム
ユーキとスツェリたちを乗せた馬車は、ゴトゴトと東へ進んでいる。今日はまだ盗賊や魔物に襲われていない。順調である。
だが、順調だからこそ発生する問題もある。
「何もいないなあ……」
地平線を睨みつけて、不満げに呟くユーキ。午後になってからずっとこの調子である。毎日生首を見ないと気が済まない彼にとって、襲撃者が現れないのはストレスだ。
いつもならその辺を歩いている魔族や魔物の首を刎ね、気を紛らわせるところである。しかし、今日はそんな不幸な犠牲者も見当たらない。正真正銘無人の荒野が広がるばかりであった。
気が気でないのは彦三郎たちカマクラン奴隷だ。この場で首が繋がっているのは自分たちだけである。いつユーキが我慢できなくなって襲いかかってくるか気が気でない。
というか、さっきからしばしば彦三郎たちの方を見て、うるる、と何かを我慢するような唸り声を上げている。危険だ。
ユーキが彦三郎たちに手を出さないのは、彦三郎たちが奴隷でスツェリの所有物だと認識しているからだ。更に言えば、平坂府で換金できる宝物でもある。
しかし、ユーキが未来の金より目先の首を求めたら、たちまち胴と首が泣き別れを見るだろう。
なお、肝心のスツェリは今、首が繋がっていない。首だけ空を飛ばして辺りを偵察している。
姐さん早く帰ってきてください、と彦三郎は心の中で祈った。
少しすると、空の向こうに飛んでくるスツェリの首が見えた。魔界でも神に祈りは通じるらしい。姿形が生首の神はちょっとなあ、とは思うものの、命がかかっているので贅沢は言えなかった。
ただ、様子がおかしい。妙に焦っている。いつもより早いスピードで飛んできたスツェリの首は、体に前後逆でドッキングした。ぜえぜえと荒い息をしている。
「大変だ……!」
「そりゃ大変でしょ、逆です、逆」
「そうだ逆だ! 引き返すぞ!」
「え、何、どうしたの?」
訳がわからないうちに、スツェリが手綱を操って馬車を方向転換させようとする。しかし、上手くいかない。当然だ。首が前後逆なのだから。
「ちょ、あれ、何で!?」
「姐さん逆です! 首が!」
「あっ、ほんとだ」
気付いたが、何故か胴体の方を回転させるスツェリ。混乱している。
「あーもう!」
見かねたユーキがスツェリの頭を両手で掴み、ぐるりと動かした。
「わびゃ!?」
「はいこれでちゃんとした!」
前向きになって、スツェリはようやく平静を取り戻した。まだちょっと斜めってる首を自分の手で戻し、深呼吸する。
「……すまない!」
「落ち着いた?」
「ああ。しかし、急いで戻るぞ」
改めて馬車が方向転換し、来た道を戻り始める。
「何かあったの?」
「アリだ」
「ありー?」
アリ。つまり、地面を這い回ってるあの、指先ほどの小さな生き物だ。
そんなものに怯えているのか。訝しんだユーキと彦三郎は、馬車から身を乗り出して後ろを振り返った。特に何も見えない。
「何もいないよ?」
「いや、蟻塚があった。この辺りが奴らの縄張りなのは間違いない。あの大きさでは、領軍を出さないと太刀打ちできないぞ……!?」
どうやら軍を出さないといけないほど危険なアリらしい。ユーキと彦三郎はお互い顔を見合わせる。どちらも知らない、といった表情だった。
「見えないくらい遠くにいるんだから、そんなに慌てなくてもいいんじゃないの?」
「良くないな。奴らは匂いを頼りにどこまでも追いかけてくる」
「……どんなアリか知らないけど、アリの1匹や2匹くらい、殺しちゃえばいいと思うけどねえ」
「100匹」
「うん?」
スツェリの言葉をユーキたちは理解できなかった。そこで、スツェリがもう一度繰り返す。
「100匹。魔界アリの集団の最低数だ。ちなみに大きさは馬と同じくらいだ」
言われた通りのアリの集団を想像するユーキと彦三郎。一拍置いて身震いし、ようやく事態の深刻さを理解した。
「やっばいじゃんそれ」
「死にますよ」
「だから逃げてるんだ! 追ってきてないか!?」
ユーキはもう一度後方を確かめる。地平線に砂煙が上がっていた。何やら黒いものが集団で、馬車めがけて猛進してくる。それが何なのか理解して、思わずユーキは叫んだ。
「アリだー!?」
「くそっ、見つかっていたか!」
スツェリが馬車馬に鞭を打つ。馬たちも事態の深刻さを理解したのか、一気に加速し始めた。しかし馬車のハンデは重い。後方集団はみるみるうちに近付いてくる。
とうとう、アリの姿形がハッキリわかる距離まで接近された。本当に、馬と同じ位の大きさのアリだ。数百匹の巨大アリが、6本脚を器用に動かして音も立てずに迫ってくる光景は、さしものユーキも心胆を寒からしめた。
「ヤバいヤバいヤバい追いつかれるよこれ!?」
「何でもいいから攻撃しろ! 少しでも足を鈍らせるんだ!」
スツェリに言われるがまま、ユーキは迫りくるアリの群れへ向かって矢を放った。矢はアリの胴体に刺さったが、止まるどころか減速すらしない。
「効かないんだけど!?」
「効いてるはずだ! 奴らは痛みを感じないだけだ!」
それは効いてないんじゃないの、と言いたくなるのをこらえて、ユーキは連続して矢を放つ。すると、矢を受けたアリが、がくり、とその場に崩れ落ちた。効かないわけではないらしい。
後続は倒れたアリを避けられず、足を引っ掛けて次々と転ぶ。数十匹が折り重なる大事故だ。少しだけ魔界アリの突撃が鈍った。しかし、転んだアリたちはすぐに立ち上がり、追撃を再開する。
「これじゃキリが無いよ!?」
「どこか……身を隠せる場所は……!? いやせめて下り坂を……!」
スツェリは必死に打開策を探すが、あいにくの荒野である。洞穴はもとより、起伏すら見当たらない。追いつかれるのは時間の問題だろう。
せめてもの期待を込めて、道の先へと視線を向ける。すると、砂煙が上がっているのが見えた。向こう側からも、何かが近付いてきている。
挟み撃ちか。スツェリの知識はすぐにそれを否定する。魔界アリにそんな知能は無い。目標を一丸となって追いかけることしかできない。となると、前から来ているものは何だ。アリとの距離に注意しつつ、目を凝らす。
「うわ……」
その正体を確かめた時、スツェリの口から呻き声が漏れた。
「どうしたの、スツェリさん!?」
「最悪だ……」
「だから何!?」
「デスワームだ!」
「へ?」
前方から迫ってくるのは、全長5mを超える巨大なミミズだった。
デスワーム。魔獣の中でも有名な種族である。
何しろ見た目のインパクトが凄い。体の色は毒々しいピンク色。先端は牙と触手が生えた丸い口になっており、常人ならひと目見ただけで嫌悪感を催すだろう。
更に危険度も高い。ぬらぬらと光る体には猛毒が含まれており、獲物を狩る時は口からそれを吹き付けてくる。まともに喰らえば大抵の魔族は死ぬ。そうでなくても動けなくなり、デスワームの餌食になる。
それでいて生息域が非常に広い。荒野の地面の中に潜んで旅人を襲うこともあれば、水路のスライムを餌にして育つこともある。畑を襲撃することもあれば、大胆にも都市に接近してスラムを襲うこともある。
そんな生物がおよそ50体、正面からスツェリたちに向かってくる。後ろから来ているアリの津波も合わせて、絶体絶命の状況であった。
「何あれ……気持ち悪い……」
顔を青くするユーキ。一方スツェリは、後ろのアリの群れとの距離を確かめると、手綱を強く握りしめた。
「全員捕まっていろ! 激しくするぞ!」
「何するつもり!?」
「魔獣には魔獣をぶつけるんだよ!」
スツェリが叫ぶのに続いて、馬車が右に大きく曲がった。遠心力で馬車が大きく右に傾く。ユーキたちは慌てて荷台に掴まり、投げ出されないように踏ん張った。
右からアリ、左からデスワーム。挟み撃ちの谷底を、馬車が懸命に駆ける。一匹のアリが馬車に辿り着き、鋭い顎で噛みつこうとする。それをユーキが放った鎧貫しの矢が貫く。
谷を抜けたのと、谷が閉じたのはほぼ同時であった。彦三郎の真後ろで、魔界アリがデスワームに叩き潰され体液を撒き散らした。
魔界アリvsデスワーム、開戦である。魔界アリがデスワームの腹に噛みつけば、デスワームは長い体をムチのようにして魔界アリを殴りつける。体液と毒液の臭いが混じり、強烈な悪臭が辺りに広がる。
数で言えば魔界アリはデスワームの10倍、圧倒的である。しかしデスワームは魔界アリの倍以上の大きさがある。表皮も固く、アリの一噛みでは大した傷はつかない。
その上、デスワームが吐き出す毒液は、まともに浴びれば魔界アリでも即死する代物だ。その飛沫が戦場に広がり、アリの軍勢を弱らせている。
だが、魔界アリは怯まない。仲間の死体を乗り越えて、次々とデスワームに挑みかかる。さすがのデスワームも数十体に群がられては、手も足も出ない。そもそも元々手足がないから、ジタバタと身悶えるしかない。
初めは優勢に見えたデスワームも、徐々に数に押され始めた。
どうにか逃げ切って観戦していたユーキとスツェリも我に返るほどだ。
「危ないんじゃないの……?」
「ああ。今のうちにここを離れよう」
「その心配はありませんよ」
男の声。彦三郎ではない。2人が振り返ると、そこには馬に乗って帽子を被った男がいた。その服装は、スツェリにはローブ、ユーキには着物のように見えた。
「今です」
男は手にした鈴を鳴らした。清らかな音が虫の戦場に鳴り響く。
すると、アリの左側面の大地が盛り上がった。地面を突き破って現れたのは、新たなデスワームの群れだ。横腹を突かれたアリの群れは、たちまち陣形を崩される。
形勢が再び逆転することはなかった。魔界アリに自我はない。逃走という選択肢を思い浮かべることもできず、一匹残らず駆逐された。
「勝った……」
「すごい……」
スツェリもユーキも、馬車の中の奴隷たちも呆然としている。そこに、デスワームを操っていた男が近付いてきた。
「旅の人、お怪我はありませんか? 私はこの地を預かる代官、トー・シーフォンと申します。
毒や酸にやられたのなら、我が屋敷で……」
朗々と語っていた男が硬直する。目を丸くして、ユーキを凝視している。
それでスツェリは気付いた。帽子に隠れていてわかりづらかったが、男の黒髪黒目、そして顔つきはユーキに良く似ている。
ユーキの様子を伺うと、こちらもやはり目を丸くして驚いていた。まさか。
ふたりが、同時に相手を呼ぶ。
「
「
違った。
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