第13話 魔界の杜世忠

 文永ぶんえい十一年(1274年)、博多に陣を敷いた日本軍の前に現れたのは、海を渡ってきた元軍げんぐんであった。世に言う文永の役、元寇げんこうである。

 様々な事情が重なり、元軍は日本軍と軽く交戦しただけで撤退。その途中で暴風雨に遭い、大損害を受けた。


 それから一年後、元国から日本に向かって新たな船が出港した。今度は一隻、乗っているのは元朝礼部れいぶ侍郎じろうトゥ世忠シーチョンを始めとする外交使節であった。

 彼らは日本に改めて国交を求め、可能であれば敵情を視察する密命を帯びていた。


 ――本来の歴史であれば、彼らは日本で処刑される運命であった。使節を問答無用で処刑するという蛮行に皇帝フビライは激怒し、諸々の事情も重なって第二次元寇、すなわち弘安の役を引き起こすはずであった。

 だが、ここで歴史が狂った。日本を目指していた杜世忠たちの船は、次元混乱ディメンジョンストームに巻き込まれ、魔界に転移してしまったのだ。


 突然魔界に流れ着いてしまい、訳もわからず混乱する杜世忠たちを、魔王国の軍隊が取り囲んだ。この時、盗賊や魔獣の餌食にならなかったのは、ある意味幸運だったと言ってもいい。当時はそんな事がわからなかった杜世忠たちは、魔王国首都ペイヴァルアスプに連行され、取り調べを受けた。

 杜世忠たちの証言によって異世界の存在を確信した魔王ザッハークは、イビルゲートの研究を推し進めた。そして6年後、完成したイビルゲートから異世界に攻め込み、待ち構えていた鎌倉武士カマクランによって返り討ちに遭い、魔界が大変なことになるのは周知の通りである。


 その間、杜世忠たちも違う意味で大変なことになっていた。蒙古人モンゴリアンと名付けられた彼らは、取り調べが終わると強壮公ドゥルジに奴隷として売り払われた。砂漠同然の荒れ地で働かされ、このまま魔界で一生を終えるのかと絶望していた。

 転機が訪れたのは翌年。杜世忠が村の税を取りまとめてドゥルジに献上した時の事である。目録と実物がキッチリ揃っているのを見たドゥルジは、驚いた顔で杜世忠に尋ねた。


「君計算できんの?」


 魔界において頭脳労働要員は貴重であった。そして杜世忠は、元朝で外交使節を任せられるほどのエリート文官であった。

 すぐさま杜世忠はドゥルジの館に異動させられ、税務関係の仕事をすることになった。ちょっと畑違いだが、礼部侍郎、現代でいう外務次官まで上り詰めた実力は伊達ではない。2年で奴隷の地位を脱し、5年目には領地の一角を代官として任せられる程に上り詰めた。

 杜世忠は才能を存分に発揮し、領地を上手いこと治めていた。そこでアリに追われてやってきたのが、ユーキたちであった。


「カマクランがこの世界に攻め込んできたという噂は聞いていましたが、本当に出会えるとは……長生きはするものだなあ」


 杜世忠、改めトー・シーフォンは、感激の涙を流しながら馬乳酒を煽る。ちなみに名前が微妙に変わったのは、魔界の言語変換のせいである。


 一方、身の上話を延々と聞かされていたユーキとスツェリは、やっと話が終わったと安心していた。

 デスワームを操るシーフォンに助けられたユーキとスツェリは、異世界人の話が聞きたいというシーフォンの魔界ゲルテントに招待された。代官なのに館に住んでいないのは、モンゴリアンはテント暮らしが普通なのと、デスワームたちが街に入れないからである。


 そして、ユーキたちの来訪を記念して宴が開かれた。モンゴリアンのデスワーム使いが出すごちそうとはどんなゲテモノなのかと戦々恐々としていた2人だったが、出てきたのは馬乳酒やチーズ、羊肉といったストレートなごちそうであった。


 おいしい食事に油断したところに襲いかかったのが、シーフォンの長話である。元は外交官だったと言うだけあって話が上手い。しかし長い。初めは聞き入っていたユーキも、シーフォンが奴隷身分から解放された辺りで飽きていた。


「なんか大変だったみたいねえ」

「ああ」


 最終的な感想は、2人ともこれである。しかしシーフォンはそれすら話のネタにしてしまう。


「大変なのはあなた方も同じでしょう。同胞を故郷に送り返すために、東の果てまで旅をするとは! このトー・シーフォン、感激するばかりです!」

「シーフォンさんは帰ろうとは思わなかったわけ?」

「いやあ、だってイビルゲートの先は日本でしょう? 一応敵地ですから……敵地ですよね?」


 シーフォンの問いに、ユーキはむむむと考え込む。


「どうだろ。結局、文永の時からそっちは何の連絡もしてこないし、こっちから攻め込もうとしたけど何か取りやめになっちゃったし……」

「その連絡を私がするはずだったんですよねえ」


 文永の役から現在まで8年が経っている。この間、両国の間に公的な交流はほとんど無い。

 鎌倉幕府は博多に防塁を築くと共に高麗こうらいへ攻め込む計画を立てていたが、財政難で中止になった。また、後深草ごふかくさ上皇じょうこう亀山かめやま上皇じょうこうが後継問題で揉め始め、幕府が仲裁に走り回っていたため、元朝の事を考えている暇がなかった。

 元朝も元朝で、宿敵南宋を攻め滅ぼした一方で、中央アジアでモンゴル王族チャガダイ家が反乱を起こし、それを鎮圧した王族たちがそのまま現地で反乱を起こし、それを鎮圧したら残党が別の反乱軍に合流して手がつけられなくなるという悲惨な事になっており、日本の事は見て見ぬふりをしていた。


 送った使者が斬られて皇帝のメンツが立たなくなるような事があれば2度目の元寇もあったかもしれないが、杜世忠は魔界に漂着し、追加の使者も諸々の事情から取り止めになったので、戦争中なのに攻め込む理由が無いという奇妙な状況になっていた。


「そっちの世界でもちゃんと国同士の争いはあるんだな」


 スツェリは杯を傾けつつ、しみじみと呟く。

 魔王ザッハークは、異世界を水と緑が豊かな楽園だと思い込んでいた。そんな夢のような世界が本当にあるのかと訝しんだものだが、現実には魔王を滅ぼすカマクランというヤバい種族が住んでいて、しかもそれと戦争しているモンゴリアンというヤバい種族がいた。夢は夢でも悪夢だった。


「ところでシーフォン殿、ひとつ聞きたいことがあるのだが」

「はい、なんでしょう?」

「先程のデスワーム、貴方が操っていたのか?」


 スツェリの問いに、シーフォンは、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに胸を張った。


「ウチの自慢の子たちです。蒙古騎兵モンゴリアンライダーの一軍にも匹敵しますよ。あの子たちのお陰で、この辺りは魔獣に呑まれずに何とかやっていけてるんです」

「確かにあんなことができれば、生半可な魔獣は近付けないだろうな。あの鈴は強壮公から貰ったものか?」


 他人や魔獣を操るマジックアイテムは存在する。かなり貴重なものだが、魔王国の公爵クラスなら手に入れられるだろうとスツェリは予想していた。


「ええ。元々ペットとして育ててたんですけど、閣下からあの鈴をいただいて、戦闘ができるようになったり、工事を手伝って貰ったり、いろいろ捗ってます」

「デスワームをペットに……それはまた、独特な……」

「いやあ、育ててみると案外可愛いものですよ」

「えっ。ああ、うん……」


 それからシーフォンのデスワーム話が始まった。卵は乾燥した所でないと孵化しないとか、肉が好物だけど野菜も食べるだとか、懐くと毒液を分泌しなくなるだとか、通った後はよく耕された畑になるけど毒液のせいで毒草しか育たないだとか。

 魔族でもほとんどが知らないし、別に知りたくもなかったデスワーム情報が次々と出てきた。


 体長5mを超える毒々しいピンク色のイモムシをそんなに熱心に育てるとは、モンゴリアンもカマクランに負けず劣らず変わった感性だな、とスツェリは思った。隣のユーキは渋い顔でチーズパンを食べている。虫は苦手なのかもしれない。


 デスワームの如く長い話が終わり、3人はほっと一息をついた。そこでスツェリは、ようやく聞きたかった話を切り出した。


「ところでひとつ聞きたいのだが、ここから魔王国の東まで行くなら、どのルートを通った方がいいだろうか?」


 スツェリは旅慣れているが、魔王国の道をすべて知っているわけではない。今回の旅は大きな街を避けるようにしているため、迷いかけることがしばしばあった。

 代官であるシーフォンならば、この辺りの道には詳しいだろうと思っての質問だ。


「そうですね。北に向かって古の街道を通り、渓谷に掛かる奈落の大橋を渡って東都バルザフに入り、そこから更に東を目指すのがもっとも安全なルートですが……やはり、人目は避けたいですよね?」


 ユーキの顔を見ながら呟くシーフォン。実際その通りで、今のルートで東部に向かえば、街道で軍勢に襲われ、大橋の関所で守備隊に咎められ、東都で焦熱伯ジャルディーン・バルザフに消し炭にされるだろう。それまでにどれだけの生首が街道に並ぶかは、ユーキの気分次第である。


「ならば渓谷の北か南を通るルートですが、北はここからだとあまりにも遠回りです。あまりオススメはできませんが、南を通るしかないでしょう」

「南には何があるんだ?」

「『血の森』です」


 地名を聞いたスツェリは、深々と溜息をついた。


「『血の森』ってそこにあったのか……」

「何、そんなに有名な場所なの?」


 ユーキに問われて、スツェリは答える。


「ああ。『血の森』はエルフの住処だよ」

「エルフって?」

「100年間、魔王国と戦い続けた狂戦士バーサーカーだよ」

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