第5話 丘上のコボルト

 朝食を終えると、スツェリたちは再び東へ向けて出発した。相変わらず、僅かな草しか生えていない荒野が続く。

 ただ、地面の起伏が大きくなってきた。たびたび坂道を越えるし、小さな丘を回り込んで進む道にも出くわすようになった。


「この辺りは、昔は木の生えた山だったらしいが、近くを流れる小川が枯れてこうなってしまったそうだ」

「ふーん」


 ユーキは昨日と同じように御者台に座っている。ただ、今日は野魔ベリーの枝と短刀を手にしていた。木の枝の先端を小刀で削っている。


「何をしているんだ?」

「矢をね、作ってるの」


 先を尖らせ、長さを整え、水でふやかしたパンを糊にして紙の矢羽をつける。それだけで完成らしい。ユーキは完成品を後ろの荷台に置くと、次の枝を手に取った。


「そんな粗末な矢でオーガを討ったのか」

「んー? 違うよー。あれは兜首用のちゃんとした矢だから。そういうのはいい木を選んで、鏃もつけて、矢羽もちゃんと鳥の羽を使うの。

 これは雑兵用。野魔ベリーは枝が柔らかいからさ、いい矢にはなりそうにないんだよねえ」


 スツェリは傍らに置かれた弓に視線を移した。大きな弓だ。全長はスツェリの背よりも長い。ユーキと比べれば倍近い。失礼だが、釣り合いがとれているとは思えない。


「こんなに大きい弓、使いづらくないか?」

「別に? それ、普通のサイズだし」

「彦三郎?」

「本当です」


 荷台の彦三郎が頷いた。どうやらカマクランは、自分よりも大きい弓を使うのが当たり前の種族らしい。まるでエルフだ。スツェリも少しは弓を引けるので、どんな引き心地か気になった。


「ちょっと引いてみてもいいか?」

「いいよー」


 ユーキに馬車の手綱を渡し、大弓を手に取る。魔界の弓とは違い、持ち手は中心よりも下部に作られている。

 左手で弓を握り、右手で弦を引く。だが、かなり固い。二の腕の辺りまでは引けたが、ユーキのように肩口までは引ききれなかった。


「全然だめだ……」

「それじゃ無理だよ。腕の力で引くんじゃなくて、弓を持った腕でこじ開けるの。こうやって」


 スツェリから弓を取ったユーキは、弓を両手で高々と掲げて、両腕を開きつつ、弓を頬の高さまで下ろした。すると、あれだけ固かった大弓が両開きの扉のように引き絞られた。


「ね?」

「うーん、独特な……」


 魔法を使っているわけではないし、弓に魔法付与エンチャントがかかっているわけでもない。カマクラン独自の引き方だけであの大弓を扱っている。これは簡単に真似できそうにないな、とスツェリは早々に諦めた。

 次にスツェリが目をやったのは、荷台に置かれた巨大な剣だ。


「そうなると……この剣も普通サイズなのか?」


 弓の大きさも珍しいが、ユーキが持つ剣はそれ以上に珍しい。全長はユーキの身長と同じくらい。地面からスツェリの首元まで届く。スツェリが持つ長剣が腰の辺りまでの長さしかないのと比べると、かなり長い。

 また、北方のケンタウロスが持つサーベルのように、片刃で緩やかな反りがついている。軽さと斬れ味を重視した造りだ。これがどのくらいの切れ味なのかは、オーガの首を刎ね飛ばしたのを目の当たりにした時点で思い知らされている。


「いや、これは大太刀おおたちだからちょっと大きめ。普通の武士が使ってる太刀は、スツェリさんの剣と同じくらいだよ」

「安心した。大きな武器を使わないと気が済まない種族なのかと思った」


 ドワーフがそういう種族だが、あれは身長と肩幅が同じと揶揄されるほど筋肉質だから許される性質だ。ユーキのように細い子がそんな真似をしたら、たちまちひっくり返ってしまうだろう。


「スツェリさんの武器は、その剣だけ?」


 矢から目を上げたユーキは、スツェリの横に寝かされた長剣に視線を移した。

 スツェリが持つのは、魔界では一般的な形式の、両刃のロングソードだ。荒っぽい扱いにも耐えられるよう、肉厚な造りになっている。突いても斬ってもいいし、重さがあるから殴ることもできる。ただ、この剣の真価は物理的なものではない。


「武器はこれだけだが、技がある」

「技?」

「魔法だ」

「魔法!」


 ユーキが目を輝かせ、身を乗り出して長剣を覗き込む。


「これで魔法が撃てるの!? 火をバーっと出したり、氷を飛ばしたり! 傷を治すとかもできる!?」

「いや、そこまで多彩な魔法はできないが……まあ、そうだな。見せてあげよう」


 スツェリは長剣を手に取り、御者台の上に立った。ちょうど、道の先に大きめの岩が転がっていたので、それに狙いをつける。

 一呼吸置いて、周囲の魔力に意識を集中させる。魔界を循環する魔力の一部を体に取り込み、腕を伝って長剣へと流し込む。剣の柄に仕込まれた宝石が魔力を増幅させ、刃へと蓄積させる。

 必要な魔力が刃に溜まったところで、スツェリは切っ先を岩へと向けた。そして、呪文を唱える。


「光よ、敵を貫け。ナデル」


 光の針となった魔力が剣から発射された。針は目にも留まらぬ速さで岩に突き刺さった。岩に僅かなヒビが入る。


「おおー!」


 ユーキが目をキラキラさせて拍手する。ほんの小技のような魔法だが、それでも彼の目には大魔術のように映るらしい。見せたかいがあったなと、スツェリは心の中で胸を張った。


「これはほんの序の口だ。本気を出せば稲妻の一撃も放てるが……まあそれは切り札だからな。簡単に見せるものじゃあないぞ」

「雷!? あ、この前オーガに撃ってたやつ!? すっごい、最強じゃん!」

「いや、残念だが一日一発が限界でな。最強なんて言えないよ」


 それが現実だ。一撃で10人を殺せたとしても、戦場では一度に数百、数千の敵と相対するから意味がない。それに、魔術に長けた相手なら魔法を無効化するだろうし、高位の魔族なら魔力量に物を言わせて、力ずくで魔法を防いでしまうだろう。

 あくまでも主役は剣。魔法は牽制と奇襲のため。場合によっては鎧も使う。それがスツェリの戦法だ。このやり方で、スツェリはもう5年も戦場を生き残ってきた。


「……ところで、この岩は何だ?」


 得意げになっていたスツェリだったが、ふと我に返ると、進行方向に人と同じくらいの大きさの岩が横に並んでいるのに気付いた。たった今、スツェリが魔法を当てた岩もそのうちのひとつだ。


「邪魔だねえ」

「何故こんなものが。これでは馬車が通れないぞ……ッ!」


 自分の言葉に気付かされたスツェリは、血相を変えて辺りを見回した。道は小さな丘と丘の間を通っている。道の横は未舗装の登り坂になっていて、馬車を進ませるのは難しい。つまり、この道が通れなければ馬車は必ず足を止める。

 自然の落石ならばまだいい。だが、岩は人為的に並べられている。こんな所で馬車を足止めさせたいのは何者か?


「ヒャッハァーッ!」


 盗賊である。

 丘の向こうに伏せて隠れていたのだろう。両横の頂上から姿を現した人影が、景気の良い雄叫びを上げて駆け下りてきた。粗末な剣や槍を手にした、緑色の毛深い魔族。コボルトだ。数は左右ともに5人。


「ユーキくん、右を頼む!」

「任せて!」


 スツェリは剣を手にして御者台を飛び降りた。馬車の左側で、コボルトたちを待ち構える。


「女だァーッ!」

「すぐに殺すなよ! 親分に殺されるぞ!」


 コボルトたちは更に加速する。ユーキよりも小さな体躯のコボルトだが、その分、足が速い。瞬く間にスツェリとの距離が縮まる。

 囲まれる前にスツェリは先手を打った。先頭のコボルトに向けて剣の切っ先を向け、呪文を唱える。


「光よ、敵を貫け。ナデル」


 撃ち出された光の針は、コボルトの太腿を貫いた。


「ぎえっ!?」


 突然の痛みにコボルトは転倒。スピードが乗っていたのもあり、ボロ切れのように坂道を転がり落ちる。首の骨が折れる音が響いた。


「邪魔だァーッ!?」

「何してんだドジ……げえっ!?」


 転んだ同胞を避けたコボルトの前に、剣を構えたスツェリが飛び込んだ。すれ違いざまに胴を薙ぐ。血と臓物を撒き散らしながら、コボルトが坂を転がり落ちていく。


「この野郎ッ!」


 次のコボルトが石の斧を振り下ろす。スツェリは左腕を掲げ、小手で受けた。金属が打ち据えられる音が響く。小手はしっかりと斧を受け止めていた。

 スツェリは右手の剣を突き出し、斧を持ったコボルトの心臓を貫いた。すぐに引き抜き、青い血を撒き散らす死体を蹴り転がす。

 斬りかかろうとしたコボルトが、不意に転がってきた死体に足を取られバランスを崩した。そこへ蹴りを放つ。鉄のブーツのつま先が、コボルトの顔面を蹴り砕く。


「え、ちょっと、え?」


 一瞬で仲間を倒された生き残りは、辺りに転がる死体を確かめた後、一目散に逃げ出した。その背中に矢が突き刺さり、坂をゴロゴロと転がっていく。

 見ると、ユーキが弓を構えていた。その後ろには矢が突き刺さった死体が3つと、首を斬られた死体が2つ。どうやら右側の方が早く片付いたらしい。さすがはカマクラン、とんでもない強さだ。


 褒めようとしたスツェリだったが、ユーキの顔が強張っていることに気付いた。次の矢を番えている。他の敵か。姿を探すスツェリの耳に、馬蹄の音が響いた。


「おいおい、話も聞かずに皆殺したぁ、随分物騒な連中じゃねえか、アァ?」


 数十人のコボルトを引き連れて、騎兵が一騎、街道を歩いてきた。

 黒い頭巾を被り、板型のショルダーシールドをつけた鎧を纏っている。どちらも魔界では見られない造りだ。

 それ以上に珍しいのはその顔だ。平べったい黒髪黒目。ユーキよりもずっと歳を食っているが、間違いない。


「ここはこのばん藤四郎とうしろう泰隆やすたか様の領地だ! 通りたけりゃ通行料を払ってもらおうか!」


 剣呑な声を馬上から投げ下ろしてきたのは、太刀を担いだ鎌倉武士カマクランであった。

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