第19話 王子も魔女も世話が焼けるぜ
胸を押さえてフラフラと薬棚へ向かうフレイズを見送り、ポヴィドルは使い終わった皿を洗うためにキッチンへ向かった。
先に来ていたトゥイルは、調理台の縁にしがみつきながらわなわなと震えている。
それを横目で見ながら、ポヴィドルは時間稼ぎをするようにゆっくりと皿を片付けた。
たっぷりと時間を取って見守ってみたが、トゥイルに復活の兆しは見えない。
とうとうポヴィドルは諦めたように溜め息を吐いて、口を開いた。
「坊ちゃんさ、フレイズに関して
ひどく残念そうな目で、ポヴィドルはトゥイルを見た。
金の目にはありありと『呆れ』の二文字が浮かんでいる。
「知っている」
苦々しく、トゥイルは答えた。
彼だって分かっているのだ。このくらいで、とも思っている。
それでも百年近く拗らせた初恋は、やすやすと彼を愚かにさせる。どうしようもなく。
「ちょっとあいつから触れられただけで、それだろ?」
「初めてだったからな」
「初めてって言っても、服の端っこだろ?」
「それでも、僕の一部には変わりない」
キリッとした顔で堂々と言い切っているが、残念極まりない言葉だ。
よりにもよって恋愛に興味がないフレイズを相手に選んだばかりに、トゥイルの順風満帆なはずの人生が狂ってしまった。
幸か不幸かなんて、当人次第。
けれどポヴィドルの目には、トゥイルが哀れな道化のように見えた。
顔を上げたトゥイルは、フレイズに掴まれて少し皺が寄ったシャツを愛しげに、恋する乙女のような甘酸っぱい顔で眺めている。
整った顔はどんな顔をしていても様になるが、シャツを見つめて締まりのない顔をしている姿は、ひどいものだった。
出会ったばかりの頃ならまだしも、少しずつ交流を深めた今となっては、有りかなしかで言えばなしとしか言えない。
「……気持ち悪いぞ、それ。顔が綺麗だからごまかされそうだけど、普通に気持ち悪いからな?」
さらっと不敬なことを言いながら、ポヴィドルは鼻に皺を寄せて不愉快そうに顔をしかめた。
「仕方ないだろう。だって、見たか? あのフレイズの顔を。潤んだ目に、上気した頰。それに
残念そうに眉を下げるトゥイルは物憂げで、深窓の令嬢のようなはかなさがある。
しかし、言っていることは思春期の青年か、もしくはそれ以下だ。
いい歳して何を考えているのだと言いたくなったポヴィドルだったが、見た目だけなら若々しい青年の姿なので「まぁ、そうだよな、若いもんな」とどうでも良さそうに流した。
「……そうだな。あんたが育てたようなもんだから、感慨深いよな……」
どこか遠いところへ視線を向けながら、ポヴィドルは答えた。
それから気を取り直すようにゴホンと咳払いすると、「けどなぁ」と言葉を続ける。
「坊ちゃん。これはチャンスだぞ」
金の目を
いかにも悪役といった風情のその笑みに、トゥイルは
「チャンス?」
行儀悪くも調理台の上へ飛び乗ったポヴィドルは、立てた爪でチョイチョイとトゥイルを呼び寄せた。
顔を近づけてきたトゥイルにモフモフの顔を寄せ、ポヴィドルはニヤァと歯を見せて笑う。
「フレイズは体形が変わったせいでドレスが窮屈になってきた。つまり……ドレスを新調する必要がある」
ポヴィドルは、まるで不出来な後輩を指導する先輩のように、偉そうに言った。
鋭い爪に日の光に当たって、キラリと光る。
ポヴィドルの言葉に、トゥイルはなるほどと手を打った。
「よし。今すぐ王都へ行ってフレイズにふさわしい最高級のドレスの手配を……」
よし任せておけと勢いをつけて家から飛び出そうとしたトゥイルを、ポヴィドルはガシッと掴んで引き留めた。
「待て。そうじゃない」
困った坊やだぜ、とでも言いたげに、ポヴィドルはやれやれと首を振った。
「よく聞くんだ」
重要な任務でも申しつけるように、ポヴィドルはたっぷりと間を取った。
意味深な沈黙に、トゥイルはゴクリと喉を鳴らす。
「一緒に、行くんだ」
「……まさか」
「そう、そのまさかの……」
一人と一匹の視線が絡み合い、示し合わせたように、こう言った。
「デートか」「デートだ」
デートのお誘いは、つい先日失敗したばかり。
だが、状況が状況なので、誘い方次第のような気もする。
二人ががっしりと友情の握手を交わすのと同じタイミングで、戻ってきたフレイズが声をかけた。
「ねぇ、ポヴィドル。ゴシキトウガラシがないから採ってきてちょうだい。あれがないと、薬が作れないのよ」
空っぽの瓶を振りながら、フレイズは困ったように眉を下げていた。
ポヴィドルは彼女の言葉に返事もせずに、トゥイルの背を押す。
「よし、今だ。いけっ!」
押し出されたトゥイルは、ポヴィドルに向かってコクリと頷くと、フレイズの前へ立った。
「フレイズ」
「なっ、なによっ」
トゥイルを前にすると謎の不調がでるせいで、フレイズは動揺のあまりどもってしまった。
なぜか真剣な面持ちで見下ろしてくる彼に、恥ずかしがっていることを隠すように睨み返す。
「明日、買い物に行く」
トゥイルの言葉に、フレイズは「へぇ」と素っ気なく答えた。
しかし、視線はチラチラと彼を窺っている。本当はトゥイルに会えないのが寂しいくせに、フレイズの素直じゃない心は今日も問題をすり替えるのだ。
「そう、いってらっしゃい。ああ、そうだわ。帰りにカウンテス洋菓子店でマカロンを買ってきてくれる?」
フォレノワール王都の一角にあるカウンテス洋菓子店のマカロンは、隣国ブルドロでも話題になるほどおいしいと評判だ。
特にピスタチオのマカロンは、頰が落ちそうなくらい絶品だと言われている。
(おやつを頼むくらい……問題はないわよね?)
本当はおやつよりトゥイルが来ることの方が重要なのだが、フレイズはいつものように無意識に考えることを放棄した。
だって、無駄だ。
惚れ魔法を解いてフレイズを好きではなくなったら、もう会うこともなくなるのだから。
ちゃっかりお使いを頼んでくるフレイズに、トゥイルの頭は明日のデートコースを練ることでいっぱい──と思いきや、彼女からの「いってらっしゃい」に新婚生活を妄想という名の夢を膨らませていた。
「いってらっしゃいか……それはそれで嬉しい響きだが、そうじゃない。早くドレスを新調しないと困るだろう? ブルドロ国の首都に、手頃な価格だが良い仕事をする店がある」
トゥイルの言葉に、フレイズがピクリと体を揺らした。
お手頃価格。良い仕事。
その二つは、フレイズにとって非常に魅力的だった。
魔法薬の研究で得るお金はそれなりにあるが、彼女ときたらポヴィドルがいなければすっからかんになるまで研究に費やしてしまうのだ。
貧乏生活はごめんだとポヴィドルが財布を握っているため、フレイズが自由に使えるお金には限りがあった。
「お手頃価格で良い仕事……」
「そうだ。なんなら、僕の知り合いだから値引き可能」
「あんたがいないと、値引きされない……?」
「そうだな、おそらくは。それに、僕のセンスはなかなかのものだぞ。それなりに教育を受けているからな。……駄目、だろうか?」
「んんん……うーん……」
フレイズはしばし悩んだが、膝掛けの下に隠してある胸元を見れば、いつまでもこのままではいられないことくらい分かる。
(お手頃価格をさらに安くなるチャンスなんだもの。逃す手はないわ)
心の中で言い訳しながら、彼女は言った。
「行く」
そうして、フレイズとトゥイルの初デートが決まった。
はてさて、どうなることやら。実に楽しみだと、ポヴィドルはニヤニヤした。
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