第9話 王子様の花嫁修業

 トゥイルがフレイズと再会し、その翌日の訪問でぞんざいに扱われた翌週のこと。


 彼はめげるどころか、新たに手に入れたフレイズの個人情報を書きつけた手帳を胸に抱いて、恋する乙女のように王城の廊下をルンルンとスキップしていた。

 見目麗しい王族の異様な様子に、事情を知らない城内の者は目を点にしながらも「おかわいらしい」と頰を赤らめ、事情を知る一部の者は「コンフィズリー様の恋を応援して差し上げなければ」とそっと背中に温かい視線を送っている。


 フォレノワールの王城は、今日も平和だ。


 その日、トゥイルは王都でも指折りのパティシエたちを集め、王城の調理場を占拠していた。

 右手に泡立て器、左手にボウルを持ち、パティシエたちの指示のもと、せっせと手を動かしている。


「コンフィズリー様はお菓子作りの才能もお持ちのようですね。いやぁ、素晴らしい。私の出番など、あまりなさそうだ。……おっと。そこは、手首のスナップが重要ですよ」


「そうか、分かった」


 仕立ての良い絹のシャツにズボンを着こなす姿は、いかにも王族というような触れがたい気品がある。

 しかし、その上にフリフリレースの白いエプロンを身につけているせいで、全てが台無しになっていた。おかげでパティシエたちはほどよく緊張がほぐれ、臆することなくトゥイルの指導にあたれている。


 調理場の出入り口には、トゥイルの恋心を知る魔女たちがワラワラとひしめき合っていた。


「コンフィズリー様は、今度は何をするおつもりなのかしら」


「先週は城内のメイドたちを集めて、掃除を教わっていたわよね?」


「掃除だけじゃないわよ。女性のお支度についても教わっていたわ」


「掃除に、支度に、お菓子作り。コンフィズリー様はメイドにでもなるおつもりなのかしら?」


 不思議がる魔女たちの後ろから、ピンクブロンドの髪を持つ魔女がクスクスと笑いながら近づいてくる。


「何を仰っておりますのやら。トゥイル様は、花嫁修業をしているのよ。愛する魔女、フレイズ・バニーユのために」


 両頬に手を当ててうっとりと話す彼女は、キラキラと光り輝く桃色の薔薇を背負っているような愛らしさを持っていた。

 見た目の年齢は十代後半から二十代前半、しかしてその実態は齢五百を超える女性──彼女の名前は、シュゼット・ドラジェ。

 三度の飯より恋や愛を尊ぶ大魔女であり、フレイズの師匠にしてポヴィドルの育ての母、そしてトゥイルの魔法の先生である。


「まぁ、シュゼット様。ご機嫌麗しゅう」


「あら。皆さん、お揃いで」


 漆黒のドレスにトゥイルとお揃いのフリフリエプロンを身につけて、シュゼットは優雅にあいさつをする。

 そんな彼女に、魔女たちは「ほぅ」と熱い視線を向けた。


 大魔女シュゼットといえば、知らない魔女はいない。

 若い魔女からは『恋愛成就の神さま』と崇められ、古い魔女からは『愛欲の魔女』と恐れられている。


「そこ、通してもらえるかしら? これからトゥイル様のお手伝いをする予定ですの。トゥイル様も、花嫁修業をそうまじまじと見られていては集中できないでしょうから、できるなら散ってもらえると嬉しいわ」


 チクリチクリと毒を吐きながら、シュゼットはお人形のようにニッコリと微笑む。

 すると、魔女たちはびくりと震えて、ザァッと左右に避けて道を空けた。


「ありがとう。それでは、ご機嫌よう」


 ドレスを摘んでゆったりとお辞儀をしたシュゼットは、悠々と魔女たちの間を通って調理場へと入っていく。

 彼女がちらりと後ろを見た時、魔女たちはそそくさと逃げていくところだった。


「トゥイル様、進み具合はいかがですか?」


 調理場では、五人のパティシエたちに囲まれて、トゥイルがせっせとお菓子を作っている。

 シュゼットの声に、トゥイルは生地を流し入れた型から視線を上げた。


「シュゼット。生地は型に流し入れたから、これから焼きに入るところだ」


「まぁ。思っていたよりも早く終わりそうですわね」


「フレイズに贈る菓子は、一つでも多く覚えたいからな」


「ふふ。本当に、恋というのは素晴らしいものですわね。あんなに生意気だったあなた様が、こんなにすてきな殿方になるとは思ってもみませんでしたわ」


 シュゼットが彼と出会った時、彼は本当に手がつけられない悪ガキだった。

 お人形のように愛らしいと称される彼女を捕まえて、「若作りの年増ババァ」と言い放ったのは、シュゼットにとって一生忘れられない出来事である。


 そんな悪ガキも、今やどこに出しても恥ずかしくない好青年となった。

 正直言ってフレイズにはもったいないとシュゼットは思っていたが、彼が変わったのはフレイズへの恋心ゆえ。

 いろいろな言葉を飲み込んで、シュゼットは今日も「恋って素晴らしい」と頷いた。


「ところで、あれからフレイズを放置しているようですが、大丈夫ですの? あの子、魔法以外はてんで記憶力がアレですから、あまり放置しているとあなたのことも忘れてしまうかもしれませんわ」


「それが狙いだ。シュゼットが言っていた通り、フレイズは呪いのおしゃべり人形を出してきただろう? おかげでいろいろ聞き出せたからね。今は、彼女の警戒心をリセットさせている期間、といったところかな。僕のことを忘れたら、きっとまた無防備になるだろう。だから、そこを狙って踏み込むつもりだ」


 オーブンの扉を閉じながら、トゥイルは不敵に笑う。

 そんな彼にシュゼットは一瞬見惚れたように止まり、ふわりと破顔した。


「あらまぁ。そんな作戦でしたの。頑張ってください。応援していますわ。何かあったら、遠慮なく頼ってくださいませ」


「ああ、そうさせてもらうよ」


 ほどなくして、オーブンから甘い香りが漂ってくる。

 シュゼットとパティシエたちに見守られながら、トゥイルはせっせとお菓子を仕上げた。


 お菓子の名前は、フレーズ・バニーユ。

 彼が恋する魔女と似た名前のお菓子は、苺とバニラを使った、ムースのケーキだ。

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