第2章 断固、お断りです
第8話 要らぬ溺愛には反撃します
考え事に没頭するフレイズに、トゥイルは今日のところは諦めることにした。
本音としてはもう少しステップアップをしたかった所だが、急いては事を仕損じるという言葉もある。
トゥイルの存在などすっかり忘れて考え込むフレイズの手に別れのキスを贈り、その日はポヴィドルに見送られてお暇した。
だが、彼の気持ちはそんなことくらいでめげるものではない。
なにせ、フレイズへの恋心一つで国を攻め落とし、有り得ない年月を待って熟成させた、拗らせに拗らせた筋金入りの粘着質な気持ちなのだ。たかだか数時間無視されたくらいで傷つくようなナイーブさは、トゥイルにはない。
翌日、改めてお菓子の家を訪れたトゥイルは、礼儀正しくチョコレートの扉をノックして反応を待った。
扉の向こうで椅子が倒れた音がして、バタバタと慌ただしく足音が近づいてくる。
「そんなに急がなくても、僕は逃げませんよ」
乳白色の髪をなびかせてパタパタと走ってくるフレイズを妄想して、トゥイルは甘く微笑む。
(扉を開けてくれたらどうしてくれよう。かわいいあの人の顔を見たら、思わず抱き締めてしまうかもしれない。うっかりキスをして怯えさせないように、気をつけなければ)
誰もが心奪われる魅力的な微笑みの下で、トゥイルはそんなことを考えていた。
もしもポヴィドルが彼の心の声を聞いていたら、こう言っていたかもしれない。『こいつを見てかわいいなんて言えるのは、コンフィズリー様くらいだろうよ』と。
毎日毛繕いに余念がないポヴィドルとは違い、フレイズはお風呂さえ面倒がる始末なのだ。
のんびり湯船につかる暇があるならば、魔法薬の一つや二つを作るべきだと思っている。
そんなフレイズだから、トゥイルの訪問を快く思うわけがない。
朝から晩まで、それこそ夢の中でだって魔法のことだけを考えていたいのに、彼がいたらできなくなるからだ。
現に昨日は数時間ほど、彼のせいで考える時間が減った。
そのせいでフレイズは、少しだけ腹を立てていた。
ポヴィドルが町で買ってきたお菓子がなければ、もっとイライラしていたかもしれない。
昨日、うっかり扉を開けたせいで面倒なことになったのだ。
今度こそは回避してみせると、フレイズは持ちうるすべてを使ってトゥイルの訪問を待ち構えていた。
鍵がなかった扉に鍵を取り付け、ドアノブに触れたら大きめの静電気が発生するように魔法をかけ。それから、万が一突破された時のために重そうな家具でバリケードを作った。
そこまで準備したところで夜が明けてきたが、まだ彼女は止まらない。
ベッドで丸くなって眠るポヴィドルに悪態をつきながら、彼女は物置から呪いのおしゃべり人形を引っ張り出してきた。
呪いのおしゃべり人形とは、その名の通り、おしゃべりをする人形のことだ。主人の声をまねしてしゃべることができるので、居留守をする時に使えると、随分昔に師匠から押し付けられたものである。
「あの時はいらないって言ったけど、まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかったわ」
バリケードの前に置いた椅子に人形を座らせて、フレイズは憂い顔でため息を吐いた。
この時点で、彼女の頭の中はトゥイルのことでいっぱいだった。
トゥイルが期待するような意味ではなかったが、これはこれで恋の始まりとしては有りなのかもしれない。
そうして迎えたトゥイルの訪問に、フレイズは徹夜明けの高揚感からか浮かれていた。
(来た。来たわ、来た! あの甘ったるい顔した男が来た! 懲りもしないで今日も来たのね。よぉぉし。見てなさい。昨日のお返しをしてやるんだから!)
扉越しにトゥイルの存在を確認したフレイズは、気休めと分かっていながらも扉が決して開かないように魔法をかけた。
取り消しという奇妙な魔法を使う彼には無駄かもしれないが、魔女であるフレイズの武器であり盾は魔法しかないのだ。だから彼女は力一杯、開かずの間になれと願った。
***
「うーん……遅いな」
扉を開けて出てきたフレイズにどんなシチュエーションであいさつをしようかシミュレーションしていたトゥイルだったが、一向に動きのない様子に「はて?」と首をかしげる。
トゥイルの唐突な訪問に慌てて身支度をしているにしては、長い時間だ。
女性の身支度に時間がかかることは理解していたが、それにしては物音がしない。
まさかフレイズが彼に対して策を弄しているとも知らず、トゥイルは心配そうに端正な顔を歪めた。
「フレイズ? 何かあったのですか?」
「な、なにも!」
「そうですか……?」
フレイズは興奮に胸をドキドキさせながら、扉の向こうへ答えた。
(うまくいくかしら? 人を騙すのなんて、久しぶり。もう百年近く薬ばかり作っていたから、忘れていたわ)
上手にうそをつくことなんて、随分としていない。
人を騙すのは魔女の本分だが、仲間どころか人と会うのも久しぶりなのだ。
長く善き魔女だったせいか、彼女の一部である悪しき魔女が「あぁ、楽しくて仕方がない」とうっとり笑っている気がした。
「今日は家が散らかっているから、家に上げたくないの。申し訳ないけれど、扉越しで話をするのではダメかしら?」
「散らかっている? それなら、僕が片付けましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ。ポヴィドルもいるし、どうにかなるわ」
「そうですか? 力仕事なら得意ですから、手が必要な時は言ってくださいね」
「ええ、ありがとう」
トゥイルと話をしながら、フレイズは呪いのおしゃべり人形を揺り起こした。
ゆっくりとまぶたを開けた人形の透明な瞳がフレイズを映すと、じわじわと赤く色づいていく。
(よし、これで人形の準備は大丈夫ね)
「じゃあ今日は、扉越しに話をしましょう」
「ええ。そうしましょう、トゥイル」
トゥイルの声に、人形の唇が滑らかに動いてフレイズと同じ声で答える。
うまくいったと、フレイズはにんまりとまるで魔物のような醜悪さで笑んだ。
どんなに見た目が人間であろうと、フレイズは魔女だ。
魔女とは、人のことわりを外れた者。人であり、魔の者なのである。
トゥイルと会話し続ける人形の頭を撫でて、フレイズは満足げに部屋の奥へと入っていった。
(ふぅ。これで今日は安心ね)
ルンルンと足取りも軽く向かうのは、大好きな大釜のある部屋だ。
今日は何の薬を作ろうかしら、とフレイズは嬉しそうに微笑んで扉を閉じた。
だからフレイズは、知る由もなかった。
師匠に押し付けられた呪いのおしゃべり人形の真の力を。おしゃべり人形の呪いは、喋ることではないのだということを。
呪いのおしゃべり人形──それは、主人の個人情報をペラペラと漏らす、とんでもない人形だったのである。
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