第7話 約束の100年まであと……
ポヴィドルがティーポットを片付けて新たなお茶を淹れにキッチンへ去った後も、トゥイルはフレイズに体を見せつけていた。
ほどよく引き締まった体は、無駄なところなど見当たらない。滑らかな肌は、内側から輝いているようだ。
彼が自慢げに見せるだけのことはある、魅力的な体である。
「解剖するのは困りますけど、触ったり弄ったりするのは構いませんよ?」
「……うぅ」
舐めるのもありです、なんてちゃっかり自分の希望を述べながら、トゥイルはボタンを一つ二つ外して、寛げた胸元をチラチラ見せた。
ゴクリと喉を鳴らすフレイズの頭の中は、魔法のことでいっぱいである。
(師匠の魔法……すごく、気になる……魔法大国の王族とはいえ、ただの人間が老いもせずに百年近く生きる魔法なんて、大魔女でもなければ使いこなせないわよね……あぁ、でも、何をどうしたらそんなことが可能になるのか解明してみたい。成長を遅らせているだけなのか、それとも体の年齢を退行させたのか。もしかしたらモンスター化させて人のことわりから逸脱させたっていう線もあり得るわ……)
「ねぇ、フレイズ。熱心に見てくれるのは嬉しいのですが、僕としては触って貰いたいなぁ……なんて」
「……」
頰をうっすらと赤らめておねだりしてみたトゥイルに、フレイズは彼の胸元を凝視しながらグルグルと頭を回転させる。
最初は恥ずかしげにしていたトゥイルも、彼女がそういう意味で硬直しているわけではなさそうだとさすがに気付いたようだった。
「ねぇ、聞いています?」
「……今、考え事をしているから静かにして」
テーブル越しの彼女に身を寄せて、トゥイルは問いかけた。
しかし、フレイズはそんな彼の顔を邪魔そうに手で押しやりながら、ウンウンとうなっている。
フレイズのそっけない言葉に、トゥイルは驚くどころか「へぇ」と嬉しそうにしていた。
おかしい。だがやはり、彼女しかいない。
何がおかしいって、トゥイルが誘惑しているというのに、フレイズときたら少しも魅了されていないのだ。
王族で、さらに稀な美貌を持つ彼は、それこそ生まれた時から国の宝だと褒め称えられ、蝶よ花よと育てられてきた。
王族の中でもとびきり魔力が弱いくせに、無駄にかわいがられてきたのはその容姿ゆえだ。
普段は煙たがられているフォレノワール王国だが、「トゥイル様となら有りかも」と結婚を打診されることもしばしばあった。
そんな調子なものだから、フレイズに出会ったあの日まで、彼は大変に
誰も彼もが自分に媚びへつらい、何でも思うがままだと、本気で思っていたのである。
彼がにっこりと微笑めば、王でさえ彼の願いを叶えてしまう。まさに、魔性とも言える愛らしさだった。
そんなトゥイルの鼻っ面を、フレイズはたった一度の気のないキスでへし折った。
へし折られたことにも気付かず、しばらくキスに執着していた彼だったが、そうではないと思い知ったのは、とあるうわさを聞きつけたからだ。
『ブルドロ王国は、魔女狩りを始めた。次に狙われるのは、お菓子の家の魔女、フレイズ・バニーユである』
そのうわさを聞いた瞬間、彼の頭に浮かんだのはとても物騒なものだった。
『よし。ブルドロ王国、倒そう。目指せ、属国。魔法大国に勝てると思うなよ』
そんなスローガンを掲げ、表向きは『魔女狩り廃止』を合い言葉にトゥイルは剣を持ち、自ら魔法使いや魔女を引き連れてブルドロ王国に戦を挑み、結果として従属国にした。
彼が、二十歳の頃のことだった。
晴れてブルドロが従属国となり、魔女狩り廃止令を施行したあと、トゥイルはフレイズの無事を確かめに行った。
もちろん、彼がそれまでフレイズの無事を確認しなかったわけではない。部下や知り合いに頼んで幾度となく彼女の安全を確認していたが、それでも最終的には自分の目で見て、安心したかった。
初めてトゥイルがブルドロの深い森へ行った時、フレイズはうわさ通りのお菓子でできた家でのんきに鼻歌を歌いながら、大釜の中身をかき混ぜていた。
「村の子供の風邪薬。甘くあまぁく煮てあげよう。花の蜜に、蜂の蜜、あまぁくとろぉり煮てやれば、子供舌でも飲み込める、ほいっ」
(……ほいって……)
平和な様子に脱力すると同時に、彼女を守ることができて良かったと、彼女を失わずに済んで良かったと、トゥイルは深く思った。
「……はぁ」
気の抜けたようなため息を吐いたかと思えば、あっという間に端正な横顔が赤く染まる。
それを隠すように、トゥイルは手のひらで顔を覆った。
「……どうしよう」
「どうしようって、何が?」
そんなトゥイルの独り言に応えるように、彼の足元でピンク色のリスが鼻をヒクヒクさせて言った。
「シュゼットか。いや、今更なんだが、僕はフレイズが好きらしい」
「あら、いやですわ。今更すぎて笑っちゃいます。うふふ」
リス姿のシュゼットは、愛らしい顔でクスクスと笑う。
そんな彼女をたしなめるように、トゥイルは指先でちょんと小さな頰を小突いた。
「そう言うな。仕方ないだろう? 改めて、そう思ったのだから」
「本当に、今更ですこと。でも、気付けたならそれで良いではありませんか。だって、百年待つのでしょう? あれからまだ、八年しか経っていませんもの。時間はたっぷりありますわ」
「そういえば、そうだったな。しかし……僕は魔力もたいしてないし、百年も生きられないだろう。さて、どうしたものか」
悩むトゥイルに、シュゼットはおかしそうに笑った。何を仰っているのですか、と。
「いつものように、王にねだれば良いではありませんか。魔法大国フォレノワールならば、長寿の魔法も若返りの魔法も、不老の魔法も思いのまま。それに……私欲のためとはいえ、今やあなたはブルドロの魔女たちの救世主。王がダメでも魔女たちならば、喜んで協力するでしょう」
「大魔女シュゼットも?」
「ええ。かわいいあなたと弟子の恋のためならば、喜んでお手伝いいたしますわ」
「そうか」
シュゼットは「それに……」と言葉を続ける。
「フレイズは、そろそろ弟子を育てる時期ですの。弟子はその辺で種をもらって産み育てたり、落とし子を拾ったりするのが慣例で……」
「たね……?」
シュゼットの言葉に、トゥイルの目がギラリと不穏に光る。
ブルドロとの戦いで『軍神の御使か!』と恐れられたあの時の顔とそっくりな凶悪な顔に、シュゼットは「あらあら」と嬉しそうに笑んだ。
「大丈夫ですよ。彼女の使い魔はかわいい女の子しか育てないと言っていましたから。あなたのような見目なら、歓迎はしなくても邪魔もしないでしょう」
「彼女が、あと九十二年も待つ保証なんてないだろう」
唇を尖らせて子供のように不満げにつぶやくトゥイルに、シュゼットは「そうですねぇ」と思案する。
少しして、ポンと手をたたいた彼女はこう言った。
「では、こうしましょう。彼女には、魔女狩りが過激化しているから安全が確保出来るまで森から決して出ないように、と伝えておきます。あの森には人喰い狼が棲んでいるので人は立ち入りませんし、彼女が外に出なければ、種を貰うこともありません」
「そんなことくらいで大丈夫なのか?」
「大丈夫ですわ。なにせ、私の弟子は魔法に夢中でそれ以外にはとんと興味がない。放っておけばいつまでだって引きこもっているような子なのです」
そんなやりとりをしてから、九十一年の年月が流れ──トゥイルは目の前で考え事に夢中になっているフレイズを見つめ、穏やかな顔で優しく笑んでいた。
彼の心の中では、狼が舌なめずりをしている。
さぁ、魔女様。カウントダウンを始めましょうか。
そう、言わんばかりに。
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