第6話 熟成された恋の味

「そして、僕は結論を出しました。あの唇ともう一度キスをするためなら、なんでもしようと。手始めにプロポーズをしたのですが、フレイズが“百年早い”と言ったものですから、九十九年待ってみました」


 そう言って胸に手を当てハァと吐く青年のため息は、ピンク色をしていそうだった。


 ぷにぷにの肉球で抱っこしていたティーポットが、ぽろりと手から離れる。

 落ちたティーポットから溢れる紅茶を見つめながら、ポヴィドルは思った。


(この男、ヤベェ)


 帰宅するなり殺気立った視線を送ってきた厄介な客を、それでも客ならもてなさなければと、デキる使い魔ポヴィドルは、めったに使わない応接間へ彼を案内した。

 おとなしくついてきてくれたのをありがたく思いながらも、フレイズから片時も離れまいとしている青年の姿に、我が主人は干物女を拗らせて商売男を招いたか、それとも媚薬を使ってしまったか、なんて彼女に対して失礼なことを考える。


 席に着くなり急に話し出した青年の話に、耳を傾けながらお茶の用意をしていたのだが、ついうっかりつるりと肉球が滑って、持っていたティーポットを落としてしまった。

 あまりにも荒唐無稽な話を聞かされて、つい手を滑らせてしまうのは仕方がないことだと思う。


「……重っ」


 今時、キス一つでこうも執着する男もいないのではないだろうか。


 初キスも済ませていなかった冴えない中年男とかならまだ理解できる。

 だが、目の前の青年はどう見ても、そういった誘いに困るようなタイプに見えない。なんなら、大金積んで「これでキスしてくれ」と頼まれていそうなくらいだった。


 ポヴィドルの言葉に、フレイズが無言でコクコクと頷く。


 フレイズとしては、キスしたつもりは毛頭なかったのに執着された挙げ句、もう一度キスをしたいだけでプロポーズされるわ、九十九年も待たれるわで恐怖でしかなかった。

 そもそも恋愛ごとに興味のかけらもないので、こういった事態は非常に不本意極まりない。


「初恋……というか、ファーストキス拗らせている男、超怖ぇ」


 ポヴィドルの尻尾が、ワシャーと毛羽立つ。

 そして、当事者の一人であるフレイズをしげしげと見つめた。


 フレイズの目は、助けを求めてウルウルしている。それだけならか弱い女の子のようだが、実際は薄汚れた女が目を潤ませているわけで……。かわいくねぇな、とポヴィドルは心の中で吐き捨てた。


 フレイズとは、幼い頃から一緒にいる。

 ポヴィドルは誰よりも彼女をよく理解しているつもりだった。

 相変わらずの干物女っぷりに、本当に青年の相手がフレイズなのか、疑わしく思う。


「あの……コンフィズリー様、でしたっけ? その、鶏足の魔女って、本当に目の前にいるフレイズ・バニーユで間違いないのですか?」


 ポヴィドルがちらりと見たフレイズの足は、九十九年前から変わらず肉付きが悪いままだ。鶏の足のよう、と言えばそう見えなくもない。

 やはり間違いだった、なんてことはないだろうかと、ポヴィドルは微かな期待を胸にトゥイルへ問いかける。


 だって、相手はかの有名なフォレノワール王国の、末席とはいえ王族なのだ。

 こんなみすぼらしい、仕事だけが取り柄の魔女に、見目麗しい王子様がキスをしたいがために求婚することなどあり得ない。

 だって、彼なら選り取り見取りのはずなのだから。


 ポヴィドルの期待を裏切るように、トゥイルは緩やかに首を振って、フレイズに笑いかけた。


「間違いない。フレイズの師匠である大魔女シュゼットが自ら僕に教えてくれたし、なにより僕がこの姿でここへ来られたのも、彼女の協力があってこそだ」


 ポヴィドルなんて見えていないかのように、トゥイルの目はいちずにフレイズを見つめ続けている。

 そんな視線に気付いているのかいないのか、シュゼットの協力のおかげでトゥイルが百十一歳らしからぬ容貌なのだと聞いた途端、フレイズの目がキラキラと輝き始めた。


 何度も言うが、フレイズは魔法に関してのみ真摯しんしな魔女だ。

 そのため、師匠の魔法に物凄く、心惹かれた。そしてトゥイルは、そんなフレイズの様子をよく見ていた。


「僕の体、気になるでしょう?」


 ほれほれと馬の前へぶら下げた人参のように小首をかしげて意味深に笑うトゥイルから、尋常じゃない量の色気が漏れ出ているようだ。

 トゥイルの言葉に、ポヴィドルは目を細めた。彼は、わざとそう言っているに違いない。


「けどなぁ……フレイズは気づかないと思いますよ」


 ポヴィドルはこっそりと呟いて、落としたティーポットを片付け始めた。

 フレイズに想いを寄せているらしい齢百十一歳の若者は、彼女のことをよく理解しているようでしていないようだ。


(これは長期戦になりそうだな)


 約束の百年より一年早く青年がやって来たのはシュゼットの助言かもしれない、とポヴィドルは予想した。


 フレイズの師匠でありポヴィドルの母である彼女は、とかく恋や愛といったものが大好きなのだ。

 人の恋路に余計なちょっかいを出しては、成就させたり失恋させたりしているおせっかいな魔女なのである。


 十中八九、青年の恋にもいろいろと干渉していることだろう。

 しかし、フレイズをよく知るシュゼットが認めた相手ならば、これ以上の好物件はないかもしれない。


(しかも、見目も良い!)


 彼はフレイズの使い魔だが、彼女を助けるつもりはなかった。

 掃除洗濯、薬草の採取に村人たちの御用聞き。毎日やる事はいっぱいで、猫の手も借りたいほどだからからだ。


 それに、フレイズは子を産むなり拾うかして後継者を育てる時期をとうに過ぎていたから、なるようになれと思っていた。育てるならかわいい女の子がいいな、とも。

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