第5話 小生意気な少年の初恋

 九十九年前、魔女集会にトゥイルがいたのにはわけがある。


 フォレノワール王国。

 偉大なる魔法使いや魔女を多く輩出するこの国は、国民のほとんどが大なり小なりの魔力を有する魔法大国だ。

 魔法なんて胡散臭いと周辺諸国から煙たがられていたが、そのおかげで攻め込まれることもなく、独自に魔法を発展させてきた。


 この国の王族には、とある義務が課せられている。

 それは、自国の特色である魔法を、誰よりも深く理解するというもの。


 とはいえ、もとより王族は魔法について異常なまでに執着する傾向があったので、義務とは言えど、その大半が嬉々として取り組んでいる。

 王位継承権が低いながらも王族の末席に籍を置くトゥイルも例外ではなく、あの日は顧問魔法使いの一人である大魔女シュゼットの誘いで、こっそりと集会に招かれていた。


「トゥイル様。決して、私から離れないでくださいませ。人喰いや悪魔崇拝は随分前に廃止しましたが、根絶したわけではないのです」


 そう言って、シュゼットはトゥイルを魔女集会へ連れて行った。

 しかし、数少ない魔女が一堂に会する魔女集会で、好奇心旺盛な十二歳の少年がおとなしくしていられるはずもなく。市場バザーで珍しい植物に気を引かれたり、うわさに名高い魔女たちを眺めたりしているうちにシュゼットと離れ、迷子になってしまった。


 シュゼットの名を呼んで助けを求めることも考えたが、ここは魔女集会。男子禁制の場で安易に声を上げることもできず、途方に暮れていた。

 なんとかシュゼットと合流しなくてはと辺りを見回しながら歩いても、誰も彼も似たような格好をしていて、薄暗い中では見分けがつかない。


「はぁ……困ったぞ」


 ふぅと嘆息して肩を竦めた時、唐突にトゥイルはブランと吊り上げられた。


「ぐえっ」


 カエルのような声を上げながら、トゥイルはジタバタと暴れる。


「ねぇ、見なさいよ」


「こいつ、魔女じゃないわ」


「とっても綺麗な男の子! きっと食べたらお肌が綺麗になるわ!」


「そうね、食べちゃいましょう!」


 不穏な言葉の数々に、トゥイルはシュゼットの言葉を思い出した。


『人喰いや悪魔崇拝は随分前に廃止しましたが、根絶したわけではないのです』


 トゥイルを取り囲む魔女たちは本気でそう思っているのか、意気揚々と大釜を取り出して準備を始めた。

 食べられてはたまらないと、トゥイルは手足を無我夢中で振り回す。


 なんとか魔女の手から落ちたトゥイルは走って逃げようとしたが、魔女たちが逃すわけがない。

 あっという間に再び取り囲まれて、トゥイルは頭を守るようにうずくまった。


「やめろ! 僕を食べてもおいしくないぞ!」


「おいしいとか美味しくないとか、そういうことじゃないのよ」


「食べたら、あなたのようになれるかもしれないでしょう?」


「だから、食べるのよ」


「あなたが綺麗だからいけないのよ。綺麗に生んだ、両親を恨むことね」


 トゥイルはなんとか話し合おうとしたが、人喰い魔女たちは聞く耳を持たないようだ。


 謎理論を展開する魔女たちが、トゥイルは理解できなかった。

 人間は、豚を食べたからと言って豚になれるわけがないし、トマトを食べたって赤くならない。そんなことは十二歳のトゥイルだって知っているのに、魔女たちはどうして分からないのだろう。


(そういえば……昔、若い娘の生き血で若返ろうとしていた貴族の女がいたって本で読んだな)


 そんなことを考えていた時、ふとトゥイルは視線を感じて顔を上げた。

 薄暗くてよく見えないが、巨大なキノコの上に寝そべった女性がこちらを見ているようだった。口の先から伸びた棒からは、プカァプカァと煙が流れている。


(うわっ。もしかして、気付かれた?)


 四人の魔女に取り囲まれているだけでも面倒なのに、五人になったらもっと大変そうだ。


(魔女集会で騒ぎを起こしたくはなかったけれど……このままじゃそうも言っていられないよなぁ)


 大声で助けを呼ぶ準備をしていたトゥイルだったが、少し遅かったようだ。カツカツとヒールの音を響かせて接近してきた魔女に、彼は気配を殺して息を潜めた。


「ねぇ、あなたたち。そこで何をしているの?」


 最初に目に入ったのは、ほっそりとした足首だった。肉付きの悪い足は、鶏のよう。

 トゥイルは、この魔女が相手なら逃げ切れると確信した。


(問題は他の魔女だ)


 早々に五人目の魔女を戦力外認定したトゥイルは、四人の魔女からどう逃げようかと考え始めた。

 魔女たちは、鶏足の魔女に憧れを抱いているらしく、キャッキャと少女のようにはしゃいでいる。


(今なら、逃げられそうか……?)


 魔女たちの視線は、トゥイルへ向けられていない。

 逃げるなら今だと、立ち上がろうとしていたトゥイルに、鶏足の魔女が近寄ってきた。


(こいつを突き飛ばして逃げよう……)


 魔女を突き飛ばして逃げるシミュレーションをしていたトゥイルだったが、実行に移すことはできなかった。

 彼の目の前にいた魔女が彼の顎を掬い、唇を押し付けてきたからだ。


 押し当てられた唇は、柔らかくて甘くていい匂いがした。

 少しカサついているところといい、フニッとした弾力といい、まさにマシュマロと称するにふさわしい唇に、感動さえ覚える。


 離れていく唇を、トゥイルは物欲しげに見つめた。


 彼女の唇が気になって仕方がない。

 思い募るあまり、彼女自身も気になってくるありさまだ。


 そうなると、数分前まで鶏足だとこき下ろしていた魔女が、可愛らしく見えてくるから不思議だ。

 薄暗闇に映える、乳白色の髪。真っ赤な目はキラキラとしていて、頰はキスの余韻か高揚している。肉付きが悪いと思っていた体もよく見ればスラリとしていて、小さなお尻は今のトゥイルの手にちょうど良さそうなサイズである。


 世間では彼の変化を、恋は盲目と呼ぶ。

 トゥイルはもう一度彼女とキスがしたいと、熱病に冒されたようにそればかり考えていた。


 わりと器用なトゥイルは、今まで大した苦労もなく勉強も運動も卒なくこなしてきた。

 そのせいだろうか。何かに執着するという気持ちが薄かったのだ。


 そんなトゥイルが、たった一度のキスに執着した──それは、彼の人生において歴史的瞬間とも言える出来事だったのである。

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