第3章 心、絆されて?

第16話 デートのお誘い

「次の日曜日は空いている?」


「薬の調合」


「じゃあ、土曜日は?」


「薬草採取」


「じゃあ、今夜は?」


「夜は寝る」


「そうか、寝るのか。それなら、良かった」


 なにが良いのか、トゥイルは微笑みながらフレイズの頭を撫でた。


 プレゼントしたせっけんを使ってくれているのか、以前はキシキシと傷んでいたバニラ色の髪は、陽の光を反射して湖面に映る月明かりのように艶々としている。

 絡み合ってひとかたまりになっていたのがうそのように、長い髪はスルスルとトゥイルの指の間を流れていった。


 フレイズがどんなにそっけない態度を取ろうと、トゥイルはこの家へ来る。

 嫌になって早く来なくなればいいのにとフレイズが意固地になればなるほど、彼は宝石のように綺麗な目を嬉しそうに細めた。


(こんなやりとりの、何が楽しいのかしら。寝ているかどうかを知りたいのなら、前半の質問は無駄じゃない)


 トゥイルの不意打ちのような優しい手に、フレイズは読み耽っていた本から顔を上げた。

 苺のように真っ赤な目が、物言いたげにトゥイルを見上げる。


「その顔は……呆れている?」


「そうね、呆れているわ。さっきの質問に、何か意味はあるの?」


「デートに誘いたくて」


「でぇと」


「そう、デート。もしかして、知らない?」


 トゥイルは目をわずかに見開いて、フレイズを見た。

 フレイズはそんな彼を、無表情のまま見つめ続ける。


「デートとは、主に時間を共有することだ。つまり、一緒にいることによって、お互いの存在を大きくしたり、気持ちを交わし合ったりしながら信頼関係を深めること」


「ほーん」


 説明を流すようにやる気のない返答をするフレイズに、トゥイルは意味を知っていたなと理解した。

 彼女は意味を知っていた上で、適当な返事をしているのだ。


 それでもトゥイルはめげない。

 だって、フレイズはトゥイルを追い出さない。それに、時間はたっぷりとあるのだ。


(この私とデートなんて、一体何を考えているのかしら? 時間を共有するっていうのなら、今まさに同じ時間、同じ空間にいるじゃない。そもそも、デートっておしゃれしてどこかで待ち合わせして、ご飯を食べたり遊んだり、貢がせたりする行為でしょう。知っているわよ、私だって。だてに愛欲の魔女の弟子をやっていないわ)


 デートなんて興味なし。

 そんなことに時間を費やす暇なんてありませんと、フレイズは首を横に振りながら深く息を吐いた。


(トゥイルの考えていることはよく分からないわ。いや、そもそも、こいつの考えていることなんて気にするだけ無駄なんじゃないかしら? もぉぉ! せっかく、よく汚れが落ちる洗剤のレシピを思いつきそうだったのに!)


 言うことを聞かない子供の相手が疲れた母親のような態度を取るフレイズに、トゥイルは気分を害するどころか面白そうにしている。

 だって、トゥイルは嬉しくて仕方がないのだ。


 気の遠くなるような年月を経て、ようやく言葉を交わしている。

 見ていることしかできなかった時間を思い返せば、随分と親しくなったような気さえした。


 その上、魔法のことばかりで自分の睡眠さえおろそかにしていたフレイズの、目の下のクマがすっかりなくなったことも、トゥイルは喜ばしく思っていた。


 住環境を整えて、食生活を改善する。

 自分のしたことでフレイズが少しずつ変化していくことに、彼はこの上ない喜びを感じていたのだ。


 そう。

 彼はフレイズ限定の、尽くし系男子だった。


「何がそんなにおかしいの?」


「毎日、幸せ過ぎて笑ってしまうんだ」


 ほんの少し頬を赤らめて微笑むトゥイルは、甘いお菓子を食べて幸せに浸る少年のようにうっとりとしている。


(王族のくせに、欲がない子ねぇ)


 出会う前の傍若無人な彼を知らないフレイズは、そんなことを思った。


 トゥイルがどんなに尽くしても、フレイズは何にも返さない。

 尽くすより前に、早く帰ってくれたらいいのにと願ってさえいた。


(トゥイルがいると、魔法のことだけを考えていられないのよ。本当に、困るったらないわ)


 気を取り直して本を読もうと動かした指先に視線を感じて、フレイズはおやと顔を上げた。「今度はなに」と言う前に、本の上に置いたままにしていたフレイズの手を、トゥイルがそっと持ち上げる。


「手荒れは……まだ少しあるな。次はハンドクリームを持ってこよう」


 やけに熱心に見るなとフレイズが思っていたら、トゥイルはそんなことを呟いた。


 せっけんの次はハンドクリーム。

 彼はフレイズを手入れして、どうしたいというのだろうか。


 そっと手を元に戻すトゥイルを見つめながら、フレイズは考えていた。


 普段のトゥイルのことをフレイズは知らない。

 だが、少なくともお菓子の家にいる間、彼の笑みが絶えることはなかった。

 フレイズが客人をもてなす最低限のこと──身嗜みを整えるとか、お茶を出すとか、部屋を片付けるといったことだ──をしないにも関わらず、彼は常に『幸せだなぁ』と体現しているのだ。


 もしもフレイズが彼の立場ならば、とうに不敬罪で処罰するか、ここへ来なくなっただろう。


(どうしてこの人は、ここへ来るのかしら?)


 この家には、人間にはなじみがないものがたくさんある。好奇心が旺盛な人ならば、何度も来たくなるかもしれない。

 だけれど、それでも見飽きる日はくる。


 お菓子の家は、そう広くない。寝室と応接間、それから薬の調合をする大釜のある部屋。それからキッチンや風呂トイレといった水回りがあるだけ。

 物珍しいもののほとんどは大釜の部屋にあったから、そこさえ見終わってしまえば、興味はうせるはずだった。


 だというのにトゥイルときたら、家の隅々まで整理整頓してフレイズ以上にこの家のことを把握しても、立ち去るそぶりさえ見せないのだ。

 家が整ったら次はフレイズ自身に興味が移ったのか、食事やおやつを与えてきたり、せっけんをお裾分けしてきたりしてきた。


 思えば、フレイズが畏るのをやめてほしいと言ってから、トゥイルはやたらと彼女を構うようになった気がする。


(やっぱり、惚れ魔法のせいよね……?)


 フレイズの頭の中でトゥイルの言葉が蘇った。


『お忘れですか? 僕ですよ。コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール。あなたに恋する男です』


 彼は、確かにそう言った。

 忘れっぽいフレイズだが、結構な衝撃を受けた言葉なので忘れられやしない。


(……かわいそうなトゥイル。惚れ魔法のせいだと知らず、長い間私に執着し続けて)


 早く魔法を解いてあげなくてはと、フレイズは頭の中の考え事を洗剤から惚れ魔法へ切り替えた。


 一方、憐れみの視線を受けたトゥイルは、ゆるやかに首をかしげていた。

 正常な感覚を持つお嬢さんなら、トゥイルの愛らしいしぐさに思わずズギュンと胸を射抜かれていたことだろう。残念ながら、恋にもトゥイルにも今はさして興味がないフレイズには、全く効果はなかったが。


(なるべく早く、魔法を消してあげないといけないわね)


 一人納得するフレイズ心の声がだだ漏れだったならば、きっとトゥイルは脱力してその場で崩れ落ちていたことだろう。「なんでそうなるんだよぉ」と情けない顔をして、床をダンダンとたたいていたかもしれない。いや、もしかしたら「これは好機だ」とフレイズの誤解を解いて、口説いていたかもしれない。


 トゥイルの症状を見定めるように、フレイズの赤い目が彼を見つめる。

 甘く煮詰めたストロベリーコンポートのように煌めく目で見つめられて、思わずトゥイルは息を飲んだ。


「……っ!」


 見つめ合うこと、数秒。トゥイルは、初めてキスをしたあの瞬間を唐突に思い出して、ゴクリと喉を嚥下させた。


「フレイズ……あの……?」


 試すようにゆっくりと距離を詰めても、フレイズは身動き一つ、瞬き一つしない。観察対象が近くなったことでよく見えるようになったな、くらいにしか思っていなかった。


(せっかく顔が整っているのだから、そんな間の抜けた顔をしない方が良いのでは……? 私には関係ないけれど)


 のんきなことを思っていたフレイズだったが、ひとまずの観察を終えて、唐突にふいっと顔を逸らす。


「え……あ……」


 トゥイルからしてみれば絶好のチャンス。それを逃したのだから意気消沈するところなのだが、彼はなぜかホッと息を吐いていた。


 次にキスをする時は両思いになってから。

 長年恋を拗らせた彼は、淑女が抱くような理想を掲げるようになっていた。


 好きなものを最後に食べるタイプのトゥイルは、フレイズとのキスは最後まで取っておきたいものなのだろう。

 ラッキーチャンスにうっかり禁を破りそうになった自分を叱咤しったするように、彼はゆるゆると力なく首を振って雑念を振り落とした。


「ところで、フレイズ。今は何時だろうか?」


「……午後の三時だけれど」


 フレイズの答えを聞いたトゥイルは、ポケットから懐中時計を取り出した。


(どうせ確認するなら聞く必要ないじゃない)


 ムッスリとするフレイズに、懐中時計を見たトゥイルは言った。


「なんて偶然だ! 僕の時計でもその時間だよ。これは運命に違いない、お茶にしよう」


 いそいそとキッチンへ消えていくトゥイルを見つめ、フレイズはもう何も言うまいと脱力した。今日のおやつはタルトがいいなぁと思いながら。

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