第13話 使い魔を助けたのは……

「……取り消しキャンセル


 最近よく聞くようになった声が、静かに告げる。

 すると、轟音とともに落ちるはずだった雷は、何事もなかったように消え去った。


 ポヴィドルは、様子をうかがうようにそろりと目を開けて、ゆっくりと辺りを見回す。

 いつの間にか、体の周りにまとわりついていた静電気は消え去っていた。


「ポヴィドル、大丈夫か?」


 ポヴィドルを背に庇うように、子供たちの前にトゥイルが立っていた。

 田舎では見ることのない綺麗な服を着て優雅に微笑むトゥイルに、子供たちはポカンと口を開いて見つめている。

 女の子の口からポロリと「王子様みたい」と呟きが零れた。


「……げほっ。なんとか、な」


「そうか。差し支えなければ、このままでいても?」


「……頼むわ」


 いかにも上流階級といった風貌の男が、怪しげな猫と知り合いのように話す様を見て、一人の少女が「あの……」と勇気を出して声をかけた。

 頰を赤らめて不安げに視線を揺らす少女に、トゥイルは貴族令嬢へ笑いかける時の、甘いだけで心が伴っていない笑みを向ける。


「どうしたのかな?」


「その猫、魔女の使い魔なんです。だから、退治しないと……」


「そうか……この国ではまだ、魔女や使い魔が忌み嫌われているのだな」


「え?」


 トゥイルの呟きは、子供たちには聞こえなかった。

 地の底を這うような声が、目の前にいる高貴な彼から発せられたと、理解できなかったのかもしれない。


 少女の言葉に、トゥイルは一瞬だけ憎悪や嫌悪といった感情を表に出したが、すぐさま微笑にすり替えた。


「なんでもないよ。ところで、私は貴族でね。魔女や使い魔の扱い方をよく知っている。この猫も、私が然るべき処置をしておくから安心すると良い。……あぁ、そろそろ日が落ちるな。ほら、君たちはお帰り。この森は、人喰い狼が出るのだろう? 食べられたら大変だ」


 トゥイルは人好きのする好青年の顔をしながら、有無を言わせない空気を漂わせている。

 女の子たちはトゥイルの麗しさに目を奪われ、男の子たちは得体の知れない威圧感に息を詰めた。


「……お願い、できますか?」


「あぁ、任せてくれ」


「じゃあ、お願いします!」


 トゥイルがにっこりと微笑みかければ、子供でも何か感じるものがあるのか、焦ったようにワラワラと森から去っていく。


(猫かぶり、すっげぇな)


 ポヴィドルはトゥイルを、なんとも言えない複雑な表情を浮かべて、彼の腕の中で見上げていた。


「ポヴィドル、大丈夫か?」


 子供が見えなくなると、トゥイルは途端に心配そうな顔でポヴィドルを見下ろしてきた。


 先程までの胡散臭さは消え、心の底から心配している様子の彼に、ポヴィドルはどうして自分なんか心配するのだと不思議でならない。

 金の目をまん丸にして耳をピョコピョコさせながら、ポヴィドルは考え事をするようにゆるりと尻尾を振った。


(フレイズに対してだけでなくオレのことまで……初対面の時は殺気立っていたくせによぉ)


 初めて会った時、彼は昏い目をして射殺さんばかりの視線を送ってきた。


『おまえがポヴィドルか』


 そう言った彼の声は、死者の国の王かと錯覚するような底冷えのする音をしていた。


 そんな彼が、今はまるで友人を心配するようにポヴィドルを心配している。

 この変化に、ポヴィドルは戸惑いながらも悪くないと思った。


「あ、ああ……ちょっと痛いけど、生きているから大丈夫だ。これくらいなら、フレイズの薬で治る」


 いつもの胡散臭さがない、これが素の性格らしいトゥイルに、ポヴィドルは思う。

 こいつって結構いいヤツなんじゃないか、と。


「この国は、まだ魔女や使い魔を忌み嫌うのだな」


 ぽつんと呟いて悔しそうに唇を噛むトゥイルに、ポヴィドルは「何を今更」と苦く笑った。


「ずっと、変わらねぇよ。この辺りは田舎だから、特にな。首都はここより少しマシだが、それでも二足歩行の猫に石を投げてくる程度には嫌っている。だからオレはフォレノワールの王都で買い物することにしてんだ」


「フォレノワールの従属国になって、だいぶ経つのにな。すまない、僕の力不足だ」


 腕に抱くポヴィドルにぺこりと頭を下げるトゥイルの頰に、ひんやりとした肉球が押し当てられる。

 ムニュッと癒やされる感触に、トゥイルの口が思わず緩んだ。


「坊ちゃんだけのせいでもないだろう。それにさ……あの時、あんたが挙兵してくれなかったら、フレイズは処刑されていたかもしれない。それが無くなっただけでも、オレとしちゃあ万々歳さ」


「……そうか」


 ポヴィドルの言葉に、トゥイルは眉を下げた。

 困ったような、それでいて泣きそうな表情を浮かべて、彼はポヴィドルをしっかりと抱き直す。


「けどまぁ、フレイズはあんたのおかげで生き延びたって知らないからさ。あんたも、同情であいつを手に入れたって嬉しくないだろう? だから、とりあえずオレは、見守っていてやることにする。フレイズは……たぶんあんたのこと歓迎しないだろうけど、まぁ、頑張れよ」


「ああ、ありがとう」


 トゥイルとポヴィドルの間に微かな友情のような関係が結ばれたのを見計らったように、子猫が「みゃあ」と鳴いた。

 トゥイルの足をよじよじと登ってきて、ポヴィドルと一緒にトゥイルの腕の中に収まる。


「無事で良かった」


 ポヴィドルはそう言うと、血のにじむ子猫の額をペロリと舐めた。


「さて、このままじゃあ帰り辛いだろうからね。ひとまず、僕の家でお風呂と手当をしよう」


「僕の家って……王城か?」


「大丈夫だ、手当はシュゼットがやってくれる」


「そういう意味じゃねぇんだけど……でも、シュゼット様か。お会いするのは久しぶりだなぁ」


 もう随分と会っていない育ての親に会えると言われて、ポヴィドルの尻尾がユランと揺れる。

 黒猫と黒い子猫を抱きかかえて、トゥイルは秘密の通路へ姿を消した。

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