第14話 大魔女の息子

 大魔女シュゼットが作り上げた魔法の通路をもってすれば、隣国の城だって徒歩五分の距離になる。


 馬車の速度で計算すると、お菓子の家から王都までは丸三日、トゥイルの居城までは丸三日半というところだろうか。

 フレイズが作った、フォレノワール王国の王都へつながる魔法の通路は徒歩二十分ほどかかるから、大魔女と呼ばれるにはそれなりの理由があるようだ。


 トゥイルが住んでいる城は、王やその家族が暮らす王都の城とは別にあった。

 王都の北西に築城されたヴァシュラン城は、トゥイルの亡き祖父母の結婚式の記念として建てられたものだ。


 深い森の中心、人里離れた渓谷に建つヴァシュラン城は、人口の湖上に建てられた優美な水城である。

 ロマンチックなものが大好きだったトゥイルの祖母のために、他国から嫁いできてくれた感謝と愛を込めて、当時王太子だった祖父が建てたと、王国に伝わる歴史書には記載されている。


 春と夏は青々とした緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、移り変わる季節に彩られてとても美しいが、他国から忌み嫌われる魔法大国に在ってか、地元民の目を楽しませるだけだ。


 美しい城の中でもとりわけ目立つのは、ノッポの塔。

 そこはもともと牢獄だったが、トゥイルの居城になってからは、魔女たちの住居兼研究室になっていた。頑丈なつくりの塔は、実験に失敗して爆発が起きても、びくともしないからだ。


 螺旋状の階段を上がり、ようやくたどり着いた最上階。

 塔のてっぺんにある部屋が、大魔女シュゼットの研究室である。


 特注の、リスを模したドアノッカーを鳴らすと、扉の向こうから「はぁい」と鈴を転がしたような可愛らしい声が聞こえてくる。

 いくつになっても少女のような養母の声に、ポヴィドルは思わずヒゲをピーンとさせた。


「はいはい、どちら様ですか……って、あら? トゥイル様ではないですか。わざわざこちらへ来るなんて珍しいですわね。何かありましたか?」


「ちょっと頼みがあってな。これなのだが……」


 そう言って、トゥイルは腕に抱えた二匹の猫をシュゼットに見せた。

 泥まみれでけがまでしている猫たちに、シュゼットは花びらのような唇を悲しげに歪める。


「あらあら、まぁまぁ。どうしたの、あなたたち。私のかわいい坊やは、どうしてそんなにボロボロなの? フレイズに感化されて、あなたまで無精するようになってしまった? ……あら、こちらはお友達? まぁまぁ、この子もボロボロじゃない。さぁ、二人ともいらっしゃい。お母さまがお風呂に入れて、それから手当てしてあげますからね」


 言うなりヒョイヒョイとトゥイルの腕から猫たちを奪い取ると、シュゼットは近くにあったバスケットに猫たちを入れた。

 それからドレスの袖をグイッと押し上げて、お風呂の準備を始める。


 優しいのか自分勝手なのか、相変わらずよく分からない養母に、しかしポヴィドルは嬉しそうだ。

 トゥイルは招かれてもいないのにさっさと部屋へ入ると、慣れたように椅子を持ってきて、猫たちが入ったバスケットのそばに座った。


 ザァザァと漏れ聞こえるシャワーの音に、お風呂なんて入ったことがない子猫は不安げに「にゃあ」と鳴く。

 そんな子猫を構うように尻尾の先で鼻をくすぐってやりながら、ポヴィドルは初めて来たシュゼットの研究室をしげしげと見回した。


「マジで城だ……」


「城というよりは、ちょっと大きな屋敷ってくらいの大きさだろう。そう緊張することはない。フレイズの兄であるポヴィドルなら、僕の義兄も同然だから、気楽にしてくれ」


「いや、義兄って……」


「ポヴィドルは、僕の恋を応援してくれるのだろう?」


「見守るとは言ったけど、応援するとは言ってねぇ」


「同じようなものだろう」


 違う、とポヴィドルは言えなかった。


「私のかわいい坊や。お風呂に入れてあげますからね」


「はぁい」


 お風呂の準備を終えたシュゼットに抱きかかえられて、ポヴィドルは上機嫌でバスルームへ連れて行かれる。

 シュゼット越しに物言いたげな視線を送ったが、トゥイルは知らないよと言うようにフイッと顔を背けていた。


(よく分からないヤツ……)


 ポヴィドルは、心の手帳にそっと書き入れる。


 コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール。

 見目は合格。遺伝子的にかわいい子が生まれる可能性大。

 今のところ、種蒔きの相手としては最有力。しかし、拾い子の方がフレイズの負担も少ないか?

 王族らしい、一癖も二癖もある内面は困りもの。けれど、世間に疎いフレイズにはちょうど良いかも?


 心の手帳を閉じて、ポヴィドルはシュゼットの手に身を任せた。


 あたたかな湯が体を流れると全身がチクチクと痛み、その度に舌打ちをしたくなる。

 けれど、シュゼットの前でそんなはしたないことをするわけにはいかない。


 ポヴィドルはシュゼットが大好きなのだ。

 大好きな彼女の前では、どんな時もお利口な猫でいたいのである。


「こんなになって……一体、何があったの?」


「村の子供たちが、魔女の使い魔をやっつけようとしたんですよ」


 こんもりと泡だてたせっけんでポヴィドルの体を優しく洗いながら、シュゼットは痛ましい体に少しずつ治癒の魔法を施していく。

 ゆっくりと、しかし確実にふさがっていく傷口に、ポヴィドルは「やっぱりシュゼット様はすごいや!」と尊敬のまなざしで彼女を見つめた。


「あら……随分と嫌な遊びをするのね、最近の子供は」


「こういうのは、初めてですよ。いつもは遠巻きに見ているだけなのに。何か、あったのでしょうか……?」


 意味もなく嫌な気分になって、ポヴィドルは重い息を吐いた。

 それはまさに、動物の勘とも言えるものだったのだが、この時のポヴィドルが知る由もない。


「あら……この尻尾の先のところ、ちょっと禿げちゃっているわ」


「ギャァァァァ! うそ、うそ、本当ですかっ!? オレの自慢の尻尾がぁぁ」


「あとで毛生え薬を塗ってあげるわ。だから、安心してちょうだい」


「ほんとっ? ねぇ、母さん、本当にっ?! オレの尻尾、大丈夫になるっ?」


「大丈夫、大丈夫。お母さまに任せなさい」


「うぉぉぉぉん! かあさーんっ!」


 自慢の尻尾の一大事に取り乱したポヴィドルは、もう何年もシュゼットのことを「シュゼット様」と呼んでいたことも忘れて、幼い頃のように「母さん、母さん」と騒ぎ立てる。

 ショックな出来事のせいで、先ほどまで話題にしていた子供たちの奇妙な行動のことなんて、すっかり忘れてしまったのだった。

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