第26話 魔女の甘やかな反撃
トゥイルが案内したのは、オランジェット商会と似た雰囲気のカフェだった。
入り口でトゥイルを見るなり、スタッフは柔らかな笑みを浮かべて「少々お待ちくださいませ」と言って奥へ引っ込んでいく。
少しして、奥から支配人と名乗る男がやって来た。
「お久しぶりです、コンフィズリー様。お待たせして申し訳ございませんでした。ご案内させて頂きます。どうぞ、こちらへ」
案内されたのは、バラの庭園が一望出来る席。
ちょうど見頃を迎えているのか、色とりどりのバラたちが美しさを競うように咲き誇っている。
こちらのスタッフも魔女に偏見はないのか、フレイズを見ても嫌な顔一つしない。
フレイズは、自分のために椅子を引いてくれる人がトゥイル以外にもいること知って、ひそかに驚いた。
(ここも、魔女に友好的な店なのね。ベティーズさんが言っていたことは、本当なのかもしれないわ)
これでも、悪意には敏感だという自負がある。たとえ接客のプロが相手だって、心から魔女を忌み嫌っていれば気付く。
けれど、スタッフどころかこの店にいる客でさえ、フレイズに悪意を向けてきていなかった。
(トゥイルの努力が実を結んで、ブルドロ国でも魔女が受け入れられ始めているのね)
荷物を預けて席へつくトゥイルを、フレイズは渡されたメニュー表を見る振りをしながらそっと見つめた。
「君の好きなものはあった?」
「え? あの、えっと……まだ見始めたばかりで分からないわよ」
まさかあなたを見ていましたとも言えず、フレイズは慌ててメニューに視線を落とした。
「ねぇ……あちらの方、とてもすてきじゃない?」
「ええ。やわらかそうな藍の髪が神秘的よね」
他の席に座る女性陣がチラチラとトゥイルを見つめていることも、フレイズは気になって仕方がなかった。
(そうよね……あまり気にしていなかったけれど、一般的にトゥイルはかなりの美形の部類に入るもの。それなのに、こんなババアに惚れる魔法にかけられたままなんて……気の毒過ぎる。気は済んだし、カフェを出たら適当な所で惚れ魔法の話をしてしまいましょう)
惚れ魔法さえ解けてしまえば、全てが丸く収まるはずだとフレイズは思っていた。
ツキツキと痛む胸は気のせいなのだと、自らに言い聞かせる。
まさかフレイズが惚れ魔法を告げる算段をしているとは思いもしないトゥイルは、メニューの陰からチラチラと視線を寄越してくる彼女が、かわいくてたまらなかった。
床に転がって手で顔を覆いつつゴロゴロと転がってもだえたいところを、なんとか耐える。
「ねぇ、あの席……美男美女のカップルですてきね」
「そうだね。特に、彼女の方はチラチラと彼を見ていて、なんだかかわいらしいよ」
「えぇ〜。そこは、彼女の私の方がかわいいっていうところでしょ!」
「大丈夫。もちろん、かわいいよ」
フレイズを見るな。
そう言いたくなるのを我慢して、トゥイルはカップルの男の方の言い分に微かに頷いた。フレイズはかわいい。そんなことは当然なのである。
「なかなかメニューが決められなくて右往左往している視線もかわいいし、周りの視線や会話が気になって仕方がないのも小動物のようでかわいい」
「トゥイル、何か言った?」
「何も。ところで、僕は季節のケーキにしようと思っているのだが、フレイズはどうする?」
「私、これと紅茶にする……」
ほどなくしてそろったケーキと紅茶を、フレイズは目をキラキラさせて見つめた。
お菓子の家の魔女だけあって、彼女はお菓子が好きだ。
自分の作ったものではないものがフレイズを喜ばせていることにトゥイルは嫉妬を覚えたが、彼女のうれしそうな顔を見ているとそんな感情もあっという間に溶けていく。
「ねぇ、あそこのカップル、とってもかわいいわ」
「本当だね」
トゥイルたちを見ていたカップルが、微笑ましそうに見ていた。
彼らはキスでもしそうなくらい顔を近づけあって、内緒話をするように話している。
フレイズはそれをちらりと見て、それからトゥイルを見た。
「トゥイルも、私とああいうことをしたいのかしら……?」
「そうだね、僕はしたい。フレイズは? いいのか?」
「……」
トゥイルの返事を聞いて、フレイズは慌てて口を閉じた。
だって、言うつもりなんてちっともなかったのだ。
(とっさに言葉が出てこなかったわ……)
まさかそれこそが答えなのだと、フレイズは気付いていない。
沈黙を守る彼女に、トゥイルもまさかという気になってきた。
「……いいのか?」
トゥイルは自分から質問をしたくせに、動揺しているようだった。
相手が動揺していると、もう一方は冷静になりやすいものだ。はたと我に返ったフレイズは、「いいわけないでしょ」と突っぱねた。
「だよな……」
乾いた笑いを漏らすトゥイルは、とても残念そうだ。
ケーキのお礼に少しくらいは優しくしてあげてもいいかもしれないと、フレイズはフォークをケーキに突き刺しながら思う。
ふと、フレイズの目に、テーブルの上に放り出されていたトゥイルの手が止まった。
フレイズは唐突に、何の前触れもなく、彼の手を取る。
「これくらいなら、いいわ」
まるで子供のお遊びのような触れ合いだというのに、トゥイルは頰を赤らめて手を凝視している。
その反応が面白くて、フレイズの悪い魔女の一面がうっかり顔を覗かせた。
フレイズは彼の手をそっと持ち上げると、指にキスを落とした。
言葉にならない叫びを飲み込むように、トゥイルは息を飲む。
涼しい顔でとんでもないことをしてくるフレイズに、トゥイルの心臓は止まってしまいそうだ。
いたずらをたくらむ猫のような目で見つめてくる彼女は、彼がどんなに混乱し、どんなに歓喜しているかなんて知りもしないのだろう。
「そんなに固まらなくてもいいじゃない。ちょっと意地悪しただけでしょう?」
「これがちょっとなものか……」
テーブルに額をくっつけてプルプルと震えるトゥイルが、フレイズにはかわいく思えた。
手を離すと、今度はやわらかなトゥイルの髪をふわふわと撫でる。
「じゃあ、これは? これくらいなら、平気?」
「駄目。死んじゃいそうになるから、勘弁してくれ」
駄目と言いつつも、トゥイルはもっと撫でろと言うように頭を押し付けてくる。
(困ったわ。とっても、楽しい。このやり取りが出来なくなるのは、ちょっと寂しいかもしれない。惚れ魔法の件、もう少し、先延ばしにしても良いんじゃ……いえ、駄目よ。駄目ったら、駄目)
うつむくトゥイルは気付かない。
まさか、地獄行きのカウントダウンが始まっているとは、思いもしないのだった。
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