第27話  その気持ちは偽り?それとも……

 人がまばらだった市場も、夕方になると賑わいを増していく。

 フレイズとトゥイルは、人混みを避けるように静かな方へと歩いて行った。


(そろそろ、終わりにしてあげないといけないわ)


 どこへ行っても、彼は目を引く。

 先程からチラチラと彼を追う視線に、フレイズは気がついていた。

 彼女もまた、そんな視線の主たちと同じように、トゥイルを見ていたから。


 助けるきっかけとなった宝石のような目が、夕日に照らされてキラキラと瞬いていた。

 フレイズの視線と絡むと嬉しそうに目をすがめて、熱を帯びた視線を返してくる。

 そのやりとりはむず痒くて、そして、胸が締め付けられるようだった。


 市場から離れてしばらく歩いた所に、寂れた公園を見つけた。

 木製の遊具はもう何年も使われていないのか、所々腐り落ちている。

 かろうじて残っていたベンチはまだ使えそうで、フレイズはここなら、と足を止めた。


「ねぇ、トゥイル。ちょっと休憩していきましょう?」


「もう日が暮れるし、早く帰った方が良いのでは……」


「実は、あなたに話したいことがあるのよ」


 そういうことなら、とトゥイルは嬉しそうに了承してくれた。

 ごく自然にベンチへハンカチを敷くトゥイルに、この優しさがもう自分に向くことはないのだと思うと寂しくなる。


(でも、目を覚ましたトゥイルなら、きっと最高の伴侶を見つけられるはずよ。だって、こんなに優しくて、かっこよくて、気遣いができるのだもの。私みたいなババアに百年も執着させてしまったことは申し訳なかったけれど、彼も私の薬作りを邪魔したのだからおあいこってことにしてもらいましょう)


 フレイズは「ありがとう」と素直に礼を言いながら、ベンチへ腰掛けた。

 トゥイルもその隣へ腰を下ろす。


「それで……話したいことというのは?」


 フレイズはすぅっと息を吸うと、重い口を開いた。


「結論から言うわ。あなた、私が魔法を誤作動させたせいで惚れ魔法にかかっているのよ。私を想うその気持ちは、偽りのもの。だから、あなたの魔法でその魔法を取り消さないといけないわ」


 フレイズの言葉に、トゥイルはキョトンとしていた。

 言われていることが理解できない。そういう顔をしている。

 だからフレイズはもう一度、今度は言い聞かせるように言った。


「お願い、トゥイル。あなたには取り消しキャンセルという魔法があるでしょう? それで私がかけてしまった、惚れ魔法を消してちょうだい」


「……え? 惚れ魔法?」


「そうよ。初めて私と会った時、私はあなたにその……口付けをしたでしょう? あれは、あなたを黙らせるための魔法だったのよ。ほら、あの時はあなたも混乱していたし、魔女集会で騒がせるのもどうかと思ったから……それで、その、試作中の魔法だったものだから、誤作動で惚れ魔法になってしまったの」


「発動条件がキス……誤作動で惚れた……?」


「そうよ。それについてはお詫びのしようがないのだけれど……でも、いつまでも偽りの気持ちで私に執着するのはつらいでしょう? 自覚はなくても、良いことではないもの。だから手っ取り早く、あなたの魔法で消したいのよ」


 フレイズの言葉を吟味するように、トゥイルはしばらく黙りこくっていた。

 刻一刻と夕闇が広がっていくのを感じながら、フレイズはそんな彼を見つめ続ける。


 どれくらい経ってからだろうか。

 ポツリと、彼は言った。


「……なるほど。僕のこの気持ちは、惚れ魔法のせいであって、僕自身の気持ちではないと」


 どこか苛立たしげな様子のトゥイルに、フレイズは逃げたくなった。

 けれど、ここで逃げては、意味がない。彼女は必死に、虚勢を張って答えた。


「そうよ」


「その黙らせる魔法自体、発動していないとは考えられないのか?」


「違うと思う。だって、あなたの様子が変わったのは口付けをしてからだもの」


「キスをしたから好きになったとは考えなかったのか?」


 尋問官のように問いかけてくるトゥイルに、フレイズはだんだんイライラしてきた。

 せっかく解放されるというのに、どうしてトゥイルは納得してくれないのか。たった一つの魔法を使うだけなのに。


「……どうだっていいじゃない。早く取り消してちょうだいよ。できるでしょう? さぁ、早く!」


 フレイズは、ヒステリーを起こして叫んだ。

 今まで見たこともないような様子のフレイズに勢いを削がれたのか、トゥイルは困ったように息を吐く。


(呆れられた……?)


 フレイズは、胸がギュッと引き絞られるような思いがした。

 困らせたかったわけではない。ただ、トゥイルを面倒なことから解放してあげたかっただけ。それだけだったのに。


「もしかして……今日はずっと、この話をするつもりでいた?」


「ええ」


「はぁ……分かった。とりあえず、僕は自分にかけられた魔法を取り消せば良いのだな?」


「そう。できる……?」


「できる。それに君なら、魔法を使っているかどうかも分かるだろう? 僕が不正をしないようにしっかり見ておけよ」


「分かったわ」


 フレイズがこくりと頷くと、トゥイルは目を閉じた。

 そしてたった一言、


取り消しキャンセル


 この魔法は、魔力が極端に少ないトゥイルが使える、唯一にして無二の魔法だ。

 あらゆる魔法を無効化する代わりに、それ以外の魔法を使うことができないという制約がある。


 自らにかけた魔法は、消すべき魔法が見つからないせいでユラユラとかげろうのように消えていく。

 トゥイルは、不発に終わった魔法を感じながらゆっくりとまぶたを上げた。


「どう? 僕は、何か変わった?」


 トゥイルの宝石のような目は、相変わらず綺麗だった。

 キラキラと星屑が散っているように見えるそれは、甘く蕩けるような視線をフレイズに寄越してくる。


 にじり寄ってきた指先が、フレイズの指先にチョンと当たった。

 大仰にびくりと震えた彼女は、慌てたように手を引っ込める。その目は潤み、困ったようにトゥイルを見つめていた。


「わから、ない……」


「ふぅん。じゃあフレイズは、何か変わった? 例えば、そう……今日のこととか」


「私……? そうね、まず街に来たわ。今までの私だったら、いくら誘われてもブルドロの街になんて来なかったし、オランジェット商会も、カフェも、市場にも行かなかった」


 街に出れば、卵を投げられる。

 そんな場所に、好んで出かけたいはずがない。


「どうして、来る気になった?」


「だって、トゥイルが誘ったから」


「僕が誘ったから、来てくれたの?」


「そうよ」


 トゥイルなら、良いかと思ったのだ。

 だって彼は、いつもセンスの良い服を着ていたから。


「僕以外が誘っても、来てくれた?」


「行かないわ。そんな暇があったら、薬を作りたいもの」


 ポヴィドルが誘ったって、行く気にはならない。

 師匠のシュゼットが誘ったら、死ぬ気で回避する。


「じゃあ、僕だけ特別なのはどうして?」


「どうしてって。そんなの、分からないわ。なんとなくとしか、言いようがない」


 眉をへにょりとさせて、迷子のように今にも泣きそうな声で答えてくるフレイズに、トゥイルはどうしてくれようと思った。

 だって、もうほとんど答えは出ているのに、この期に及んで分からないなんて──、


「かわいすぎるだろう」


 愛すべき鈍チンだ。


 トゥイルは辛抱たまらなくなったのか、フレイズをその腕で抱きしめた。

 抱きしめられたフレイズは困ったように体をモゾモゾさせていたが、トゥイルに離す気がないのだと分かると大人しくなった。

 それが甘えてくれているように思えて、トゥイルはますますたまらなくなる。


 トゥイルはフレイズの顎に手をかけて、そっと上向かせた。

 何をされるのか分かっていないのか、フレイズはキョトンとした顔でトゥイルを見上げている。


「トゥイル?」


 カフェで食べた、甘いケーキのせいだろうか。

 彼女の吐息混じりの声がひどく甘く感じられて、トゥイルはゴクリと喉を嚥下させた。


 微かに開いた唇の先で、赤い舌がチラチラと見え隠れしている。

 トゥイルはそれに誘われるように、自らの唇をそっと押し当てた。


 ふにりと押し当てられたものに、フレイズは目を見開く。

 抵抗する間もなく二度目がやってきて、フレイズは酸欠で死んでしまうかもしれないと、思わず身を引いた。


 逃げかけたフレイズを捕らえるように、トゥイルの長い腕が彼女の腰を抱き戻す。

 ますます密着する体からは、どちらのものか分からない、両方のものかもしれないドクドクと早い鼓動が聞こえてきた。


「んっ……」


 鼻に抜ける甘えた声に、フレイズは驚いた。

 甘い熱が離れていくのと同時に、まぶたを上げる。


「す、すまない。つい……」


 言い訳めいた言葉に、サッと熱が引いていく。

 代わりにやってきたのは、怒りだった。


「つい、ですって? 慣れていそうだなぁとは思っていたけれど、さすがですね。さぞたくさんの女性たちとこんな、みだらな行為をなさってきたのでしょう! もう! 最低!」


 イライラと叫んだフレイズ言葉に、トゥイルはショックを受けたようだった。

 挙動不審の塊みたいになった彼に冷たい一瞥を向け、フレイズは「ふんっ」と顔を背ける。


 茫然自失ぼうぜんじしつのトゥイルを放って、フレイズは荒い足取りで彼の前を通り、大荷物を抱えて鼻息も荒く去って行く。

 ズンズンと音がしそうなくらい荒々しく歩きながら、フレイズは恥ずかしさで死にそうだった。


(信じられない! しかも、最後は、あんな……あんな声を出しちゃったじゃない! あぁぁぁ……どうしよう、どうしましょう、トゥイルをしばらく見られそうにないわっ)


 思い出すだけで、顔どころか全身から火を噴きそうだ。

 そんな彼女をさすがのトゥイルも追いかける勇気もないのか、ただただ見送ることしかできなかった。

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