第33話 囚われの魔女
軋む音を立てて、背後の扉が開いた。
フレイズは慌てて逃げようとしたが、慌てれば慌てるほど体は言うことをきかなくなり、逃げられない。
「おまえ、魔女だな?」
かけられたのは、まるで『魔女』と口に出すだけでも気持ち悪いと言わんばかりの憎悪に満ちた声だ。
そしてそれは、フレイズが聞いた覚えのある声だった。
彼は、試着室に居た時に乱入してきた男なのだろう。
サントノーレ・ブルドロ。トゥイルと言い争っていた男。
そして、ノエルや少年たちを監禁していた男だ。
声の主は苛立たしげに舌打ちすると、逃げようとしていたフレイズの長い髪を掴み、床へ引き倒した。
「痛いっ!」
引き倒したフレイズのおなかに、男の足が乗せられる。
フレイズは、このまま踏まれるのだろうかと覚悟した。
やるならやればいいと、サントノーレをにらみつける。
「年寄りみたいな色のない髪に、血みたいに真っ赤な目。おまえのことを、僕は知っているぞ。お菓子の家の魔女だろう? 子供を食らう、悪い魔女! 魔女狩りから逃れた、唯一の魔女! そして、コンフィズリー・トゥイル・フォレノワールが執着する女だ」
顔を奇妙に歪めて、サントノーレは笑った。
その顔はあまりにも気持ち悪く、吐き気を覚えるほど。
(醜悪な悪魔を寄せ集めたら、こんな男ができ上がるのかしら……)
それくらい、サントノーレは異質だった。
「ああ、愉快愉快。これは最高だぞ。兵隊を失ったのは痛手だが、あいつの女を手に入れた。さぁて、どうしてくれようか。おまえをどんな目に遭わせたら、あいつは死にそうな気持ちになるのだろうなぁ」
「兵隊?」
「おっと。気安く声をかけてくるなよ、魔女の分際で。でも、今は気分が良いから答えてやろう」
サントノーレはそう言うと、フレイズから足を退かして偉そうに胸を張った。
その様子は、愚かな王を演じる子供のようだ。
彼は偉そうに、声高々に言い放った。
「あの子供たちはなぁ、僕の兵隊なのさ。子供のうちから教育して、立派な兵士にして、いつかフォレノワールを滅ぼす軍隊にする予定だった……なのにおまえが! 逃がしたのだ!」
「ブルドロは僕の国。国民は、僕のもの。でも、急に居なくなったら親が心配するだろう? だから、お菓子の家の魔女のせいにすることにしたのだ。お菓子の家の魔女は子供を食うことで有名だからな、少しくらい子供が減ったって、魔女のせいだとうわさを流しておけば、わが身かわいさに諦めるだろうと思ったのさ」
フレイズは、目の前の男が何を言っているのか理解したくなかった。
なんて身勝手なのだろうと、怒りが沸いてくる。
「でも、残念ね。子供は私が逃がしてしまったわ」
「そうなのだよ! 仕方がないから、また連れてくるしかないな。でも今はそれよりも、おまえさ! お祖父様の手から逃れた唯一の魔女、フレイズ・バニーユ。まずはおまえを処刑し、お祖父様への手向けとしなければな。さて、どんな処刑にしようか?」
「あら、選ばせてくれるの?」
フレイズの精一杯の虚勢に、サントノーレは「ばぁぁか!」と叫んだ。
「おまえに選択権なんてない。絞首? 斬首? それとも、火炙りが良いか⁉ そうだ、魔女と言えば火炙りと相場が決まっている。早速、魔女裁判の準備に取り掛からねば」
ルンルンと跳ねるように部屋を出て行ったサントノーレと入れ替わるように、屈強な男たちが入ってくる。
何もないフレイズなど、太刀打ちできる相手ではない。早々に戦意喪失したフレイズは、諦めたように床に転がったまま男たちを見上げた。
「面倒だから、暴れてくれるなよ」
男はそう言うと、フレイズを縄で縛り、猿轡を噛ませ、それから布袋の中へ入れた。
袋詰めされたフレイズは担がれて、どこかへ連れて行かれるようだった。
(このまま火炙りにされてしまうのかしら……)
せっかくトゥイルへの気持ちを自覚したのに、どうしてうまくいかないのだろう。
フレイズは悔しそうに、唇を噛んだ。
***
フレイズが攫われてから、どれほどの時間が経ったのだろうか。
布袋に入れられてしばらくは起きていた彼女は、真っ暗な上に乗り物に載せられてゴトゴトと揺られているうちに、眠ってしまったようだ。
(気分がスッキリしている……一体、どれくらい寝ていたのかしら)
ここ最近の睡眠不足がうそのようにスッキリしている。
どうやらかなりの時間を寝て過ごしてしまったらしい。
モゾモゾ動いていると、気配が近づいてくるのを感じる。
フレイズは慌てて、寝たふりを決め込んだ。
「確認しましたが、つえや薬の類は持っていないようです」
「そうか。つえや箒がなければ、魔女なんてただのババアだからな。恐れるものなど、何もない。時間になるまで牢へぶち込んでおけ」
「かしこまりました」
「はぁぁ、楽しみだぞ。明日は初めての魔女裁判だ!」
壁一枚向こうに居るのは、三人のようだ。
男が二人と、サントノーレ。男二人は、フレイズを布袋に入れた者たちだろう。
スキップするような軽快な足音が遠ざかっていくのと同時に、ガチャリと音を立てて扉が開かれる。
眠ったふりをし続けるフレイズを、誰かが担ぎ、移動し始めた。
だんだん冷えていく空気を感じながら、フレイズは必死に、寝たふりをし続ける。
やがて、フレイズは、冷たい床の上に置かれた。
音が完全に聞こえなくなったのを見計らって、フレイズはゆっくりと身動ぎする。
冷たい床に顔を押し付けて目隠しを取った彼女は、目を開いた。
最初に目に入ったのは、石の床。
それも、薄っすらと光を帯びていることから、この石がただの石ではないことが分かる。
壁も床も天井も、全てこの石でできているようだった。
「魔封石か」
魔封石とは、その名の通り、魔を封じる石のことだ。
フレイズのような、魔力を有する者を無力化させる効果がある。
この石は、どこにでもあるものではない。
牢の素材として使われるような立派なものは、そうそう採れやしないのだから。
「魔封石で造られた牢獄……ということは、ここはデピスの牢獄ね」
デピスの牢獄とは、魔女裁判にかけられる前の女性を収容していた牢獄だ。
ブルドロが王国だった頃の王都の外れにあって、すぐそばに魔女専用の裁判所と処刑場を兼ねた広場がある。
「デピスの牢獄の周辺地域は、首都のように魔女に親切ではないでしょうね。むしろ、どこよりも嫌悪感を示すはず」
魔女狩りが横行していた頃、わざわざ魔女裁判と処刑を見るためにデピスへ集まる人がいたと聞く。
当時のブルドロ王国は悪政を敷いていて、そんな人々にとって魔女狩りは娯楽でもあったのだ。
「あの男、明日は魔女裁判だとか言っていたわね」
裁判なんて言っていたが、公平な判断などされないだろう。
サントノーレが集める者など、魔女に好感を持つはずがない。
「きっと、卵や石を投げつけられるわ」
その程度で済まないことは、わかっている。
けれど、考えたところで逃げ出せやしないのだから、考えるだけ無駄だと考えるのをやめた。
以前のフレイズだったら、薬を作れないことに絶望していたところだ。
しかし今の彼女は、薬のことよりもトゥイルのことが残念でならなかった。
(私のために、国を良くしてくれていたのに。ここで私が処刑されてしまったら、報われないわね)
トゥイルの並々ならぬ努力は、想像することしかできない。
それでも、首都の様子から彼が血のにじむような努力をしたのは想像に難くない。
「なんとか、逃げられたら良いのだけれど……」
魔女裁判を、フレイズはずっと昔、一度だけ見たことがあった。
中央に被告である魔女を立たせて、それを取り囲むように傍聴席。そのさらに後ろに裁判官たちの席がある。
「逃げられるかしら。逃げられるような気がしないのだけれど」
裁判所は一見すると、劇場のような形をしている。
けれどそこは、裁判が終われば残酷な処刑場へと変わる、恐ろしい舞台だった。
(たった一人の女を大人数で取り囲んで、石や卵を投げつけて、口汚くののしる。そして、結末はいつだって変わらない。判決は、死刑。だって、魔女だから……)
フレイズは神さまを信じていない。もちろん、悪魔も崇拝していない。
だけれど、今だけは──、
「すがりたくなるわね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます