第35話 頑張った王子にはご褒美を
「これより、裁判を執り行う。被告、サントノーレ・ブルドロ。被告人席へ進みなさい」
裁判官の言葉に、ざわめきが起きた。
誰も彼もが裁判官をいぶかしげに見上げる。
言い間違いだろうか。
まさか、そんな。
不躾な視線を受けているのに、裁判官は身じろぎ一つしない。
それどころか再び
「は⁈ 何を言っているのだ、冗談がすぎるぞ裁判官。これは、魔女裁判だ。被告人は僕ではなく、お菓子の家の魔女、フレイズ・バニーユだろう!」
そこでようやく後ろを振り返ったサントノーレは、裁判官席へ座る男を見て、顔を醜く歪めた。
「そこで、なにを、している……コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール。裁判官を、どこへやった」
「裁判官は、気分を悪くしたそうでお帰りになった。後は頼むと言われたので、僕が裁判官の代理をすることになったのだ。ブルドロ国はフォレノワール王国の従属国。法律は、フォレノワールのものに準ずるものとしている。よって、フォレノワールの王族である僕ほどの適任者はいない」
裁判官席に座るトゥイルを見て、裁判員席に座っていた貴族たちはどよめいた。
逃げようとする者、顔を隠す者。誰も彼もが、焦りの表情を浮かべている。
「面白いものが見られると、サントノーレ様から言われて来ただけなのに」
「どうして、コンフィズリー様がいらっしゃるの⁉」
「ま、魔女の一人くらい、死んだって誰も困らないだろう! それより、貴族の命の方がずっと重いはずだ!」
でっぷりと肥えた腹と尻を揺らして叫ぶ男を、トゥイルは凍えるような冷たい目で見下ろした。
「そこのおまえは、ダックワーズ男爵だな? 魔女の一人くらい、と言ったか。ふぅん、なるほど。裁判員の言い分は、よく分かった」
魔女の一人くらい、死んだって誰も困らない。
トゥイルに言ってはいけない言葉の一つだろう。
愛する女性のことをそのように言われて、彼女のために一国を手にする男が、黙っているはずがない。
にっこりと壮絶な笑みを浮かべたトゥイルに、場は凍った。
「さて、サントノーレの罪状だが。子供の誘拐、および監禁。魔女の誘拐、および監禁。さらに、フォレノワールに対する叛逆罪と王子と騙る詐欺罪も追加だ。おまえの祖父が泣いてすがるから国外追放まではしなかったのに、とんだ恩返しだな」
「何を言っている! 証拠、そうだ、証拠はあるのか⁉」
「証拠ならあるさ……シュゼット」
現れたシュゼットは、十六人の少年を連れていた。
見覚えのある顔に、フレイズは感嘆の息を漏らす。
少年たちはフレイズへ深々とおじぎをした後、口々に語り始めた。
「お菓子の家の魔女様は、悪人なんかじゃない」
「サントノーレから、俺たちを助けてくれたんだ」
「サントノーレは俺たちを訓練して、いつかフォレノワールを滅ぼす兵器にするって言ってた」
ざわつく傍聴席のそこかしこから、すすり泣く声が聞こえてくる。
きっと、少年たちの親だ。
どこを探しても見つからず、きっと魔女に食われてしまったのだろうと諦めていた息子が、目の前にいる。
泣かずには、いられないのだろう。
十六人目の少年が、トゥイルの前へ進み出る。
彼は膝を折ると、恭しくトゥイルへ頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール様。僕は、オペラ辺境伯家の息子、ノエル・オペラでございます。僕も彼らも、そちらのサントノーレ・ブルドロに拉致監禁されておりました。そちらにいらっしゃるお菓子の家の魔女様が、身の危険も顧みず助け出してくださったのです。彼女は、僕たちのために身代わりになりました。どうか、公正なご判断を……」
「ああ、そうしよう」
裁判所の雰囲気はもう、魔女裁判どころではなかった。
フレイズに対してわびるような声と、子供が帰ってきた喜びの声が、場内のそこかしこから聞こえてくる。
サントノーレに唆された貴族たちは、逃げる隙をうかがうばかりで、頼りになりそうになかった。
それでもサントノーレは、諦めない。
「こ、子供の言うことなど、あてになるものか! どうせ、魔女が魔法で言わせているに違いない!」
「おまえがここ最近、携帯食や武器を買い込んでいるのは調べがついている。まだ証拠が必要か? 子供たちを監禁していた小屋からは、おまえの服や剣も見つかっている」
迂闊すぎるサントノーレを、誰も庇うことなどできなかった。
次々と突き付けられる証拠に、彼はわなわなと身体を震わせる。
「おい、衛兵! こいつを、どうにかしろ!」
衛兵とは名ばかりのゴロツキのような男たちが、サントノーレに言われてトゥイルを捕獲しにくる。その手には、魔法で強化された武器が握られていた。
傍聴人たちを押しのけるように、男たちは一直線にトゥイルのもとへ走り寄っていく。
混乱に乗じて逃げる貴族、子供を守ろうと走りだす傍聴人、トゥイルを捕らえようとする男たち。
裁判所は入り乱れ、
「
乱闘は、すぐに終わりを迎えた。
屈強な男たちを、トゥイルはあっという間に倒したのだ。
せめて、ふつうの武器を使っていれば。
ここまですんなりと制圧されることもなかっただろう。
逃げ惑う貴族たちは待ち構えていた魔女たちに次々に捕らえられ、待機していた馬車に詰め込まれていく。
無事に子供と再会できた親たちは、喜びにワァワァと泣きじゃくった。
「何を寝ているのだ、この馬鹿ども! 僕がピンチなのだぞ! 寝ている場合じゃない! 早く起きて、僕を助けろ!」
「はいはい。お黙りなさいな。あなたの衛兵さんは、トゥイル様がみーんな倒しちゃいましたから、誰もあなたのことなんて、助けてくれませんわ」
サントノーレは、この期に及んでまだ裁判員席で喚き続けていた。
そんな彼を、大魔女シュゼットは容赦なく捕縛する。
「フレイズ!」
全ての危険がなくなったことを確認すると、トゥイルは中央の被告人席へ駆け下りた。
被告人席でポカンと突っ立っていたフレイズの縄を、慎重に剣で断ち切る。
「トゥイル……まさか、来るとは思っていなかったわ」
カタカタと震え始めたフレイズを、トゥイルはぎゅっと抱きしめた。
「一人でよく頑張った。偉いぞ、フレイズ」
宥めるように頬を撫でる手つきは、どこまでも優しい。
懐かしささえ感じる、ずっと恋しく思っていたトゥイルの香りに包まれて、フレイズは胸が苦しくなった。
(もっと、近くに)
これだけでは、もう足りない。
フレイズはこれ以上のことを、教えられてしまったから。
「どうした、フレイズ。どこか、痛いところがあるのか?」
「してくれないの?」
「え……」
「キス……してくれると思って、待っていたのだけれど……」
不満そうに告げてくるトゥイルの愛しの魔女様は、いつからこんな甘えん坊になってしまったのだろう。
唐突にやってきた彼女のデレ期に、トゥイルは死にそうなくらい胸を高鳴らせた。
「あなたが望むのならば、いくらでも」
トゥイルはたっぷりと気持ちを込めて、フレイズの額に甘く慈しむような口づけを落とした。
抱き合う二人を祝福するように、場内に拍手が沸き起こる。
その拍手はいつまでも、鳴り止まないのだった。
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