第3話 求婚、お断り!

 フレイズが他意なく無邪気に魔法実験をしてきたとも知らず、少年は初めてのキスに胸をドキドキと高鳴らせていた。

 物理的に食べられてしまうかもしれないという恐怖による緊張が、今度は性的な意味で食べられてしまうのではないかという期待による緊張に塗り替えられていく。


 少年だって、男だ。

 据え膳食わぬは男の恥と言うか、チャンスがあればあわよくばと思うのは仕方がないことなのかもしれない。


 だって、少年はまだ十二歳。

 淡い恋すら未経験の彼は、たった一度のキスですっかりフレイズに心を奪われていた。


 もう一度、あの唇とキスがしたい。

 覚えたての欲望を秘めた、藍色の宝石のような目が、フレイズの唇を追う。


 つい先ほどまで憎々しげに睨みつけていた少年の視線が、なぜか熱を帯び始めたことにフレイズは気付いた。


口縛りの魔法ビー・クワイエットの副作用かしら……他にはどんな副作用が?)


 微に入り細に入りメモを取りたくて仕方ない。

 フレイズは、魔法に関してだけはとても真面目な魔女だった。


 一方、フレイズと少年を囲む魔女たちはそんな二人を眺めながら、今のキスにはどんな意味があるのだろうとささやき合っていた。


「あれは、これから食べられる憐れなお肉ちゃんへの慈悲かしら」


「いえ、私は魔力を感じましたわ。ただのキスではありません」


「では、何の魔法なのでしょう? 我ら、スペキュラース山の魔女には伝わらない秘術でしょうか?」


「もしや、おいしくなぁれというおまじないでは……?」


 その時だった。


「あああっ!」


 上空から凄まじい勢いで、ほうきに乗った一人の魔女が急降下してくる。

 ピンクブロンドの髪をバサバサと強風になびかせるその姿はメデューサのようで、髪の色がおどろおどろしい緑色でないことが残念に思える。

 あっという間に着陸したその魔女は、見た目だけなら花の妖精か春の女神かのようだった。


「やっと見つけましたよ、トゥイル!」


 薔薇のように可憐な唇で怒鳴りつけられて、トゥイルと呼ばれた少年はそこではたと我に返った。


「シュゼット」


「し、師匠……」


 少年とフレイズの声が、同時に魔女を呼ぶ。


 彼女こそ、この魔女集会の主催者であり、フレイズのお師匠様である大魔女、シュゼット・ドラジェ。

 フレイズに三代目お菓子の家の魔女を押し付けた、初代お菓子の家の魔女でもある。


 師匠の名前を軽々しく口にする少年に、フレイズは驚いた。

 それと同時に、少年の唇からあっさりと声が出されたことで口縛りの魔法が失敗したことを悟り、残念そうにため息を漏らす。


「駄目じゃないですか! あれほどわたくしのそばを離れないでと言ったでしょう! ……もう〜こんなに汚れて……」


 ぶつくさと文句を言いながら、シュゼットは少年を抱き起こし、体についた土を払う。

 人の世話をする師匠なんて見たことがないフレイズは、まるで化け物を見るような目で二人を見つめた。


「……あら? フレイズ、あなたもいたのね」


「はい、おりました」


 今更気付いたと言わんばかりのシュゼットにフレイズは慣れたもので、冷たい言葉にひるむことなくケロリと返答する。

 シュゼットとフレイズはもう百五十年の付き合いになるが、住み込みで魔法を教えてもらっていた時からこの調子なのだ。


「シュゼット。この人は、フレイズ様と言うのか?」


「ええ、そうですよ。様をつけるほど偉くはないですけどね。彼女はフレイズ・バニーユ。私の唯一にして最高傑作の弟子ですわ」


「フレイズ・バニーユ、さん……」


 甘い蜂蜜か水あめのようなねっとりとした視線をフレイズに向けながら、少年は知ったばかりの彼女の名前を、確かめるように一音一音発音した。

 意味ありげなその視線と声に、シュゼットは何か閃いたかのようにポンと手をたたくと、目を輝かせる。


「フレイズ。あなた、『男より魔法!』なんて言っていたけれど、なかなかどうして、やるじゃないの」


「は? いや、言っている意味が分からないんですけど……」


 数ある魔法の中でも恋の魔法に特化したシュゼットは、少年──トゥイルの淡い恋心を見抜いていた。

 そして、弟子であるフレイズの男や恋に対する興味のなさも鈍さも、知り尽くしていた。


「トゥイル。フレイズは直球で伝えないと気付かない鈍チンなの。手に入れたいなら、誠心誠意対応するしかないわ」


「なるほど、ためになる」


 シュゼットの言葉にウンウンと頷いたトゥイルは、訝しげに様子を窺っているフレイズの前にかしずくと、彼女の手を取った。

 慌てて手を救出しようとしたフレイズだが、トゥイルは小さくても男。ぎゅむ、と掴まれては逃れることもできない。


(どどど、どうしよう……この状況の意味が、これっぽっちも分からない!)


 混乱し、硬直するフレイズの前で、トゥイルは握った彼女の手が思っていたよりも小さく、そして荒れているのを見て心を痛めていた。

 この手にハンドクリームを塗って差し上げたい。そしてあわよくばマッサージから手をつなげないだろうかと、トゥイルは忙しく妄想にふける。


(魔法がうまくいっていないのに、副作用だけが暴走している……? いや、少年のこの反応……師匠が惚れ薬だったか催淫剤だったかを飲ませた患者と似ているのでは……? ハッ! もしや、口縛りの魔法は失敗すると惚れ薬的な効果があるとか? そうだ、そうよ! それなら少年の意味不明な変化にも説明がつくわ。つまり、その……少年は失敗魔法のせいで私に惚れてしまったというわけね。あぁ、スッキリ──)


「……なわけあるか!」


 一人ボケツッコミをした挙げ句のフレイズの叫びに、トゥイルは妄想の世界から戻ってきた。

 とはいえ、初めての恋はなかなか冷めるものではないらしい。どんなに髪がクシャクシャで、どんなに肌が荒れていて、どんなに見た目がアレだろうと、トゥイルの目には、フレイズが全てにおいて素晴らしい女性に見えていた。


「はじめまして。僕の名前は、コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール。年齢は、十二歳。趣味は、新しい魔法の研究です。……可憐なる魔女、フレイズ・バニーユ。あなた以外に、僕の伴侶は有り得ない。どうか、僕の妻になって頂けませんか?」


 まだまだ可愛らしさの残る顔立ちをキリリと引き締めて、トゥイルは精一杯のプロポーズをする。

 対するフレイズは、彼の一世一代のプロポーズを受け、わなわなと震えながらとっさに叫び返した。


「ひゃ、百年早いわよぉぉぉぉ!」


 叫びながらフレイズはほうきを構え、師匠直伝の超高速箒飛行法を用いてあっという間に逃げ去ってしまった。


 残されたトゥイルとシュゼット、田舎魔女たちはぼうぜんと見送る。

 それからしばらくして、トゥイルはポツリと呟いた。


「ふぅん……百年経てば、問題ないのか」


 この短時間で恋に目覚めた少年は、可憐な顔に意地の悪そうな男の表情を浮かべて笑んだ。

 そのちぐはぐさに魔女シュゼットは「あらあら」とおっとり笑い、田舎魔女たちは先ほどまで食べる気満々だったのを忘れたように震え上がる。


 フレイズは、知らなかった。

 少年が、有名な魔女や魔法使いを多く輩出するフォレノワール王国の一員で、しかも王位継承権は低いものの、魔女や魔法使いの力を容易く利用できる王子という身分であることを。


 百年早い。

 その言葉を真に受けて、本当に実行することができるとは、夢にも思わなかったのである。


(はぁ、怖かった。失敗魔法のせいとはいえ、悪いこと言わせちゃったなぁ。こんなババァにプロポーズとか、黒歴史じゃない。でもまぁ、師匠がいるなら解除もできるでしょ。それに、人間は百年生きることもないだろうし……この件はこれでおーわり!)


 フレイズは、少年の気持ちを魔法のせいだと決めつけた挙げ句、忘れた。

 そうして九十九年経った今、フレイズはその少年とよく似た青年と対面を果たした……というわけなのである。

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