エピローグ

最終話 末永く、よろしくお願いします

 魔女裁判騒ぎから、ふた月が経とうとしていた。


 久しぶりに訪れるお菓子の家を前に、トゥイルはドキドキと緊張している。

 深呼吸をして、扉をノックしようと手を上げて──そういえば数カ月前もこんなことをしていたなと思い出す。


 約束の百年まであと一年というあの日。

 トゥイルはあの日初めて、お菓子の家の扉をノックした。


 あの日を再現するように、トゥイルは扉をたたく。

 ゆっくりと開かれた扉から覗かせたのは、いつもの黒い耳ではない。バニラ色の髪に白い肌、そして苺のように真っ赤な目をした、彼が愛する魔女である。


 彼女は驚いたように目を見開いて、しかしすぐに相好を崩した。


「あの日の再現みたいだな」


「あの日?」


「ねぇ、魔女様。あと一年で約束の百年ですよ」


 ここ最近いろいろなことがあり過ぎて、もう随分と前のことのように思える。

 フレイズは彼の言うあの日を思い出して、嬉しそうに、そして懐かしむように目を細めた。


「お忘れですか? 僕ですよ。コンフィズリー・トゥイル・フォレノワール。あなたに恋する男です」


「忘れるわけがないでしょう」


「それは、良かった。今度は扉を閉めないでいてくれるとうれしいな」


「そんなこと、もうしないわ。さぁどうぞ、入ってちょうだい」


 フレイズはそう言うと、恥ずかしそうに頰を赤く染めて、トゥイルを招き入れた。

 あの日のように、もう彼を閉め出そうとはしない。それどころか、いそいそと彼が置いていったエプロンを持ってきて期待のまなざしを向けてくるものだから、トゥイルは上機嫌でそれを受け取った。


 家の中は少々荒れていたものの、なんとかしようとしていた形跡がそこかしこに見受けられた。

 フレイズを見れば、分かる。彼女は、トゥイルがいつ来ても大丈夫なように掃除を頑張っていたのだ。


 トゥイルはますます嬉しくなって、フレイズを抱きしめた。


「フレイズ、君ってば、もう!」


 ぎゅむぎゅむと抱きしめられて最初こそ戸惑ったフレイズも、彼の温もりに絆されるようにおとなしく身を任せる。


「君ってばもう、の先はなに?」


 意外だと言われるのが嫌で、フレイズはツンとした態度で問いかけた。

 拗ねている姿でさえかわいくて仕方がないというように、トゥイルは甘くとろけるような目で彼女を見つめる。


「かわいくて食べちゃいたいって言ったら、怒るか?」


「ちょっと古臭くない?」


「仕方ないだろう。僕もフレイズも、それなりの年齢なのだから」


「……それもそうね」


 クスクスと笑い合うと、二人の視線がゆっくりと絡み合った。

 宝石のような藍色の目を見つめて、フレイズは思う。


(あぁ、やっぱり、この目が好きだわ)


 ずっとずっと前、この目を見た時から運命は決まっていたのかもしれない。


(ブルースギライトの効果は確か、邪気除けや魔除けだったわね。トゥイルがいなかったら、私は生きていなかったかもしれない……なんて都合よく考えすぎかしら)


「でもまぁ……あなたが居てくれて良かったわ、トゥイル」


「フレイズ」


「師匠から聞いたの。あなた、私のためにブルドロを制圧して、この国を良くしようとしてくれていたのでしょう?」


「聞いたのか」


「ええ。ありがとう、トゥイル」


「気にしなくていい。僕がしたくてしたことだ」


「でも私、あなたにお礼がしたいわ」


「僕のプロポーズに応えることがお礼なら、僕はそれを拒否するぞ」


「……それは考えていなかったわね」


「違ったか。じゃあ、何を……」


 言いかけて、トゥイルは口をつぐんだ。

 だってフレイズの真っ赤な目が、赤玉ルビーみたいにキラキラ輝いていたから。


 フレイズはそっと、トゥイルの背へ手を回した。

 トクトクと聞こえてくる彼の心音に励まされるように、彼女はゆっくりと顔を上げる。


 見上げた先でじっと見下ろしてくる、藍色の宝石のような目。

 フレイズは改めて、この宝石を手放したくないと強く思った。


「トゥイル。あなたのことが好きよ」


 今まで聞いたことがないような優しい声で告げられたのは、愛の言葉。飾らない言葉が、フレイズらしい。

 爆発しそうなくらい激しく跳ねる心臓に、トゥイルはクラリと倒れてしまいそうだった。


「ねぇ、これも駄目だった?」


 小首をかしげて見上げてくるフレイズは、もはや暴力だ。

 かわいすぎて死ねるともだえる姿なんて、知られてはならない。トゥイルは今まで培ってきた全ての精神力をかき集めて、できる限り爽やかに、余裕があるふりをして答えた。


「駄目なものか。だが、申し訳ない。僕がしてきたことに比べると、それでは少々足りなさすぎる」


 その言い方は、どことなくシュゼットに似ている。

 彼女の『何回キスしたら足りるのかしらねぇ』という言葉を思い出し、フレイズは唇の端をヒクッとさせた。


「ち、ちなみに……この告白はキスの回数に換算すると何回くらいに相当するのかしら?」


「ん? 質問の意図がよく分からないが……あえて言うなら十回くらい?」


「十回? あんなに頑張ったのに⁉︎ ううーん、それならキスの方が効率が良さそう……」


 ブツブツと呟きながら考え込み始めたフレイズを腕の中に閉じ込めたまま、トゥイルは面白そうに眺めている。

 フレイズは幸せだけれど困っていて。こんなことで悩めるのもトゥイルがそばにいてくれるからなのだなぁと思ったら、ますます幸せな気持ちになるのだった。

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100年早いと求婚をお断りしたら100年後に溺愛されました(そういう意味じゃない) 森湖春 @koharu_mori

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