第20話 デートの朝と魔女の心配事
木々の合間から見える晴ればれとした空に、コットンキャンディーのような雲が気持ちよさそうに浮かんでいる。
小鳥のさえずりで目覚めたフレイズは、いつものように扉がノックされたことにホッと息を吐いた。
(よかった。ちゃんと来たわね)
もしかしたらトゥイルが今日になって行きたくないと言うかもしれないと、フレイズは少しだけ心配していた。
だって、魔女は嫌われ者なのだ。
一緒にいたら、トゥイルも卵を投げられるかもしれない。フレイズは慣れているから今更気にしたりしないけれど、人間で王族のトゥイルには耐えられないかもしれない。
けれど、心配は無用だったようだ。
いつものようにポヴィドルが開けた扉をくぐって入ってきたトゥイルは、いつもより少しだけおしゃれをしているようだった。
真っ黒な服しか着られないフレイズに合わせてか、黒を基調とした装いをしている。
フレイズの視線に気づいていないのか、彼はジャケットを脱いで椅子の背にかけると、エプロンを身につけてキッチンへ入って行った。
下目遣いでシャツの袖を捲る姿の、なんと色っぽいことか。フレイズは無意識に、口元を押さえて息をのんだ。
(な、なんっ……なんなの、あれは? あの色気、どこから発生したわけ? 今まで、どこに隠していたの? はぁぁ……あの色気、気体や液体に溶かしこんだらいい材料になりそうだわ)
今度、鍋の中に息を吐いてもらおう。
そんなことを考えながら、フレイズは踵を返して寝室へ戻る。
着替えのために開けたクローゼットには数着のドレスがかかっているが、そのほとんどがサイズアウトしていた。
どうしようとうなっているところへポヴィドルがやってきて、後ろからひょいとクローゼットの中を覗き込む。
「あったあった。この、シュゼット様のおさがり。これなら、着られそうだろ」
クローゼットの奥底に眠っていたそのドレスは、ゴテゴテとレースやビーズがついていて実にシュゼットらしい一着である。
しかし、シンプルで動きやすい服を好むフレイズには、とても似合いそうにない服だった。
「嫌よ。こんなかわいい服、私じゃ着こなせない」
「じゃあ、いつはじけるか分からない、パツパツのドレスを着ていくのか? それこそ、服の上から体のラインが分かってエロいだろうなぁ」
ヒヒヒと気味が悪い笑い方をしながら値踏みするように全身を見てくるポヴィドルに、フレイズはムスッと顔をしかめた。
「補強魔法を使えば、なんとかなるかもしれないじゃない」
「その魔法分の魔力があれば、新しい薬が作れるかもな?」
「……ぐぬぅ」
「ほら。我が儘言っていないで、早くそれ着ちまえ」
手を回してUターンを促すポヴィドルに、フレイズは肩を怒らせた。
「わかったわよ、もう!」
自棄になったようにクローゼットからおさがりのドレスを出し、衝立の向こうで着替える。
分かっていたことだけれど、ふわふわフリフリのドレスはやはり自分に似合っていない気がしてならない。
(鏡がなくて良かった)
鏡で今の姿を見てしまったら、外なんて歩けそうになかった。
朝食の準備を終えて、フレイズがやってくるのを今か今かと待っていたトゥイルは、彼女の姿を見るなり目を見開いた。
トゥイルの様子に、フレイズは「ほら、やっぱり」と呟く。
(似合ってなさすぎて、びっくりしている。フリフリのドレスなんて、私には似合わないわ。やっぱり、補強魔法をかけてなんとか乗り切りましょう)
くるりと踵を返そうとしたフレイズの肩を、トゥイルが優しく留める。
いつの間に用意していたのか、その手には一輪の花があった。
「今日の君は、なんてかわいらしいのだろう」
持っていた花をフレイズの耳元に飾りながら、トゥイルはうっとりと彼女を見つめた。
その目は居たたまれなくなるくらい優しくて、もじもじと体が揺れる。
いつもなら「へー」で済ませるのに、どうしてか声が出ない。
ポッポとしてくる頰をごまかすように、彼女は顔を俯けた。
「今日は、いつもよりおしゃれしているね。もしかして、僕に会うため?」
「そういう、わけじゃ……」
ちらりと様子をうかがうためにトゥイルを見て、フレイズは後悔した。
だって、トゥイルがとてもかわいかったから。
コテンと首をかしげて、宝石のような目がキラキラとしていた。
(うぅぅぅぅ……なんで、そんなに嬉しそうにしているのよ……)
ますます居たたまれなくなって、フレイズは背を丸める。
窓枠に腰掛けたポヴィドルが、もの言いたげにニヤニヤしながらこちらを見ていた。
視線を感じてそちらへ助けを求めたが、ポヴィドルは爪を出して「バイバイ」と手を振るだけ。
(うぅぅぅぅ……助けてくれないなら、こっちを見ないでよ、もう! どうして今日は、こんなに調子が狂うのかしら。心なしかトゥイルがキラキラして見えるし……ハッ! もしや、老眼? 老眼なの?!)
混乱しすぎて老眼の心配をし始めるフレイズの心の内なんて知らないトゥイルは、彼女の新たな可能性を見いだして、本日の目的であるドレス選びに意欲的になっていた。
「いつものシックな装いもすてきだが、こういうドレスも似合っている。今日のドレス選びがますます楽しみになってきたな」
「そ、そう……」
その後、ひとしきり本日の装いを褒め倒してきたトゥイルのせいで、フレイズは息も絶え絶えになった。
「出掛ける前なのに、すでに体力が大幅に削られたわ……」
これではもう、出掛けることは困難かもしれない。
外出中止を伝えようとするフレイズをなだめるべく、トゥイルは被せ気味に告げた。
「すまない、フレイズ。あなたがあまりにもかわいらしかったから、つい。そうだ、オムレツを焼いたんだ。だからまずは、朝食にしよう」
わびるように椅子を引かれて、エスコートされるままに腰掛ける。
目の前には、柔らかそうな黄色がプルプルと震えていた。
渡されたスプーンで真ん中を割ると、トロォリとチーズが流れ出てくる。
美味しそうなチーズオムレツに、フレイズの口の端からうっかりよだれが垂れた。
彼女が恥ずかしさを感じるより早く、トゥイルが嬉しそうにナプキンで拭う。
子供にするような世話でさえ、彼にとっては特別なことになるようだ。
世話を焼けることが楽しくて仕方がない。それ以外の楽しみなどないと言い切りそうな、清々しい顔をしていた。
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