第34話 ある男爵令嬢の決意と闇の蠢動
あぁ、なんて私は役立たずなんだろう。
私、ヘカーテ・フォン・ヘルライアは大きなため息をついた。
私がフリードリヒ様の専属メイドとなってから半年が過ぎた。
それまでの間に、私はいったいどれほどの恩をフリードリヒ様に返せたというのだろうか。
フリードリヒ様に専属メイドとして雇ってもらったあの日。
父の虐待や暴言に溢れた思い出したくもないあの日々から救ってくださったフリードリヒ様に必ず報いると決意した。
初日、フリードリヒ様は私に魔術を教えてほしいと仰った。
魔術学院を卒業し、そこでも中々優秀な成績を残した私は、人よりも魔術に対して自信があった。
『
フリードリヒ様はとても喜んでくれた。
これだ。私の存在意義は、フリードリヒ様に魔術を教え、彼の師となって助けになることなのだ。
と、その時の私は歓喜したものだ。
しかし、魔力切れで気絶したフリードリヒ様が目を覚ますと、突然私の知らない魔術を唱えた。
そしてそれは一つに留まらなかった。
攻撃を目的としないただの水を出してみたり、身を守る土の壁を出してみたり、全く新しい、殺傷性の高い魔術を創りだしたり。
極めつけには、そのオリジナルの魔術を巧みに操り、あのクリスティーナ様を決闘で負かしてしまった。
これでは私の立つ瀬がないではないか。
しかし、決闘の後、急速にフリードリヒ様との距離を縮めたクリスティーナ様の進言で魔物を狩るべく森に行くことになった。
名誉挽回の機会だ。
私はフリードリヒ様を助け、なにかあったら主人の盾になるのだと意気込んだ。
それが、終わってみたらどうだ。
フリードリヒ様はその固有魔術で魔物を華麗に倒したどころか、ゴブリンが最後の足掻きで放った攻撃から私を庇った。
そう。
私は主たるフリードリヒ様に庇われてしまったのだ。
これでは専属メイドの、従者の責務が全く果たせていないではないか。
私は、フリードリヒ様に多大なる恩がある。
身支度の世話や洗体の補助など、普通のメイドがやることだけでは、足りないのだ。
私は、フリードリヒ様の助けになりたい。
いや、ならなくてはいけない。
そうじゃなければ、私は――。
「じゃ、じゃあね、フリッツ」
「またね、フリッツ!」
活発な声で、意識が現実に戻る。
フリードリヒ様の部屋から、ヴェリーナ様とヴィリーネ様が姿を見せた。
彼女たちは私に会釈をすると、仲睦まじく会話しながら廊下の奥へと消えていった。
私は部屋の外にいたため会話の内容は聞こえていなかったが、あの双子とフリードリヒ様の関係は良好のようだ。
いや、今回の誘拐事件のおかげで接近したといってもいいだろう。
「……誘拐事件」
ヴィリーネ様が誘拐された時、フリードリヒ様は単身で彼女を助けに飛び出した。
それについてどうこう言うつもりはない。
従者は主人の行動を黙って受け入れるべきだから。
しかし、私はその一件で悔しいと思った。
ヴィリーネ様を単身で助けに行ったフリードリヒ様が、私に声をかけてくださらなかったということだ。
それはなぜか。
分かっている。
私の力不足だろう。
フリードリヒ様と共に魔物と戦った時も私は足手まといだった。
いない方が楽だと思われても仕方がない。
しかし、ヴェリーナ様は違ったようだ。
彼女はフリードリヒ様の後を追い、共に盗賊たちと戦った。
ザッケルトを名乗る男と、クリスティーナ様が追い付くまで二人で奮闘していたらしい。
……羨ましいと思う。
フリードリヒ様と肩を並べて戦うなど、この身に余る光栄だし、むしろフリードリヒ様を守る力が欲しい。
「……いや」
いや、羨ましい、とそんなことで済ませる問題だろうか?
ヴェリーナ様たち双子は一度本国へ帰るそうだし、クリスティーナ様は中々お帰りにならないドロイアス様の代わりの執務に忙しそうにしている。
彼女たちの穴を埋めるのは私なのではないだろうか……?
「失礼します」
フリードリヒ様の部屋の扉をノックし、入室する。
「すー……すー……」
フリードリヒ様はまた眠られていた。
気絶などではなく、安らかな寝顔。
「待っていてください。このヘカーテ。今すぐにとはいいません。しかしきっと、貴方様のお力になれるよう、鍛錬いたします」
◇
「ああ痛いああ痛い。畜生が、簡単な仕事じゃなかったのかよ」
真っ暗な部屋。
その体は細く、歩く姿もどこか飄々としている。
彼は、
「くそが! あのアマ……次見つけたらただじゃおかねえぞ!」
先日、ザッケルトは一つの仕事を失敗した。
龍姫族の娘を誘拐し、
そんな簡単な仕事だったのだが……。
仕事自体は、割りと順調だった。
フリーなんちゃらとかいうガキと、リーなんちゃらとかいう小娘は厄介だったがなんとかなった。
しかし、そいつらを始末しようとした直前に現れた白髪の――
「クリス……なんていったっけか」
ザッケルトは、人の名前を覚えるのは苦手だった。
「次会ったらぜってぇ殺す……!」
しかし、人の顔を覚えるのは得意だった。
このザッケルトを傷つけ、みっともない敗走に追い込んだあの小娘を絶対逃してなるものか。
「荒れてるね。ザッケルト」
「あぁ!?」
怒りに血が上っているザッケルトに、涼しげな声が聞こえた。
暗闇でよく見えないが、ザッケルトの仲間にこんな綺麗な金髪を持つ者はいない。
「てめェか……なんだってこんなとこにいるんだ」
「
人好きのいい笑顔で金髪の男は語る。
男のザッケルトから見ても美青年と言える整った顔だ。
とてもこんな裏社会にいるとは思えないほど。
「知らねえよ。一々そんなこと覚えてられねえっての」
「……そうかい。まぁ、そういう訳だよ」
「始末か。まぁ、出る杭は打たねえとな。あの方がこの国で魔族以外の種族の活躍を黙って見過ごすわけがねえか」
「そういうことさ。……さて、それじゃあボクはもう行くよ」
「はっ、勝手にしろ」
青年はザッケルトの横を歩き、部屋から出ていく。
ザッケルトは、青年の背中が見えなくなるまで警戒をやめなかった。
あの男は、危険なのだ。
ザッケルトですら本気を出しても勝率が五分になるかどうか。
今は亡き部下が、実は貴族のボンボンだとか、有名な商人の息子だとか噂していたが、そんなことに興味はないザッケルトにとってはどうでもいいことだった。
「ったく、また新しい部下をもらわねえとな……。全く、どいつもこいつも使えん奴らだ……」
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