第36話 家族とは

「フンフ~ン♪」


 俺は鼻歌を歌いながら屋敷の廊下をスキップしていた。

 右手には紫色の液体が入った小瓶を持っている。


 そう、俺の天才的発想により完成した魔力が回復するポーション――魔力ポーションである。


 これを飲めばなんと不思議、魔力が回復するのだ!

 元々魔力が少ない俺だけではなく、全世界の魔術師にとってこれは画期的な発明ではなかろうか!


 そう思った俺は俺を溺愛する姉、クリスティーナに褒めてもらうべく彼女がいる部屋、執務室へと向かっていたのだ。


「クリスティーナお姉ちゃん!」


 俺は執務室の扉を勢いよく、しかしクリスティーナの邪魔にならないように慎重に開けた。

 矛盾していると思うだろうが、今の俺にはそんなことは関係ない。


 扉を開けると、高級そうな机で書類仕事をしているクリスティーナと目が合った。


「……」


「あ、あれ? クリスティーナお姉ちゃん?」


 しかし、クリスティーナはなぜか不機嫌な顔をしていた。

 頬を膨らませ、じとっとした目で俺を見ている。


「貴方、龍姫族の子たちとあだ名で呼び合っているらしいわね」


「へ? あだ名?」


 龍姫族の子というのは、俺の許嫁であるリーナとリーネの双子の姉妹のことである。

 確かに、俺は彼女たちの要望で、ヴェリーナをリーナ、ヴィリーネをリーネと愛称で呼んでいるが……。


「ずるいわ」


「へっ?」


 あまりに簡潔なクリスティーナの言葉に、俺はぽかんと口を開けてしまう。


「いい? フリッツ、貴方を世界で一番想っているのは私、クリスティーナなのよ? だったら貴方が一番特別扱いするべきは私なんじゃなくって?」


「……?」


 いきなり何を言っているんだろうかこの姉上は。


「確かに、龍姫族の双子は貴方の許嫁。良好な関係を築く必要があるでしょう。だから彼女たちとあだ名で呼び合うことに異議はないわ。だからと言って私を軽視する理由にはならないでしょう?」


「……結局、クリスティーナお姉ちゃんは何を言いたいの?」


「私のこともあだ名で呼びなさい」


 そういうことかい。

 大分回りくどく攻めてくるなこの姉上は。


「分かったよ。クリス……お姉ちゃん?」


「っ! ええ」


 俺がクリスティーナ――クリスをそう呼称すると、彼女はぱぁっと笑顔になった。

 うむ。普段クール系年上ヒロインのそんな表情を見られるなら、こんなことお安い御用だ。


「そういえばフリッツ。貴方はなぜここへ? 随分と機嫌がよさそうだったけど」


「あっ! そうそう、これを見てよクリスお姉ちゃん!」


 俺は魔力ポーションを机の上に置く。

 クリスの後ろの窓から注がれる日光に反射して紫色にぼんやりと輝いていた。


「これは?」


「魔力ポーションだ!」


「魔力、ポーション?」


「そう! 俺の固有魔術で魔力を実体化させて、水の中に封じ込めることでこうやって保存することに成功したんだ! 魔力だけじゃなくて、『筋力向上ストレングスアップ』みたいな魔術も封じ込めることができた! どう!? これはすごい発明じゃない!?」


 俺は興奮のあまり全身を使ってまくしたてるように説明した。

 これにはそれだけの価値があると思っていたのだ。


「……」


 しかし、クリスの反応は予想していたものとは違った。

 彼女は腕を組み、目を細くして机の上の小瓶を見つめていた。


「え、えっと……クリスお姉ちゃん?」


「そうね……」


 小さく言うと、クリスは「ふぅーーー」と長い息を吐き、意を決したように俺を見る。


「フリッツ。これは素晴らしい、いえ、そんな言葉すら超えるほどの代物よ」


「やっぱり――」


「でもこれは、すごすぎる・・・・・わ」


「え……?」


 有頂天になる寸前、クリスの冷や水のような言葉で俺の体温は下がった。


「これは、世界の情勢を変えてしまう……そんな代物よ」


「そ、そんなに?」


「魔術師が戦争で活躍はできても大活躍はできない理由、それは魔力よ。戦闘が長引けば長引くほど、魔術師の魔力量は枯渇していって、趨勢が決するときには戦場に魔術師がいないこともざらにある。


 そんな世の中に、この魔力を回復する代物があったら、一方は無限に魔術師を動員できるけれど一方の魔術師は息切れになり、あっという間に片が付くでしょうね。


 こんなもの、欲しくない国がいるはずもない」


「――――」


「これが公になれば、フリッツ。悪意のあるものが貴方を攫って製作法を強引に聞き出したり、貴方を閉じ込めて一生これを作らせる――そんな事態が起こる可能性が高いわ」


 俺は絶句していた。

 正直、この魔力ポーションで金を稼げたらいいなぁ程度に思っていたからだ。

 クリスの言葉を信じるなら、俺の発明した魔力ポーションは戦争を変えるもの――前の世界で言う銃器や戦車のような代物を作ってしまったらしい。


 俺は肩を落とす。


「じゃあこれは使えないね……」


「フリッツ……」


 すると、クリスが立ち上がって俺に近寄り優しく抱きしめてくれた。


「確かにこれは世界をひっくり返し兼ねないものだけれど、それだけ貴方の発明はすごいということよ。自信を持ちなさい、フリッツ。貴方は賢い子よ」


「クリスお姉ちゃん……」


 中身アラサーのおっさんがJKくらいの年頃の娘にみじめに甘えているが許してほしい。

 この温もりに勝るものはないのだ。


 ――コンコン。


 俺がクリスの豊かな胸の中で荒んだ心をいやしてもらっていると、扉がノックされる音が部屋に響いた。


『クリスティーナ様。ドロイアス様からの品が届きました』


 扉の奥から聞こえるのは屋敷に勤める執事の一人のものだった。

 はて、ドロイアス――この世界の俺の父からの品とはいったい何だろうか。

 あの親父、もう三ヶ月近くこの屋敷に帰ってきてないらしいが。

 また、そのせいで最近はクリスが領内の運営に奔走しているらしい。


「入れなさい」


『はっ。失礼します』


 その声と同時に、扉が開かれる。


 その瞬間、机の上に置いてあった魔力ポーションを隠さなければまずいと気づいたが、すでにクリスが後ろ手に隠してあった。

 さすクリ(さすがクリスティーナの意)。 



 先頭を歩くのは予想通りこの屋敷の執事だった。

 しかし、その後ろに三つの人影が続く。


 前の二人は魔族のようだが、最後尾を歩く俺と同じくらいの年頃の少女は人族だった。

 この世界で人族を見るのは初めてだった。


 ちなみに、この世界では人族もエルフも魔族も『人間』と呼ばれる。

 前の世界で俺の種族だった――というのもおかしいが、ともかく前の世界の人間はこの世界では『人族』と呼ばれている。


 少女は薄紫色の髪を肩より少し下まで伸ばし、きりっと吊り上がった青い瞳でこの部屋を警戒するように見回していた。

 やがて俺と目が合うと、グッと睨まれる。

 

 な、なんだ……?


「これらが父の言っていた奴隷?」


「はっ。クリスティーナ様の執務をお助けするための知識奴隷だと伺っています」


「はぁ……。私を助ける奴隷を買うくらいなら帰ってきて欲しいものね……。好きで執務をしているわけじゃないのだから」


 なるほど、奴隷か。

 だからみすぼらしい格好をしていたのか。


「ごめんなさい、フリッツ。私は仕事に戻らなくちゃいけないわ。最近少し忙しくてね」


「いや、こちらこそ時間を使っちゃってごめん。それじゃ俺はいくよ。お仕事頑張って」


 ◇


 その日の夜。


 俺は魔力ポーションを見つめながら考えていた。


「これまでの戦争が記された書紀をみるに、確かにこの世界の魔術師が戦争で発揮する役割は大きい……。クリスの言う通り、魔力ポーションを公にしてしまうのはまずいか……」


 だけど、以前のザッケルトとの戦いを思い出す。

 ああいう事態に備えて数本忍ばせておこう。

 死ぬよりはマシだ。


「ふぅ~~……。それにしても、この世界にも月はあるのか」


 俺はふと、夜に染まった空を見るべく窓へと近づいた。

 この窓は中々大きく、中庭まで見通すことができる。


「……ん?」


 ふと、中庭に一つの人影を発見した。

 こんな夜更けに珍しい。


「あれは……」


 どこかで見覚えがあると思いよく見ると、今日クリスの部屋であった知識奴隷の一人だった。 

 俺と歳が近い見た目をしていた、あの少女だ。


 暗くてよく分からないが、うずくまって動かない。


 道に迷ったか、それとも何か体調を崩してしまったのか。


 俺は彼女の元へ行くことへした。


 ◇


 少女は同じ場所にいた。

 中庭でうずくまり、微動だにしない。


 しかし――


「う……えぐっ……」


 彼女は泣いていた。

 声を殺すように静かに。


「あ、あの……」


「っ! 誰!」


 意を決して話しかけると、少女の鋭い目に刺される。

 彼女は――どこかで見たことがある気がする。だが、明確にどこかは思い出せない。

 

 薄紫色の髪、きりっと吊り上がった青い瞳の目。

 顔立ちは可愛らしいが……失礼を承知で言うなら、モブと立ち絵が用意されているキャラのちょうど真ん中くらいの娘だった。


「あなた、あの部屋で見た……」


「俺はフリードリヒ・フォン・アスモダイ。ここの当主の息子だ」


「…………」


 まずは自己紹介だなと思い自分の名前を告げると、なぜか少女は先ほどと同じく俺を睨んだ。

 だが、その瞳には恨みや憎しみといった直接的な感情はないように思えた。


「えっと、君、なんで泣いていたんだ?」


「っ!? 見ていたの!?」


「あ、ああ。ごめん」


 俺が謝ると、彼女は俺を睨みながら黙ってしまった。


 ど、どうするか。

 勢いでここにきてしまったはいいがどうするかなんて全く考えていなかった。


「……家族に会いたかったの」


「え?」


 俺がうんうんと頭を悩ませていると、彼女はぽつりとそう言った。


「だから! 泣いてた理由! 家族に会いたかったからだって言ってんの!」


「そ、そっか……」


 なんというか、難しい子だ。


 ……しかし、家族に会いたい、か。

 その気持ちは、俺にも痛いほど分かる。


「君はその、なんで奴隷に?」


「……あなた、よくそんなことを直接言えるわね」


「ご、ごめん」


「……まぁいいわ。私、こう見えてもホーラ王国の子爵令嬢なの」


「ホーラ王国!?」


 俺は目を見開いた。

 ホーラ王国は、『アリナシアの使徒』の舞台となるカドニック魔術学院がある国だ。

 まさかこんなところでその国の人物と出会うとは。


「私の名前はシェリーゼ・フォン・サイラック。私が産まれたサイラック子爵領は元々貧しい土地で、貴族とは言っても決して豊かな生活ではなかった。だからお父様は王国宰相に援助してもらえる見返りとして私を嫁がせたの」


 まぁ、貴族が存在する世界ならそんなこともあるかもしれないだろう。

 しかし、それでなぜ彼女が奴隷に?


「そこでの私はまるで愛玩動物よ」


「愛玩……?」


「あら、貴方にはまだ早かったかしら。宰相は私の体を思うがままに触り、穢し、私が嫁入りした一年後には飽きたといって奴隷商人に売りつけたの」


「そ、れは……すまない。軽率に聞くべきではなかった」


 俺の心は罪悪感でいっぱいだった。

 まさかそんな、重いなんて言葉では表せないほどの過去を持っていたなんて。


「別にいいのよ。それで家族が助かるなら私はそれでよかったの。でも……」


 瞬間、シェリーゼの両目に涙が溜まった。


「私は、家族に会いたい! こんな知らない土地で奴隷として働くなんて、違う! これが家族のためになるなら頑張れた! でもあの宰相は、私には飽きたからといって、サイラック家への援助も止めると……! 私はあの宰相のせいで奴隷になって、家族にも会えず、こんな場所で薄給で働かされるなんて……! あぁ、家族に会いたい……」


 そう泣き叫んで、彼女はまたうずくまって体を震わせた。



 ――俺の両親は若くして亡くなった。

 当時の俺は高校生。

 進学先も決まっていた。

 だけど、俺には弟と妹が二人ずついた。

 一番年長でも中学生だ。


 突然両親を亡くした俺には、彼らを養う義務があった。


 進学を取りやめ、就職。

 四人の子供を養うのは決して楽ではなかったが、弟妹の笑顔があれば、俺は頑張れた。


 最終的に奨学金の世話になることにはなったものの、弟妹たちを大学に進学させることもでき、数年前に全員が独立した。


 俺は、家族が大好きだった。

 受験勉強もあるだろうに仕事から帰ってくる俺のためにご飯を作ってくれる弟が好きだった。

 俺の仕事が佳境を迎えたとき、自作のお守りを作ってくれた妹が好きだった。

 俺がこの世界に来た時、未練はほぼなかったが、弟妹達が無事に暮らせるか、それだけは知りたかったほどだ。


 だから、シェリーゼの、家族に会いたいが故に流れる涙は理解できた。


「分かった、シェリーゼ」


「え……?」


「俺が君を解放して、家族のもとへ帰すよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役貴族に転生したけど魔術が楽しすぎて正直それどころじゃない~固有魔術を創りまくっていたらいつの間にか次期魔王になりそうな件~ 水本隼乃亮 @mizzu0720

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ