第16話 姉弟

 俺がクリスティーナに勝って一ヶ月が経った。

 あれ以降、俺を取り巻く環境は激変したと言ってもいいだろう。


「おはようございます、フリードリヒ様!」

「今日も訓練ですか? 流石ですね」

「フリードリヒ様、先日はお手伝いありがとうございました!」


 まず、屋敷の人間たち全員の俺を見る目が変わった。


 この世界に来てからしばらくは、俺を見るなり嫌な目をするメイドや侮蔑の色が混じった目で見る執事、つまらないものを見る騎士たちばかりだったが、今ではこうして笑顔で挨拶をしてくれるようになった。


 間違いなく、クリスティーナとの決闘が大きいだろう。

 俺が天才である彼女を破ったことで、俺がただの怠け者という評価は覆された。

 それと、俺が地道にやって来た使用人たちの好感度稼ぎが功を為したのもあるだろう。

 流石に、白い目で見られながら生きるのは中々来るものがあるからな。


 ……だが、唯一ドロイアスは変わっていないかもしれない。

 あれ以降話すことも特になく、聞けばあの決闘の日、ドロイアスは屋敷にいなかったらしい。

 子供を使い捨ての武器の一つとしか見ていない彼のことだ。恐らく興味すらないのかもしれない。


「フリードリヒ? 入るわよ」


 そして、変わったことはまだある。


「ど、どうぞ」


 俺の許可を聞いて、部屋に入ってくる人影が一つ。


 初雪のように真っ白なロングの髪の毛。

 キリッとつり上がった目には真紅の瞳、その上には柳の眉。

 高い鼻に口角の上がった唇。

 俺より頭一つ分高い背丈。


 みなさんご存じ、俺の推しキャラクリスティーナ・リグル・アスモダイである。


「おはよう、フリードリヒ」


「は、はい。おはよう、ございます……」


 ニコニコと俺の隣に座るクリスティーナ。


 彼女はあの日から、こんな調子なのだ。

 

 決闘の直後、俺は意識を失った。

 魔力を使い過ぎたのだろう、丸二日寝込んだ俺が目覚めた時、視界に入ったのは歓喜に染まった表情をするクリスティーナの姿だった。


 ヘカーテによると、クリスティーナは気絶した俺を付きっ切りで看病してくれていたらしい。


 そして、目覚めた俺を間髪入れずに抱き締めて言った。

 『ありがとう』、と。


 それ以降、クリスティーナは俺にべったりとなった。

 飯を食うのも一緒。俺が訓練をする時も率先して相手になってくれる。

 何も用がない時でも俺の部屋で過ごす。


 ……いや、決して嫌な訳ではない。

 クリスティーナは俺が一番好きなキャラだ。それは『アリナシアの使徒』というゲームに限らず。


 でも、でもさ……。

 この胸の高鳴りはどうすればいい!?


 正直ずっとドキドキしてるんだけど!

 好きなキャラが隣にいて! 触れられる距離にいて! なんか良い匂いもしちゃったりして!


 俺はどうしたらいいんだよ!

 このままだとどうにかなってしまう!


「フリードリヒ? 顔が真っ赤だけれど、大丈夫?」


「え、あ、はい! 大丈夫、です……!」


 見ろよ俺のこのザマを。

 好きなアイドルとようやく握手できるタイミングになったのに、いざとなったら狼狽えてしまって結局何も出来ない奴みたいじゃねえか。


「……むぅ」


 俺がドギマギして全身の体温が上がっていくのを感じていると、隣から不満そうな声が漏れ聞こえた。

 そこでは、クリスティーナがまるでリスのように頬を膨らませ、不満アピールをしていた。


 ……え、かわヨ。

 怒っている顔も可愛いとは。

 天は二物を与えずとはなんだったのか。


「ど、どうしたんですか、クリスティーナお姉様。どこか――」


「口調」


「え?」


 クリスティーナはびしっと俺の顔を指さす。

 行儀が悪いですよと思いはするが、真正面から俺を見つめる彼女の破壊的な美貌を前に、何も言えない。


「貴方のその口調よ。フリードリヒ。貴方、昔はそんな畏まった言い方してなかったでしょう?」


 どうやら、クリスティーナは俺の敬語が気に入らなかったらしい。

 

 ……確かに。

 フリードリヒって奴は敬語もろくに使えなかった奴だった。


 でもなぁ。

 俺がクリスティーナと慣れ慣れしく話すってのもそれはそれで無理な話なんだよなぁ……。

 

 俺的に、クリスティーナと話すってのは、なんだ、高校の憧れの先輩と話してるみたいな……好きな有名人と話してるみたいな……。

 そんな、自然に敬語になってしまうシチュエーションなんだよなぁ。


「……フリードリヒ、私ね。貴方に感謝してるの」


「……? 感謝、ですか?」


「ええ」


 俺が黙っていると、唐突にクリスティーナはそう切り出した。


「一か月前までの私の人生は、とても退屈なものだった。私に対抗できる人間はいなかった。手加減して戦っても、私は圧勝して他人と距離を置かれた。武術にしろ魔術にしろ、学業だって、私と対等な者はいなかった」


 クリスティーナは足をぶらぶらと揺らしている。

 その動きは、暇を持て余す者特有のそれに似ていた。

 

「そんな灰色の私の人生に、もう一度色を取り戻してくれたのは、貴方よ、フリードリヒ」


「俺、ですか」


「そうよ」


 クリスティーナは俺を見つめる。

 吸い込まれそうなその真紅の瞳には俺しか映っていないようだった。


「貴方は模擬戦とはいえ、決闘で私に勝った。あんな気持ち、何年振りかしら。私は負けた。悔しかった。でも、それ以上に……嬉しかった」


 クリスティーナは笑った。

 決闘の時に見せた戦いを悦ぶようなものではなく、慈愛のこもった優しい笑みだった。


「まだ、私が生きる目的はあるのだと。人生を捨てるのはまだ早いのだと。貴方が教えてくれたのよ、フリードリヒ」


「――」


 俺は、クリスティーナが人生に退屈しているのは知っていた。

 だからこそ、彼女に決闘を挑み、少しでもその人生を刺激できればいいなと思っていた。


 しかし、ここまで想われることは、正直予想外だった。


「貴方は……数年前の貴方は、私との力量差に絶望して無気力になってしまった。それなのに、私が学院に行っていたたった一年でここまで急成長した。それは決して私のためではないかもしれないけれど……感謝を抱くには当たり前だった」


 ……俺が転生して半年も経ってないし、ほとんどクリスティーナのために力をつけたようなものだが。

 俺が空気が読めるので、黙っておく。


「だからね、フリードリヒ……」


 クリスティーナは潤んだ目で俺を見つめる。

 そして、段々と二人の距離がゼロに近づいてく。


 …………って、え!? 

 なにが起きてるんです!?

 まじまじまじまじ!?

 俺、やっちまうのか!?

 クリスティーナと、俺の初めてを――


「貴方をもっと強くするわ」


「……へ?」

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