第29話 教科書通りの、絶体絶命

「リーナの妹は、絶対助ける」


 真剣な顔をしてそう言ったフリッツは、泣きじゃくる私の前から立ち去った。 

 それからどれくらい泣いていたのだろう。


「泣いてるばかりじゃ、だめだ」


 私は、気づいた。

 私はいつもヴィリーネに助けられてきた。

 今回だってそうだ。

 お母さまには双子の二人でアスモダイ領に巣食うドラゴンの対処をしろと言われていたが、戦いが嫌いな私を気遣って、ヴィリーネは一人で討伐隊に参加した。


 そして攫われた彼女を、今回の件に関してほぼ無関係で、私よりも年下のフリッツが助けようとしている。


 なら、私がここでえんえんと泣き続けるのはおかしいだろう。


 そこで、私はフリッツを追いかけることにした。


「フリードリヒ? 今は貴女の側にいるのではないの? ……ともかく、今はフリードリヒと一緒にいなさい。貴女の妹は、絶対に助けるから」


 クリスティーナさんに聞いたが、彼女もフリッツの居場所は知らないらしい。


 どこにいるのかととぼとぼ歩いていた私は、ふと廊下の窓から外を覗いた。


「フリッツ……?」


 屋敷の裏口。

 そこに、ハルバードを背負った彼を見つけた。


 私は誰かを呼ぼうかと迷った。

 しかし、急がないとフリッツはどんどん行っちゃって見失うかもしれない。


 そう思うと怖くなった私は、怖かったけど窓から飛び降りたのだった。


 ◇


「あ、あれ……? フリッツ、どこに行ったの……?」


 結局、私はフリッツを見失った。


「あれ、ここって……」


 しかし、私はある場所に着いた。

 まだ新しい血痕、捨てられた武器や防具。

 間違いない、ここで戦闘が行われたのだ。


 とすると、


「ここで……ヴィリーネが……」


 私の中に、ふつふつと怒りがこみ上げる。

 それは、ヴィリーネを攫った誘拐犯に対しての怒りでもあり、自分の妹の代わりにもなれない自分に対してでもあった。


「足跡……」


 ふと、私は比較的小さい足跡を見つけた。

 それ以外に足跡は見つからない。

 なら、これがフリッツのものだろうか……?


「追わなくちゃ……」


 ◇


 それから数十分後。

 苦労はしたが、私はある洞窟に辿り着いた。

 奥まった場所にあり、発見が難しい場所。

 賊が塒にするにはぴったりな場所だろう。


「…………」


 そこに、フリッツはいなかった。

 しかし、倒れている男性がいた。

 彼は真っ黒な服に身を包み、青い顔で横になっていた。


「これを、フリッツが……?」


 その男は、生きていた。

 だが、フリッツはハルバードを持っていた。


 つまり彼は、この男を殺さずに気絶させたのだ。


 それは、ただ殺すことよりも難しいだろう。


 私はそんな彼を尊敬し、そしてそれに全く及ばない自分を責めた。


 —ガキィン!


「!」


 落ち込んでいると、洞窟の奥から鈍い金属音が聞こえた。

 もしかすると、フリッツが戦っているのかもしれない。


 そう思った私は、気付けば洞窟の奥へと飛ぶように走っていた。


 ◇


「はっ! その程度かよ、ガキ!」


「くっ!」


 洞窟の奥では、フリッツと大男が争っていた。

 大男の持つ剣はとても大きくて、フリッツでも苦戦していた。


(私に、もっと力があれば……)


 大きな樽に身を隠しながら、私は歯噛みしていた。

 もし私にヴィリーネみたいな剣の実力があれば。

 もし私がフリッツみたいな魔術が使えたら。


「『魔術の祖よ』」


 フリッツに教わった詠唱の初めを試しに小声で唱えてみるが、やはり自分の体はなんの異変もない。

 魔術を使えるものは詠唱を唱えた瞬間、体の中でなにかが暴れだす感覚があるというが、私には何もなかった。


 そもそも、魔術の祖って誰なんだ。

 魔術の祖というからには、きっと魔術を創ったすごい人なのだろう。

 

 しかし、私にとって魔術を創りだした人といえばフリッツだった。

 彼は彼にしか使えない魔術を創って、敵を倒し、味方を守り癒していた。

 

 だから、私にとって魔術の祖とはフリッツ以外に他ならないのだ。


「『フリッツ』。——!?」


 その瞬間、私の体がぶわっと熱くなった。

 今の感覚は、一体……?


「はっ! かかったな!」


「なぁっ!?」


 その言葉の応酬のあと、カランカランと何かが落ちる音が聞こえた。

 慌てて見れば、フリッツの手にあったはずのハルバードが大男によって落とされていたのだ。


「ガキのくせにやるようだが、経験が足りてなかったな。……あばよ」


 大男が、大剣を振り上げフリッツに止めを刺そうとする。


 嫌だ。そんなの嫌だ。

 私の友達が、初めてこんな私を友達と呼んでくれた人が死ぬのなんて嫌だ。


 刹那。

 私の体の中のナニかが暴れ始めた。


 もしかして、これが――。


「『フリッツ』」


 私は口に出す。

 私にとっての魔術の創造主を。


 こんな場面で助けてくれない魔術の祖なんてどうでもいい、私が頼り、助けたいと思える人物は一人だけだ。


「『貴方の力で、私にあの人を貫くその氷の力を頂戴! ——『氷弾アイスバレット』』!」


 ◇


「『貴方の力で、私にあの人を貫くその氷の力を頂戴! ——『氷弾アイスバレット』』!」


 背後から、聞き馴染みのある、しかし聞こえるはずのない声が聞こえた。

 驚いて振り返るよりも早く、俺の視界にこれまた見慣れた小さな氷塊が映る。


 それと同時に、俺の体がなにかで満たされる感覚を覚えた。


(これは……?)


「ぎゃああああ!」


 その氷塊はゴンゼと名乗った大男の右足にヒットする。

 彼は足から血を流しながら、武器を落とし、たまらず膝をついた。


「フリッツ! 今よ!」


 そこにいたのは、リーナだった。

 俺は何がなんだかわからない。


 なぜここにいるのか。

 なぜ魔術を使えているのか。

 そして、今使ったのは俺の固有魔術ではないのか。


「早く!」


「ガ、ガキがぁぁぁああ!」


「っ!」


 リーナの声で我に返る。

 ゴンゼは脂汗を浮かべながらも、立ち上がろうとしていた。


 俺は咄嗟にゴンゼの落とした大剣を拾い上げる。

 そしてその重さをそのまま利用するように、柄の先で彼の頭をぶん殴った。


「か、は……」


 流石のゴンゼもひとたまりもなかったらしく、嫌な音とともに今度こそ膝から崩れ落ちる。


「や、やった!」


 それと同時に、リーナが飛び上がって喜ぶ。

 しかし、俺はそれどころではなかった。


「リ、リーナ! なんでここに、それと今の魔術は!?」


 俺はリーナに詰め寄り、彼女の肩を掴んで問いかけた。


「フ、フリッツが出ていくのが見えたから、追わなくちゃと思って……」


「そ、そうか……。それで、その魔術は?」


「それは――」


「――んんぅ」


「「!?」」


 突然、大きな扉に阻まれた隣の空間――部屋から小さなうめき声が聞こえる。

 この声は……


「ヴィリーネの声!」


 俺が気付くのと同時に、リーナがそちらへ走り出す。

 慌てて後を追うと、その部屋は牢屋部屋のようで、簡素なつくりをした牢屋があった。

 そして、その奥には一人の少女が。


「ヴィリーネ!」


 赤い髪にドラゴンのようなツノや翼。

 紛れもなく、彼女はヴィリーネだった。


「ヴィリーネ、大丈夫!?」


 ヴィリーネは床に力なく寝そべっており、その瞼は閉じられている。


「すぅ……すぅ……」


「気を失っているか、眠っているか……。ひとまず死んでるってわけじゃなさそうだ……」


「よかった……」


「幸い、牢屋は簡単なものだから、ハルバードで壊してしまう。そしてさっさとここから去ろう」


 俺の体力と魔力はほぼゼロだ。

 それに、洞窟から出て行った賊たちがいつ帰ってくるかわからない。

 早いとここっからでないと……。


「おっと、そいつはいけねえなぁ」


「っ!?」


 低く、狂気を孕んだ声が俺の耳朶を打った。

 俺は慌てて振り返る。


 そこにいたのは一人の男。

 彼は、線が細く、いやらしい笑顔を浮かべていた。

 手に持つのはぎざぎざとしたノコギリのような短剣。


「お、前は……」


 俺は、この男を知っていた。

 『アリナシアの使徒』、その終盤にさしかかろうかというときに戦う中ボス。

 武器破壊ウェポンブレイカーのザッケルト。

 

 こいつの攻撃を食らうと、パーティーメンバーの武器が破壊される。

 つまり、なにも装備していない状態で戦わなければならない厄介な敵だ。


「ったく。迎えが全然来ねえから自分で来てみれば、全員伸びてるし、目標をガキに奪われそうになってるし……。どうなってんだ、おい?」


 ザッケルトは、つま先が上を向いている革靴で、横たわるゴンゼの頭を蹴飛ばした。


「あぁ、イライラするぜ」


「……リーナ、下がってろ」


 俺はザッケルトから視線を外さずに、リーナとヴィリーネを隠すように前に出る。


「で、でも……」


「いいから。……隙を見て逃げろ」


「そんな隙見せるわけねえだろうが。あぁ、イライラするぜイライラするぜ。俺はお前みたいなガキを逃がすほど弱く見えてんのか?」


 ザッケルトも、俺からその視線を外そうとしない。

 強い執着心を見せていた彼のことだ。きっともう俺を逃がさないだろう。


 だけど、せめて後ろの二人は逃がさなければならない。

  

 正直、怖い。

 ザッケルトはレベリングを怠っていると呆気なく負けてしまうほど強い中ボスだ。

 足は震えているし、歯はリズミカルに鳴っている。


 だが、やらなければならないのだ。


「――いくぞ」


「かっこつけやがってクソガキが。お前はその無駄に立派な武器諸共、ぶっ壊してやるよ」

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