第13話 弟

 私、クリスティーナ・リグル・アスモダイは生まれながらの天才と言えるだろう。


 初めて魔術を使ったのはまだ物心がつく前の三歳だったらしい。


 本来、魔術というのて詠唱の意味を正しく理解して魔力を魔術に変換する必要があるので、使えるようになるのは物心がついた五、六歳あたりが普通だ。しかも、その年齢でも早い方と言えるだろう。


 それなのに、私はほぼ幼女だった頃、見様見真似で父の魔術を真似しだしたかと思えば、実際に魔術を放ってしまったらしい。


 最初は、魔術は楽しかった。

 私が魔術を使えば魔術の家庭教師やメイドたちは手を叩いて褒めてくれた。

 「クリスティーナ様、すごいです!」「天才です!」といった具合に。


 しかし、私が十歳になる前に上級魔術を会得すると、彼女たちの表情に宿るのは賞賛ではなく恐怖だった。


 当時の私は褒めて欲しかったのだと思う。

 天才だと言われた私だが、その時ばかりは努力をした。


 本来魔術は一度見れば使えるようになるが、上級魔術は半日練習する羽目になった。


 だが、私が上級魔術を使った瞬間、彼女たちの目は同じ人間を見るソレではなく、なにか奇妙な化け物を見たかのようだった。


 その後しばらくして、上級魔術というのは魔術に一生をかけてようやく習得できるものだと知った。


 そして上級魔術を会得した頃、私は無詠唱で魔術を使えるようになった。

 詠唱をする時の魔力の動きを、それなしで再現できることに気付いた。


 今度こそはと思い、私は無詠唱魔術を距離の離れたメイドたちの前で披露してみた。


 結果として、私と彼女たち――周囲の人間の間にははっきりとした溝が出来てしまった。

 無詠唱魔術を最後に使ったのは百年前に死んだ人族の男が最後らしい。


 それきり、私は魔術に対する興味を失った。


▼▼▼▼


 十歳を越えると、私はやることがなくなってしまった。

 歴史、地理、政治――全ての家庭教師から「もう教えることはない」と言われ、一日の半分を占めていた勉強の時間がまるまるなくなった。


 周囲の人間は天才だと相変わらず噂していたが、私としてはただひたすらにやった・・・だけだ。

 一度教わったことなど、忘れることの方が難しいのに、彼女たちは何が難しいと言っているのだろうと、当時の私は思っていた。


 その空いた時間を埋めるように、私は武術に興味を持った。

 

 どうやら私の魔術はもう世界で最高峰の実力らしいと気付いていたが、私はその時、生まれてこのかた武器など一度も握ったことが無かった。


 つまり、武術において、私はその時最底辺だったのだ。


 これなら周囲に距離を置かれることも無いだろうと、私はドロイアス家に仕える騎士に師事した。


 結論だけ言うと、私は一ヶ月足らずで全ての騎士を圧倒する力を手に入れてしまった。


 私としては、ただ武器を振るっていただけだ。

 確かに、始めの方は負け続けた。


 しかし、何度か戦えば、どうすれば勝てるのかなど手に取るようにわかった。

 相手の目線、予備動作、腕の長さ、背丈の差――これらを考えれば相手を手玉に取ることも苦ではない。


 『武術に何年も費やしてるのにこんなに弱いなんて、彼らは一体何をしていたのだろう』、当時の私はそう考えていた。


 それから、私が訓練場に赴くと、訓練していた騎士たちは一斉に去るようになったので、私はいつしか武器を握ることをやめた。


 それから、私は武術の関心を失くした。


▼▼▼▼


 しかし、そんな私にも大切な存在がいた。


 フリードリヒ・リグル・アスモダイ。

 三つ下の弟だ。


 彼は、私が上級魔術を使っても、笑って褒めてくれた。

 彼は、私が騎士を圧倒しても、すごいすごいと称賛した。


 フリードリヒはいつでも私の後ろをトコトコと歩き、なんでも真似した。

 彼には才能が無かったのか、魔術を振るうことも、武器を上手く振ることも出来なかったが、私と同じことをするだけで楽しそうだった。


 例え周りが私と距離を置こうとも、彼だけは私の側にいてくれる。


 いつしか、フリードリヒは私が生きる目的となっていた。


▼▼▼▼


 私が十二歳になったころ。

 私は、魔術の興味を失い、武術への関心を失くしていた。


 私が何かするだけで、周りは私を畏怖の眼差しで見つめる。

 私が適当にやれば出来る事でも、周りは幾年も努力してようやくできるか、そのまま死ぬ。


 私は、私以外の人間に失望し、人生を退屈なものだと思っていた。

 映る景色は灰色で、面白みなど全くない、食べて寝るだけの人生。


 私が生きる目的はただひとつ。

 私に懐いてくれたフリードリヒのため。


 彼がいるときだけ、私の人生は色づき、楽しいものとなっていた。


 勉強を教えてあげた。魔術を教えてあげた。武術を教えてあげた。

 彼には才能が無いようだったが、それでもお互い笑っていた。楽しかったのだ。


 フリードリヒは周りの人間とは違う。

 『なにをやっても完璧』な私ではなく、私そのものを見ていてくれる。

 その時の私は、心から笑えていたと言えよう。


 ――しかし、それは彼が子供だったからだ。


▼▼▼▼


 フリードリヒが十歳になった頃。

 

 段々と、私と彼の距離が離れていっているように思えた。


 一緒に魔術を練習しようと言っても、断られるようになった。

 それだけではなく、毎日続けていた鍛錬も怠るようになっていた。


 そして私は、気付いた。

 私を見るフリードリヒの瞳に、嫌悪感が宿っていることを。


 その瞬間、私は混乱した。

 混乱した――が、すぐに気付いた。


 『あぁ、彼も周りの人間と同じなのだ』、と。


 結局のところ、彼が私に懐いていたのは、彼が子供だったからだ。


 純真無垢な彼は、私がどれだけ周りに恐れられている化け物か、分からないだけだった。


 上級魔術を使ったって、『すごい魔術』という認識しかなく、自分がどれだけ努力しても会得出来ない技術だと知らなかっただけ。

 

 それから一年後、私たちの関係はまるで最初から無かったように切れた。


 フリードリヒは私を憎悪と嫉妬の混じった目で見るようになり、私は努力もしなくなった彼を蔑むようになった。


▼▼▼▼


「…………」


 私は、自室で目覚めた。

 窓の向こうは茜色に染まりつつある。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。


「……それにしても、懐かしい夢を見たわね」


 一年振りに会ったフリードリヒは、少したくましくなったように思えた。

 体がしっかりしたように感じるし、瞳には強い力を感じた。


 そして、私を見る目が和らいでいたようにも思える。


「……緊張でもしていたのかしらね」


 だが、彼の私に対する感情が変わったとは思えない。

 彼の緊張か、私の見間違いだろう。


「さて」


 部屋を見渡す。

 綺麗に整頓された部屋の真ん中には、そこまで物の入っていない袋が一つ。

 

 旅の支度を終える所だった。

 

 これ以上、私がここに留まる理由はない。

 この国には女性が家督を継ぐことはできない。

 私とここに住む人間たちの溝は埋まらないし、父親は数年前から不穏な動きをしている。

 それに、弟も私がいない方がのびのびやるだろう。


 彼が努力しなくなったのは、私がいるからだ。

 どれだけ頑張ったところで越えられない壁が身近にあれば、努力をする気力も失うだろう。

 それに、私もこれ以上彼を見たくない。

 たったそれだけの理由で努力をやめ、自分を研鑽することも無い怠惰な彼を。


 ――コンコンコン。


「……?」


 唐突に、ドアがノックされる。


 夕食の用意が済んだことを告げるメイドだろうか。


「どうぞ」


 私の声で、ドアがゆっくりと開かれる。なんだか「おそるおそる」と言った様子だ。

 そんな開け方をするメイドがいただろうか。


 私の疑問は、すぐに解決した。

 何故なら、部屋に入ってきたのは――


「フリードリヒ……?」


 私の弟、フリードリヒだった。

 彼は、大分緊張した様子だ。


「こ、こんばんは。お姉様」


 フリードリヒは昔を思い出す口調でそう言った。

 

 思わず、固まってしまった。

 彼がこんな言葉をかけてくれたのは何年振りだろうか。


「……!」


 フリードリヒは、私の後ろを見て、少し目を開いた。


 恐らく私の旅の支度を見つけたのだろう。

 

 しかし、彼の反応は意外にもそこまでで、私の目を真正面から見つめた。


 しばらく、口元をもごもごと動かす。言いたいことがあるが、中々言い出せないと言った様子だ。


「……ふふっ」


 私は、彼にばれないように微笑んだ。

 なんだか彼の今の表情が、幼い頃の彼のそれと重なったのだ。


 ……?

 この違和感はなんだろうか。


 一年振りに会った彼の雰囲気。

 そして今、彼は近づこうともしなった私の部屋に訪れている。


 私が胸のもやもやを探っていると、フリードリヒは意を決したように口を開いた。


「お姉様。俺と、決闘しませんか」


 

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