第8話 ある男爵令嬢の独白
私の名前はヘカーテ・フォン・ヘルライア。
魔王が治めるギリーニア魔王国の北東に位置するヘルライア領出身の貴族令嬢である。
貴族と言ってもそこまで豊かな人生を送った訳ではなかった。
いや、むしろ平民よりも不幸な人生を辿って来たともいえるかもしれない。
ヘルライア領は豊かな土地ではない。
一年中寒冷なこの土地では、ほとんどの作物が生えず、男爵家の食卓だってそれは寂しいものだった。
そんな土地を治める我が父だ。
娘に見出す価値は、自分を援助してくれる貴族への嫁入りの道具という一点のみ。
私たち姉妹に対する愛情などはなく、虐待なんて当たり前だった。
それもメイドたち屋敷の者には知られないよう、露出しない服の内側にばかり傷を残すのだから始末が悪い。
いつまでたっても跡継たる男子が産まれないこともそれに拍車をかけた。
姉たちが次々と他の貴族たちに嫁ぎ、屋敷に私一人が残ると、父の暴力は私に集中した。時には鞭で、時には拳で、ある日には体に一生跡が残るであろう火傷を負わされた。
そんなある日。
魔王国でも一定の地位を持つアスモダイ侯爵家が嫡男の専属メイドを募集しているという噂を聞きつけた。
私はそこで初めて、父に頼み込んだ。父に自分の意見を伝えると言うのは初めてだった。
少しでも不機嫌になれば私を殴る父だ。私が意見したことで拳が飛んできてもおかしくないと、怯えながら伝えた私に、父は意外にもいいだろう、と言った。
私は嬉しかった。これでようやく父親から逃れられる。嫁いだ後なんの連絡も寄越さない姉たちの後を、ようやく追えるのだと。
その後父親が私に、『アスモダイ侯爵は金を持っているから上手く誘惑しろ』だの言われた気がするが、そんなことはどうでもよかったのだ。
かくして私は、あの地獄のような実家から逃れることが出来たのである。
▼▼▼▼
しかし、事態はそう簡単に進まなかった。
なんと、私以外にもアスモダイ侯爵家嫡男の専属メイドになりたいと志願した貴族の令嬢が数人いたのだ。
アスモダイ侯爵家嫡男、フリードリヒ・リグル・アスモダイ。
彼の悪い噂は遠く離れた私の領地にまで届いていた。
まず、貴族という権力を振りかざす悪童。
執事やメイドといった立場の悪い者に強く当たり、暴力まで振るっているとの噂もあった。
次に、怠け者。
貴族と魔術は切って離せない関係性がある。
それは貴族が魔術を使って領地を他国や魔物の侵略から守ってきたと言う歴史があるからだ。
しかし、フリードリヒという男は魔術が苦手だけでなく、努力さえしようとしないと言う。
そんな人間、貴族失格と言われてもおかしくない。
なのにも関わらず、いざアスモダイ侯爵の屋敷に赴くと、専属メイド候補の貴族令嬢がたくさんいた。
しかし、その疑問はすぐに解けた。
話を聞くと、皆が皆この話に積極的な訳ではなかった。
アスモダイ侯爵は魔王国の中でも大きな発言力がある有力貴族だ。
その嫡男に見初められ自分たちの援助をしてもらおうと画策する貴族はゼロではなかったということだったようだ。
……私は、彼女たちを見て落胆した。
彼女たちは一様に顔が綺麗で、透明な美しい肌を持っており、貴族らしい綺麗な所作を持っていた。
対して私は、地味で、肌には暴力の痕や火傷が残る、ただ魔術が人より得意な人間。
これはすぐにもあの父の元へ戻らなければならないな……。
そんな暗い気持ちで、私たちはいよいよフリードリヒの部屋に案内された。
部屋の中で座っていたのは、私よりも一回り年下の少年だった。
紺色の髪を持ち、赤い瞳を持った、噂通りの悪人面の少年だ。
しかし、私は何故か彼に嫌悪感を持たなかった。
彼が纏う雰囲気には噂のような危ないものはなく、むしろ柔らかいような優しいような、そんな雰囲気がしたのだ。
「…………ん?」
部屋に入ってすぐ、私はフリードリヒと目が合った。
彼は不思議そうな表情で、私の頭からつま先をじっくりと見定めているかのようだった。
しかしその視線は、いやらしい感情の伴った粘っこいものではなく、なにかを確かめるような動作にも見えた。
なぜ麗しい少女たちに混じって、こんな地味な女がいるのだろうかと思われていないか、私は気が気ではなかったが、フリードリヒはおもむろに口を開いた。
「決めた」
私はあまりの唐突さに口をポカンと開いた。
それは他の令嬢も同じで、特に自己紹介を強制的に止められた令嬢の顔はとても見せられるものではなかった。
何を決めたと言うのだろうか。
それに、フリードリヒが私を真正面から見つめているのはなぜなのだろう。
そんな疑問は、一瞬で霧散した。
「俺の専属メイドは、君だ」
▼▼▼▼▼▼
その後はあれよあれよと話が進んでいき、私は契約書にサインをし父親に形式的な手紙を送ったあと、正式にフリードリヒの専属メイドとなった。
私が専属メイドとなってまもなく、私はフリードリヒと二人きりになった。
簡単な自己紹介を終えたあと、私達の間に沈黙の時間が流れる。
「あの、フリードリヒ様は何故私を専属メイドに選んでくださったのでしょうか」
私は気づけば、フリードリヒにそう問いかけていた。
だっておかしいではないか。
私の他に志願した者は全員が見目麗しく、男性好みの体型をしていた。
対して私は長い前髪で顔を隠し、同年代の男性よりも高い身長。
決して男性が好き好むような女ではない。
……それに、私は少しフリードリヒに対して罪悪感を抱いていた。
私は、フリードリヒという人間がとんでもない悪童だと思っていた。
加えて、フリードリヒの専属メイドに志願した理由は、暴力を振るう父親から逃れるためで、決してフリードリヒを慕っているとか真面目な理由ではない。
極めつけに、私の服の内側は父親につけられた火傷だらけだ。
専属メイドとなれば……主人とそういうことになることもあるだろう。
貴族の嫡男に女性の体を教えるのはメイドの役目だ。
しかし私の体はとても男性が興奮できるような体にはなっていなかった。
これは何事かと父親に聞いても、子供の頃酷い火傷をしてしまったと、彼は突き通すだろう。
この時の私は、自分が果たして他の令嬢を押しのけフリードリヒの専属メイドになってしまってよかったのかと、自信を無くしていたのだ。
「前々から気になっていたから……」
「!?」
しかし、フリードリヒの答えは、全くの予想外だった。
『前々から気になっていた』とはどういうことなのだろうか。
私と彼は初対面のはずで、彼はある意味有名だから私は知っていたが、地方貴族の娘である私を、フリードリヒが知っていたとは到底思えなかった。
いや待て。
もしかするとフリードリヒは、知っていたのだろうか。
私の父親が実の娘に虐待をはたらく人間だということを。
しかし、私はその可能性を即座に否定する。
もしフリードリヒが、噂に聞く人間じゃなく、不正を許さない正義と秩序を重んじる真っ当な人間であればその可能性もあるだろう。
だが、フリードリヒはそんな人間ではないはずだ。
怠け物で暴力を振るう悪童。
それがフリードリヒのはずだ。
……しかし、初めて会った彼が纏っていた雰囲気や、緊張している私を見つめる優しい瞳。
もしかして、フリードリヒという人間は、本当は噂とは違う人間なのでは――
「やっと、救えたのか……」
「!!??」
その言葉は、私が口をあんぐりと開けるには十分すぎるほどだった。
『救えた』。
間違いなくフリードリヒはそう言った。
私の質問。そして今の状況。
誰を救ったのかは明白だ。
そう、私以外ありえない。
つまり、そうつまりだ。
やはりフリードリヒは知っていたのだ。
私が父に虐待されていたことを。
そして今日、私を専属メイドにするという名目で自分の庇護下に置き、父との距離を作った……。
そうとしか考えられなかった。
結局のところ、人伝に聞いた噂なんてアテにならない。
だって、フリードリヒ・リグル・アスモダイという人間はこんなにも素晴らしいのだから。
なぜ彼が私の境遇を知っていたのかはわからない。
しかし、彼がなぜ私を救ってくれたのかはわかる。
フリードリヒは善の人間だからだ。
虐げられる者をそのままにできない、まさに人の上に立つべき人だ。
……私は、人を尊敬するということをしたことがない。
父親は私に痛みしか教えてくれなかったし、姉たちは家を出た瞬間連絡の一つも寄越さないようになった。
主君を文字通りに命をかけて守る騎士の物語を読んだことがあるが、何一つ共感できなかった。
しかし、私はその騎士の気持ちがたった今わかったと言えよう。
彼は、私を救ってくれた。
これからも父の暴力とともに生きていくのだろうと、人生を絶望していた私に光をくれた。
ならば、私は彼に仕えよう。
私に生きる希望を取り戻してくれたフリードリヒ様を、命をかけて守ろう。
それが、私のできること。
「このヘカーテ・フォン・ヘルライア。貴方に誠心誠意仕えさせていただきます」
これこそが、私が初めて得た生きる目的だった。
この数時間後。
フリードリヒ様には恐るべき才能もあることを知ったのだが、それはまたの機会に。
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