お散歩

第4話 巨大な犬

梅子お婆さんとサリーに初めて会った翌日の午後四時。

健司はテレワークを終わって、立花家まで歩いて来ていた。


門の呼び鈴を押そうとすると、庭にいたサリーが気が付いて走って来る。

<<健司。来てくれたのね>>


「ああサリー。こんにちわ。今日は散歩に行こうな」

まるで恋人同士の再会のように、二人ともニコニコしていた。


お婆さんに知らせるため、一応、呼び鈴を押す。

お婆さんは、玄関は開いているから入って来てくれとインターホンで応えた。


居間に行くと、梅子お婆さんが松葉杖を突きながら、ティーポットを持って、

健司に紅茶を入れてくれようとしていた。


「あ、お婆さん、そんなに気を使わないでください」

「いやいや、昨日も今日もすみませんねぇ。恵の家に電話をかけたら、

 産休に入る前だから、今日と明日はどうしても会社にいかないと

 行けないからって、言われてしまってねぇ。

 明日は笠原犬猫病院にサリーの狂犬病の注射の予約を入れてた

 のに、予約の変更をしないといけないわ」


「恵さん赤ちゃんできるんですか。おめでとうございます。

 明日も僕が犬猫病院に連れて行くのでもいいですよ。

 笠原犬猫病院なら、歩いていける範囲ですし」


「何から何まで、本当に申し訳ないねぇ」


健司は出してもらった紅茶を飲みながら、庭の方を見ると、サリーが

窓の外から中を覗いて、早く行きたいと言う感じで尻尾を振っていた。


お婆さんから買い物のメモと、サリーのリードを受け取る。


犬の散歩のときは、うんちを入れる袋か何かを持って行かないといけない

ものと思っていたが、お婆さんの話では、サリーは昔から庭に造ってある

サリー用のトイレで用を足すので、大丈夫ということだった


黒い門の所で、待っているサリーの首輪にリードを繋ぐ。

お隣の上田さんの家のウッドデッキにいるビーグルのジョンは、

昨日と同じように、エアコンの室外機に隠れて、こちらを見ている。


健司が手を振ったが、プイっと横を向かれてしまった。


「ジョンにはずいぶんと嫌われちゃったみたいだね」

<<あの子は臆病なんだよ。念話が聞こえる健司を警戒してるだけよ。

  さぁ行きましょう>>


サリーは健司を案内するように、門を出て左のほうに顔を向けた。

1番地の元地主さん達の住んでる区画に沿って歩き出す。


すぐに低い唸り声が聞こえてきた。


<<お前か、サリー姉とつるんでる、怪しい奴ってのは>>

野太い声の念話が頭に鳴り響いた。続いて、威嚇するような唸り声。


「うわぁ」

健司は、念話の声の方向を見て、腰を抜かすところだった。


—— え? これ犬? ——


そこには、まるで子牛ぐらいの巨大な犬が、大きな顔でこちらを

睨んでいた。巨大なブルドック風の平べったい顔だ。

後ろ足で立ち上がったら健司よりも絶対大きいだろう。

それに体重は80kg以上あるに違いない。


こんな大きな犬を見たこと無かった。


筋肉質の太めの体は短毛で、がっしりとしている。

体は茶色の毛だが、たれ目の周りから鼻と口の部分は黒っぽい。

耳も黒かった。


—— なんていう犬種なんだろう? ——


<<あれはボスだ>> サリーが巨大な犬の名前を教えてくれる。

「すごく大きいね。なんていう犬種なの?」


<<よく知らない。人間が付けた犬の分類なんて、私たちには

  興味ないのよ。大きいか小さいか、どんな匂いなのかが大事>>

「へー。確かに。犬種は人間が勝手に呼んでるだもんね」


—— なぜか、サリーは『犬種』を聞くとそっけない —— 


その巨大な犬は、金森という表札のかかれた大きな屋敷の庭にいる。


金森さんというのは、自治会で聞いた覚えが有る。

確か一番の大地主さんで、独り住まいのお爺さんのはずだ。


門に近い場所、庭の道路側に太い杭が打って有り、その杭に、この

巨大な犬が太い鎖で繋がれているようだ。横には大きな犬小屋が有る。


ボスは低い唸り声を上げながら、健司を睨み続けている。

<<俺達の言葉が分かるってぇのが怪しいじゃねぇか。変なヤロウだ。

  この辺をウロウロするな。サリー姉さんから離れろ>>


<<何てこと言うのボス。

  この人は怪我をした梅子婆さんを助けてくれた親切な人だよ。

  ケンジさんっていうんだ>>


「こんにちわ。ボス君。初めまして、健司って言います」

<<近づくな! この野郎!>> 

「ガゥ! ガゥ!」


<<ボス! 吠えるのはお止め。

  チビ助のころは、もっと可愛い子だったのにねぇ。

  いつから、そんな聞き分け無くなったの>>


<<サリー姉。なんで、そんな変な奴といるんだよ。

  俺はそいつが気に入らねぇ。俺達の言葉が聞こえるなんて、

  怪しすぎるじゃないか>>


<<ケンジ。ボスはほっといて行こう>>

サリーは、金森家の前をさっさと通り過ぎようとした。

後のほうでは、ボスがまだ騒いでいる。


<<怪しい奴。最近、なんか臭せぇ匂いがするのも、

  お前のせいじゃないのか? 怪しい奴。怪しい奴>>


この巨大な犬と仲良くなるのは諦めないと駄目そうだ。


数十メートル離れると、念話が届かなくなって、ボスの吠える声だけが

聞こえていた。


「サリー。念話は遠くまでは届かないの?」

<<そう。遠くの犬に何かを知らせるには、吠えるほうが聞こえる>>


—— ふーん。念話は近距離しか届かないのか ——


  ***


「そう言えば、ボスは、僕が念話が聞こえるって誰に聞いたんだろう?」

<<ジョンが、誰かに話したんだろうね。おそらく、もうこの住宅の

  犬達のほとんどが、その話で持ち切りのはずよ>>


「え? そんなに?」

<<ほら、向こうからムギとネギが来る>>


道路の向こう側から、女の人が二頭のダックスフントを連れて

来るのが見えた。

若そうな二頭のダックスフントは、遠くからサリーと健司に気が付いて

できるだけ、道路の反対側に逃げようとしていた。


<<怖い人だ>><<怖い人だ>>

ダックスフント二頭の念話は重なって、どちらの声か聴き分けられない。


赤茶色の毛で、少しふさふさした耳の二頭は、明らかに健司に怯えてる。


健司は、すれ違う女の飼い主とは面識が無かったが会釈だけした。


<<ムギ、ネギ、こんにちわ。

  この人はケンジさんっていう親切な人よ。怖くない。

  優しい人だから安心して>>とサリー。


サリーは、ダックスフント二頭に顔を寄せて挨拶しようとしている。


<<サリーちゃん>><<サリーちゃん>>

ムギとネギは、サリーに慣れているようだった。


「あら? そのワンちゃん。立花さんの所のサリーちゃんよね」

ムギとネギの飼い主の女の人は、サリーの首輪の赤いリボンを指さし

ながら健司に話しかけてきた。


この赤いリボンが、サリーのトレードマークなのだろう。


「あ、そうです。初めまして。僕は槇村健司と言います。

 4番地に住んでます。立花さんのお婆さんが、昨日、足骨折しちゃった

 ので、僕が代わりにサリーの散歩をさせてもらってるんです」


「え? 梅子お婆さんが足を骨折? まぁ大変。

 あ、私はそこの家の村上です。お婆さんによろしくお伝えください」

「あ、はい」


村上さんが指さしたのは、1番地と道路を挟んで反対側の2番地の区画の

家だ。立花家と比較的近いから、知り合いなのだろう。


<<怖くないの?>><<怖くないの?>>

ムギとネギは、サリーの言葉に少し安心して、健司のほうを見ている。


健司はしゃがんで、頭を下げて、二頭に挨拶した。

「こんにちわ。健司です。よろしくね」


手の甲を下から差し出して匂いを嗅いでもらおうとしたが、

二頭はさっと、村上さんの後ろに回り込んで逃げてしまった。


「あ、嫌われちゃった」

「おかしいわねぇ。この子達、あんまり人見知りしないのに」


ムギとネギが、念話が聞こえるという男を怖がっているということは

知らないので、当然だが、村上さんは首をひねっていた。


 ***


路地を曲がって少し歩くと、3番地にある桜見台第一公園が見えて来る。

その向こう側には、4番地にある健司の家も見えた。


健司はテレワークの時に、部屋から公園が見えるが、

こちら北側から公園を見わたすのは久しぶりだ。


特に桜が満開のときに第一公園に歩いて入るのは、引っ越してきてから

2回目かもしれない。


満開の桜の木を見上げながら、サリーも嬉しそうに、大きなおしりを

フリフリしながら、足取りが軽い。

桜はもうかなり散り始めていて、道路にピンクの斑点をつけている。


サリーは舞い降りて来る花びらを、キョロキョロして目で追いかけてる。

桜がかなり好きなようだ。


第一公園に入ると、サリーはいろいろ匂いを嗅ぎまわって忙しそうにしている。

健司はサリーの気のすむまで匂いを嗅がせようとして、近くのベンチに座った。


スマホで、さっきの巨大な犬を検索する。

超大型犬というフレーズで画像検索すると、すぐに見つかった。

『イングリッシュ・マスティフ』という超大型犬らしい。


以前、世界一大きな犬としてギネスブックにも載ったことがあるような

犬種だと書いてあった。家に帰ったらもっと詳しく調べてみよう。

—— そりゃぁ、大きいはずだ ——




次のエピソード>「第5話 ワンコ情報の成果」へ続く

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