第20話 サムの大追跡
東浜スーパーの駐車場に入り、サリーを後部ドアから出してあげる。
スーパーの入り口横の壁には、松本さんの家のトイプードルのプリンちゃん
と、吉田さんの家のバーニーズ・マウンテンドッグのゴン君が繋がれて
いた。
<<あ、ケンちゃん。ケンちゃん。サリーちゃん。サリーちゃん。>>
「プリンちゃんこんにちわ」
<<よぅ。サリー。今日は珍しく車で買い物か?>>とゴン。
<<梅子お婆さんのお見舞いに行った帰りなのよ>>
ゴンの足元には水の入ったお皿がある。半分ぐらい飲んだようだ。
「ゴン君。こんにちわ。お水出してもらったんだね」
<<おうケンジ。お爺さんが、サっちゃんにお皿を借りて、
水をだしてくれたんだ>>
4月だが、気温が高かったので、吉田さんのお爺さんが、散歩の途中で
ゴンに水を飲ませたかったのだろう。
健司はいつものように、サリーを入り口の左側の長椅子の横につなぐ。
「インスタントコーヒーだけ買ってくるから、ちょっとだけ待っててね」
***
健司はサービスコーナーに立ち寄って、幸子にお婆さんは元気だったよと、
少しだけ話をして、インスタントコーヒーを取りに売り場に向かう。
いつも買う銘柄のインスタントコーヒーの瓶と、コーヒークリームの
ポーションを買い物かごに入れて、レジを待つ列の後ろに並んだ。
何やら、外が騒がしかった。
—— え? サリーの吠える声? ——
店の入り口のほうを見ると、サリーがガラスの向こうで立ち上がって
こちらを向いて激しく吠えている。
—— サリー! 何か有ったのか? ——
レジ打ちをしていた浦木さんに向かって、かごを差し出して渡す。
「すみません犬が騒いでるので、これ、あとでお支払いします。」
健司は入り口に急いだ。
「ウォン!ウォン!」
<<ケンジ! 早く!早く!>>
「サリー! 何があった?」
<<犬泥棒、犬泥棒、プリンが!>>
「え!?」
健司が慌てて振り向くと、入り口の横のプリンの姿がない。
トイプードルのプリンを繋いでいたピンク色のリードが、何かで
スパっと切られて壁際の手摺から垂れ下がっていた。
—— まずい! 犬泥棒にプリンがさらわれた! ——
<<ケンジ、あの車、あの車!>>
振り向くと、東浜スーパー桜見台店の駐車場から、灰色のワゴン車が
猛スピードで走り出すのが見えた。
「バウバウ!」ゴンも吠えている。
<<あいつ逃げるぞ!>>
ちょうど入り口から入ってきた、森田さんの奥さんと柴犬のサムが、
ワゴン車の進行方向にいたので、慌てて横によけていた。
健司はスーパーの入り口に走り、松本さんの奥さんの姿を探す。
レジの所でお金を払っているのが見えた。
入り口から大声で叫ぶ。
「松本さんプリンちゃんが犬泥棒にさらわれた!」
健司があまりにも大きな声で叫んだので、店中の買い物客や店員たちが
一斉にスーパーの入り口を見た。
サービスカウンターの幸子も驚いてこっちを見ている。
「サっちゃん。警察に電話して僕は車で追いかける!」
***
店の外では、サリーが吠えながら念話でサムにも状況を伝えていた。
「ウォン!ウォン!」
<<犬泥棒よ、プリンがさらわれた! あの車に乗ってる!>>
<<何だって!>>
柴犬のサムが猛スピードで、駐車場から出て行こうとする灰色のワゴン車を
振り返って見た。
「サム! 早くこっちに来て!」
犬の念話の聞こえない森田さんの奥さんは、いそいで買い物をしたいらしく、
立ち止まっていたサムのリードを、グイっと引っ張る。
奥さんは、そのままサムを引きずるように店の入り口まで来ると、
リードを店の壁際の手摺につなごうとした。
その時、近くにいたバーニーズ・マウンテンドッグのゴンが、
わざと、水の入った皿の端っこを強く踏みつけたので、
お皿に残っていた水が、飛び散って森田さんの足にかかった。
「キャー」
驚いた奥さんは思わずリードを手から離して飛びのいた。
「バゥ!」<<サム今だ! 行け! あの車を追え!>>
ゴンが叫ぶ。
サムはゴンの意図を理解してダッシュで走りだす。
水をかけられて驚いた森田さんの奥さんが、リードをつかみ直す前に
サムに引かれたリードは勢いよく、森田さんの横をすり抜けて行った。
「サム! 待ちなさい! サム!」
***
店の外に戻った健司は、サムが車を追って走って出て行くのを
横目で見ながら、急いでサリーのリードを手摺から解く。
「サリー。僕たちは車で追いかけるよ」
<<わかった>>
駐車場のホンダ シャトルに走る。
健司が運転席を開けると、サリーが先にジャンプし運転席を超えて
助手席に入った。
急いでエンジンをかけ、駐車場を出て、風見が丘に向かう坂を下る。
サムの後ろ姿はかなり遠くに有った。
道が緩くカーブしているので、灰色のワゴン車はもう見えない。
サムもそのカーブの先に見えなくなっていく。
「サムの奴、走るの早いな」
<<あの子、まだ3歳で若いのよ>>
健司の車も緩いカーブを曲がって十字路に着くと、赤信号で止まった。
「しまった。赤信号だ。この十字路どっちに行ったのかな」
左折すると風見が丘駅の方向、右折すると整形外科の方向、
直進は風見が丘住宅の方へ行く上り坂だ。
<<ケンジ。こっちの窓を開けて。サムの匂いがあるはず>>
健司は助手席側の窓を開ける
サリーは窓から首を出し、周囲の匂いを嗅ぐ。
目をつぶって、正面からのそよ風に鼻をクンクンする。
<<たぶん真っすぐ>>
信号はまだ青にならない。
—— 信号、早く変われ! 見失っちゃうぞ ——
「さっき、サリーは犯人を見たんだよね」
<<見た。作業服のような白いツナギを着た人。
入り口横にいたプリンに『可愛いね』って声をかけてたと思ったら、
ポケットからナイフをさっと出して、リードを切ったの。
あっという間だった>>
信号が青に変わり、健司はアクセルを強く踏んで急発進した。
直進すると風見が丘住宅に向かう緩い上り坂になる。
ゆるいカーブを曲がると、遠くに疾走するサムの姿が見えた。
「いた! サムだ!」
そのサムのずっと向こう側、坂を登り切った頂上の、赤信号で止まって
いるグレーのワゴン車が見えた。
「坂の上、犯人の車だ!」
***
サムは緩くて長い上り坂で、灰色のワゴン車のスピードに追い付かず、
引き離されていたが、犯人の車が信号で止まったのを見た。
走る速度を上げた。
<<プリン待ってろよ>>
サムは歩道を疾走していたが、正面から二人のカップルが近づく。
男性のほうが、リードを引きづったまま走って来る柴犬に気が付いた
ようで、捕まえようとして両手を広げている。
<<捕まるかよ!>>
サムはクイックに横跳びして車道に出て、男性の脇をすり抜けた。
しかし男性は落ち着いて、サムが引きづっているリードを足で踏んだ
「ギャウン!」
サムは急にリードに引かれて、急停止させられてしまう。
<<離せこのヤロウ!>>「グァルルル」
サムが牙をむいて男性の足に噛みつこうとする。
「うわぁ!」
男性が思わず飛びのいたスキに、サムは男性の踏んでいたリードを
くわえて再び走り出した。
***
健司は猛スピードで坂を上りながら、サムが男性に捕まりそうになったが、
うまく逃げて、再び走り出したのを見ていた。
「サムの奴、やるぅ!」
犯人の車は信号を通過して、向こう側の下りに入ったのか、もう見えなく
なっている。その信号を、サムが直進して行くが見えた。
その時、車のスピーカーから電話の呼び出し音が聞こえる。
電話を受信したスマホが車とブルートゥースで繋がっているのだ。
表示された番号は、幸子の携帯番号だった。
健司はハンズフリーモードで電話をつなぐ。
「ケンちゃん。今どこ?」
「風見が丘住宅のほうに真っすぐ上ってるとこ。
さっき、プリンちゃんをさらった灰色のワゴン車が少し見えた」
「森田さんのワンちゃんも逃げちゃったって言ってるけど、健司は見た?」
車は頂上の十字路の信号を通過して、風見が丘を下る坂に入る。
坂を下った遠くのほうで、サムが左折するのが見えた。
「サムだ! 潮風平の交差点を左折したのが見えた!
サっちゃん、警察に連絡は?」
「連絡したけど、まだ来ないの。犯人が乗ったのが灰色のワゴン車って
いうのは確実なの?」
「間違いない。猛スピードで駐車場から出て行くのを僕も見たよ。
たぶん森田さんの奥さんも見てるはず。
森田さんの奥さんとサム君が、轢かれそうになって避けてた。
お巡りさん来たら、潮風平のほうに逃げてるって、伝えてくれる?」
「わかった。松本さんが泣いてるから、一度電話切るね」
次のエピソード> 「第21話 犬泥棒のアジト」へ続く
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