第7話 寄り道

病院から出ると、来る時とは違って、サリーは上機嫌だった。

フサフサのお尻と尻尾を振りながら、坂道を元気よく登る。


少し行った所で、健司に話しかけてきた。

<<ケンジ。ちょっと、お願いが有るんだけど>>


「サリー。なんだい?」

<<11番地の前を通って帰りたい。会いたい友達がいるんだ>>


「いいよ。それなら、すぐそこの階段を上がるのが近道だけど、

 サリーは、階段大丈夫なの?」


<<大丈夫。大丈夫>>

サリーは、もう嬉しそうに、階段の有るほうに向かっている。


「ふーん。11番地にお友達がいるんだぁ」


<<そうタロウと言う犬だ。

  昔は第一公園で良く遊んでもらった。私よりも4歳上のお兄さん。

  だから、もうかなりの老犬よ。年を取ってから、第一公園までは

  来れなくなって、東浜スーパーで、時々会うだけだったんだけど、

  最近はスーパーにも来てない>>


サリーの話では、サリーが小さい頃は、タロウと一緒に長い時間

遊んでいたとのことだ。


—— 確かに。散歩コースは、だいたい飼い主が決めるから、

   ワンコ達は会いたい友達がいても、会えないか ——


サリーが、言葉が通じる健司に、寄り道のお願いをした理由もわかる。

それで、病院から出たときずいぶん機嫌が良かったのだろう。


階段を登り切って、11番地と12番地の間の道を進む。

11番地の北村さんという家の前で、サリーは足を止めた。


ただ、庭の見える範囲には、犬はいない。


「ウォン」とサリーは小さく吠えた。

<<タロウ!>>


誰も応えなかった。


「ウォン」とサリーはもう一度、小さく吠えた。

<<タロウ!>>


北村家の家のリビングらしい部屋のカーテンが少し動く。

サリーは、少し背を伸ばすように庭越しに窓を見ている。


窓の向こうのカーテンをかき分けて、犬の顔が覗いた。

その顔は、健司も知っている犬種、ラブラドールレトリバーだ。


その犬…タロウは、何とか立ち上がったが、どうもヨロヨロしている。

サリーの4歳上というから、もう13歳でかなりの老犬なのだろう。


ヨロヨロと立ち上がって首を伸ばすと、向こうからもサリーがいる

のが見えたようだ。


<<サリーか? 久しぶりだな。元気なのか?>>

窓のガラス越しだが、タロウの念話が聞こえた。


<<タロウ。久しぶり。私は元気。タロウに会えて良かった>>

サリーは尻尾を大きく振っている。よほど嬉しいのだろう。


<<そっちの男は誰た? メグミちゃんはどうした>>


<<4番地のケンジさんだ。梅子お婆さんが骨折したから、

  私を病院に連れて行ってくれたんだ。優しい人だよ。

  私たちの言葉が聞こえる人なんだ>>


「タロウ君。こんにちわ」

健司は小さい声で、挨拶をした。


小さい声にしたのは、面識のない北村さんの家に向かって大きな声を

出すのは、怪しまれると思ったからだ。


<<俺達の念話が聞こえるのか? そりゃぁ凄い>>


その後も、サリーは恵さんが結婚して、もうすぐ赤ちゃんが生まれることや、

昨日は、皆の情報を集めて、徹君の財布の行先を突き止めたことなどを

タロウとしばらく話をしていた。


 ***


帰り道。サリーはタロウと話が出来て、ずいぶん満足そうだった。


<<タロウには、ずいぶん可愛がってもらってたのよ>>

「そうなんだ。恋人だったの?」


<<違う。私は恋人にはなれない……

  タロウは『男』だったけど、私は『女』じゃなかったから>>


健司はサリーの言う事が良く分からなかった。

「え? どういうこと?」


<<私は手術されて子供を産むことができなかった>>

サリーはちょっと沈んだ声だった。


—— しまった。悪いことを聞いた ——


サリーの言う「私は『女』じゃなかった」は、避妊手術を受けた

ということを指していたようだ。


タロウは去勢していない『男』で、避妊手術をしたメス犬は、

恋の相手としては見られないから、どんなに仲良くしていても

『私は恋人にはなれない』という、サリーの言葉だったのだろう。


確かに飼い犬に避妊手術や去勢をするというのは、

子犬を産ませるつもりは無いという、飼い主側の都合によるものだ。

犬が自分から、すすんで手術を受けたいわけじゃない。


さっき、笠原動物病院の待合室の壁に貼ってあったチラシによると、

子犬を産ませる予定がないならば、避妊手術をしたほうが、

ワンちゃんの病気のリスクが減るようなことが書いてあった。


もちろん、そうなのだろう。


飼い主も、家族のように可愛がっている飼い犬の健康を願って

いるからこそ避妊手術をしているのだ。

ただ、飼い犬の希望を聞いて決めることが、できないだけだ。


「サリー。ごめんな。変なこと聞いちゃって」


<<ケンジ。気にしなくていいわ。

  確かに、タロウと結婚出来たら嬉しかったのかもしれない。

  でも、立花家で子犬が産まれてたら大変だった。

  梅子お婆さんと、メグミと、私だけじゃ育てきれない。

  恵やお母さんが、私に手術させたのは正解だった>>


サリーは少し間を開けて続けた。


<<それにタロウはいつも『女』じゃない私にも、

  とても優しくしてくれた。私はそれで十分だった>>


「いいお友達だったんだね」


<<そう。私がチビのときからずっと、信頼できるお兄さんだった。

  家が離れてるから、今は、なかなか会えなくて残念だけど>>


「じゃぁ。僕と散歩するときは、また一緒に11番地に行こう」


<<ホント? いいの?>>

「ああ。恵さんが来れない時は、僕が一緒に散歩するよ」


サリーは再び元気を取り戻して、モフモフのお尻を振りながら

歩き出した。




次のエピソード>「わんこメモ 3」へ続く

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