第5話 ワンコ情報の成果
健司とサリーは第一公園を4番地側の出口から出ると、真っ直ぐ南へ
向かって7番地と8番地の間の道を左に曲がって東に向かう。
第二公園前を通り過ぎて真っ直ぐ行けば
スーパーに向かう道中、サリーはずっと匂いを嗅ぐのに忙しそうだ。
「匂いで何が分かるの?」
<<いつ、ここを誰が通ったのか、どの犬が通ったのかなどよ>>
「匂いだけでそんなに全部嗅ぎ分けられるの?」
<<そうよ。時間が経つと匂いが薄れちゃうけど。
新しいものは、みんな分かる。
ここを通ったのは住宅地の子供達が数人と、犬では
第二公園で遊んでたマル、マロンが通ったばかりだ>>
「そんなに、匂いで人も犬も見分けられるのか」
<<そうよ。みんな、違う匂いだもん。
ケンジは、いつも汗とコーヒーの匂いがする>>
「えっ? 僕、コーヒーの匂いしてる?」
健司はコーヒー中毒のように、コーヒーをよく飲む。
<<そう。サっちゃんはスプレーの匂い>>
「スプレー? ああ。スーパーに出勤する時に日焼け止めスプレーを
塗ってるから、その匂いだね」
<<なんのスプレーかは知らない。お花のいい香りのついたスプレーよ>>
そんな話をするうちに、住宅地の東端まで来て、道路を渡る。
そこが、東浜スーパー桜見台店だ。
お店のガラスの壁には、手摺がついているが、以前からその手摺は
ワンコたちのリードを結ぶために、皆が使っている。
すでに二頭の犬がそこにつながれていた。
柴犬とマルチーズだった。
<<ようサリー。そいつか? 俺達の言葉が聞こえるっている
怪しい奴は?>> 柴犬の念話のようだ。
明るい茶色の柴犬が少し警戒してこちらを見ている。
マルチーズも少し怖がって、リードが伸びる限り離れるように逃げた。
サリーは柴犬やマルチーズと、匂いを嗅ぎ合いながら挨拶している。
<<みんな、こんにちわ。ケンジは怖くないよ。優しい人だ>>
サリーは健司の方を向いて言った。
<<あっちのオス犬が3歳のサム。こっちの小さいのが5歳のマル>>
柴犬がサムで、マルチーズがマルらしい。
「サムちゃん。マルちゃんよろしくね」
二頭はまだ警戒しているのか、こちらに話しかけなかった。
スーパーの入り口に向かって右側につながれていたが、
左側には、飲み物とアイスの自動販売機があり、その横に長椅子が有る。
「僕はちょっと休憩してから、買い物するね」
健司は長椅子に座って、アイスキャンデーを食べたかったので、長椅子の
背もたれにサリーのリードを結んで、サリーを長椅子の横に座らせた。
サリーはアイスの自動販売機で、健司が何を買うのか興味津々のようだ。
—— ええっと。いつものミルクキャンデーだな ——
横でサリーがよだれを垂らしてこちらを見ている。
「ん? サリーもアイス食べたい? ちょっと待てよ。わんちゃんに
アイスキャンデー食べさせても大丈夫なのかなぁ」
健司は犬を飼ったことが無いので、良く分からない。
スマホで少し調べる。
「あ、残念。サリー。わんちゃんには糖分が多すぎるから、
人間用のアイスは絶対にあげるなって書いてあるよ」
サリーの耳が、シュンとして、とても残念そうな顔に変わった。
—— サリーの前で、アイス食べるのはかわいそうか ——
じゃぁこれだな。
健司はミネラルウォーターのペットボトルを買って、長椅子に腰を下ろし
手のひらに少し水を出して、サリーに匂いを嗅がせてみた。
「サリー。これ好きな匂いかな?」
サリーは、健司の手の水を嗅いでから、ペロペロ舐めて飲んだ。
<<美味しい>>
健司は手のひらに水を足して、サリーに少し飲ませてあげる。
—— 何か容器が有れば、飲ませやすいのにな ——
***
道路の方から、健司や犬達がいるスーパーの入り口に、小学生1年
ぐらいの男の子が、泣きべそをかきながら、とぼとぼ歩いて来る。
<<トオル君。泣いてる>>
マルチーズのマルが心配そうに小学生を見た。
トオル君は、健司達の前を通り過ぎて店に入っていく。
健司が振り返ってガラス越しに中を覗くと、サービスカウンターの所で
幸子と何かを話ししている。幸子が困ったような顔をしていた。
「ちょっと何が有ったのか聞いてくるね」
健司はサリーを残して店に入った。
「あ、ケンちゃん来てたの?」幸子はすぐに気が付いた。
「サっちゃん。その子どうしたの? 泣きながら店に入って行ったけど」
「この子、徹君っていう子なんだけど、財布を落としちゃったのよ。
少し前に第二公園から、ここに来て、レジでお菓子を買おうとした所で、
財布が無いのに気が付いたんだって。
もう一度、第二公園に探しに行くっていうから、これ預かってたんだけど」
幸子はサービスカウンターの中にある、2つだけお菓子が入った
カゴを指さした。
「このお菓子ぐらいだったら、私が買ってあげてもいいかなって、
思ったんだけど……、その落とした財布は、
お母さんの手作りのサイフで、大事にしてたんだって」
「ピンクの豚さんの顔のお財布」
徹君が涙声で説明した。
健司は腰をかがめて徹君に話しかけた。
「第二公園にいた時は、お財布は有ったの?」
徹君はうなずきながら言った。
「ブランコの所でヨっちゃんに見せたの。
でも、今見に行ったら、そこには落ちて無かった」
幸子がお店のドリンクコーナーで売ってる甘いミルクティーを
買って来て、徹君に飲むように渡して慰めている。
—— そうだ。確か、マルは第二公園から来たはずだ ——
健司は店の外の長椅子に戻って、ワンコたちに事情を説明した。
<<ヨっちゃんとトオル君は、ブランコに乗ってたよ>>
とマル。
「マルちゃん。徹君の他には第二公園に誰かいた?」
<<二人が公園を出てってからは、チコちゃんとマロンが来てた>>
「じゃぁ。チコちゃんが拾ったのかな?」
サリーが横から言う。
<<さっき通って来た道の途中の角で、チコちゃんとマロンの匂いは、
チコちゃんの家のほうに向かってた>>
さらに、話を聞いていた柴犬のサムが、立ち上がって言う。
<<そう言えば、俺がここに来るとき、チコちゃんの家の前で、
チコちゃんとマロンが何か揉めてたな。マロンがくわえている
ピンクの何かを、チコちゃんが取り上げようとしていたよ>>
「それだ! ピンクの豚のお財布。サムいいぞ。きっと、マロンが公園で
見つけて、くわえて家まで持っていったんだな。
それにチコちゃんが気が付いて、取り上げようとしていたんだ」
—— ということは、今は、チコちゃんが財布を持っている ——
そこに、女の人が、細身の体の、ものすごく大きな犬をつれて来た。
健司の知らない犬種だ。
貴賓の有る細い顔、細い体、すごく背が高い。
女の人と目が有ったので、挨拶する。
「こんにちわ。大きなワンちゃんですね。なんていう犬種なんですか?」
「あ、こんにちわ。ボルゾイっていう犬です」
女の人はサリーから少し離れた手摺に手際よくリードをくくりつけ、
急ぎ足で店に入って行った。
サリーが立ち上がって挨拶をしている。
<<久しぶり。クララさん>>
<<あら、本当に、1年振りかしら…えーっとサリーさんよね>>
大型犬二頭が、おしりの匂いを嗅ぎ合って挨拶をしている。
マルチーズのマルが、キャンキャン吠えながら、
少し遠くからクララに話しかけた。
<<クララ。クララ。チコちゃん見なかった?>>
<<チコちゃん? あの元気な女の子?
さっき、自転車で猛スピード出して、坂を下って行ったわ>>
クララの話で、健司はピンときた。
坂を下っていくと、そこには風見が丘の交番が有る。
もしかしたら、チコちゃんは、マロンから取り上げた財布を
交番に持って行ったのかもしれない。
スマホで、風見が丘の交番の電話番号を調べて、電話をしてみる。
当たりだった。
ピンクの豚の顔のお財布が届いていないかを聞くと、
お巡りさんは、ついさっき女の子が届けに来たばかりだと言ってくれた。
「みんな。凄いぞ。お手柄だ
徹君のお財布は、チコちゃんが交番に届けたらしい」
<<良かった>><<ナイス>> 犬達もみんな喜んでいる。
健司は急いで店に入り、幸子と徹君にお財布が風見が丘の交番に
届いていることを伝えた。
***
健司は思った。これが『ワンネットの威力』か。
ワンコ達の情報は、それぞれの犬の、お散歩コースの情報だけど、
それらを、多く集めることができれば、住宅地内のいろんなことが
見えて来る。
ここで、数分話をしていただけで、徹君が第二公園で落とした財布が
風見が丘の交番に届けられたことを、推測できたのだ。
***
その後、健司は梅子お婆さんに頼まれた食品などの買い物を済ませる。
お婆さんからは、サリーにも何かおやつを買って、少しなら
食べさせてあげても良いと言われていた。
一度、店の外に行って、待っているサリーに聞いた。
「サリー。ペット用品コーナーで、何かおやつ買うけど、
食べたいものは有る?」
サリーは、おやつをもらえると聞いて、立ち上がって
嬉しそうな顔をした。
<<一度、『ちゅーる』というやつを食べてみたかったの。
お婆さんは、昔から有るようなものしか買わない人だから。
『ちゅーる』は買ってもらったことがない
他の犬が、みんな美味しいっていってるから、
食べてみたかったんだ>>
「わかった。『ちゅーる』ってやつだね」
ペット用品コーナーに行くと、驚くほどたくさんの種類の
犬用と猫用の『ちゅーる』が置いてある。
—— TVで猫用のもののコマーシャルは良く見ていたけれど、
犬用のもこんなに種類が有るのか ——
いろんな味が有るみたいなので、どれがいいかよく分からないが、
『とりささみ』味の小さな袋(4本入り)を買ってみた。
店の外の、他のワンコ達にも、ご褒美をあげたい所だが、
飼い主に断らずにおやつをあげることはできないので、
他の買い物といっしょに袋に入れてしまった。
—— サリーへのご褒美は、立花家に帰ってからだな ——
帰り道、サリーは『ちゅーる』を楽しみにして、
ずいぶんと上機嫌に歩いていた。
***
お婆さんに、買い物した物と、預かったお金のお釣りを渡したあと、
立花家の庭で、『ちゅーる』の袋を破ってスティック状の包みを
取り出す。
横では、サリーが食い入るように見ている。
口を開け、舌を出して、目を見開いて興味津々だ。
「サリー。よだれがいっぱい垂れてるよ」
スティックを破って、サリーの口元に持って行く。
サリーは、ペロペロっと舐めると、
とても表現できないような、喜びにあふれた笑顔になり、
目を真ん丸にして感激している。
「でも、これって、小っちゃいワンちゃんならいいけど、
サリーには、全然お腹の足しにはならない量だね」
<<いや、これ、ものすごく美味しい>>
ペロペロを止めていないのに、念話は聞こえる。
サリーがとても喜んでいたので、健司も嬉しかった。
次のエピソード>「わんこメモ その2」へ続く
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