第29話 マイクロチップ

健司は土田記者に目配せをしてから、鮫島に向かって言った。


「えーっと、ホワイトの毛の子と、シルバーの毛の子とまだ迷ってるん

 ですが、そっちの子も見せてもらっていいですか?」

健司はポポちゃんの入っているほうのキャリアも指さした。


「ええ、どうぞ、どうぞ」

鮫島が軽自動車のトランクの中のキャリアを開けようと、かがんだ。


その時、土田記者はサッとマイクロチップの読み取り機をポケットから

出して、抱いているマリリンの首の後ろに沿って動かした。


健司も素早くポケットからスマホを出して、カメラモードにする。

土田記者の手に有る読み取り機の文字と、マリリンが同時に移るように

シャッターを切った。


—— これでOK ——


鮫島は、また噛まれるのが嫌だったからか、慎重にポポちゃんを抱き

上げて、抱っこして健司たちのほうを振り返った。


健司がスマホを持って構えているのをちらっと見たが、土田記者は

その前に素早く読み取り機をポケットに滑り込ませていた。


健司はスマホで写真を撮っているのを、鮫島に見られたのが分かったので、

そのままマリリンの顔の写真を何枚か撮り、土田記者に見せる。

「ほらほら。こんなに可愛い顔してるよ。結構美形だよねぇ」


「まぁ、ほんとに美人さんねぇ。でも、私はシルバーの子もいいなって

 思うんだけど、あっちの子はどんなお顔なのかな」


そう言いながら、土田記者は健司にマリリンを返して、鮫島に向かって

言った。

「そちらのシルバーのワンちゃんも、抱かせてもらっていいですか?」


鮫島がポポちゃんを土田記者に渡す。ポポは助け出してもらうことが

分かっているので、小さな尻尾をブンブン振って、嬉しそうにしていた。

<<わたしポポちゃんよ>>


サリーがポポに教える。

<<ポポ。その女の人は念話が聞こえないのよ。

  聞こえるのは隣にいるケンジという男の人よ>>


健司はマリリンを抱っこしたまま、土田記者の抱くポポの頭を撫でた。

「はい。こんにちわ。よろしくね」


健司は土田記者が、マイクロチップの読み取り機を出せるように、

土田記者と鮫島の間に入るように動いて、鮫島から土田記者が見えない

様にブロックした。


鮫島に向かっていう。

「こっちの白い子はまだだいぶ若そうだけど、もう交配させるんですか?」


「ええ、その子はタイニープードルに近い子だから、体は小っちゃいけど

 もうすぐ2歳なんです」鮫島が白々しい嘘をついている。


—— マリリンはまだ1歳と1ケ月だよ —— 


「あなた。こっちの子の顔の写真も撮ってね」

土田記者が、証拠写真を撮れと催促した。マイクロチップの情報はもう

読み取ったのだろう。


健司は鮫島と土田記者の間の位置をキープしたまま振り返り、

左手でマリリンを抱っこしたまま、スマホをポポちゃんの顔に向ける。


土田記者が、健司の体で鮫島から見えない場所に、マイクロチップの

読み取り機の表示が見えるようにサッと出した。


健司はスマホのシャッターを何枚か切る。

「はーい。こっち向いてねぇ。こっちの子も可愛いね」


写真を何枚かとったあと、写真データを開いて土田記者のほうに

見せながらスクロールした。


マリリンの番号も、ポポの番号も、ちゃんと写っているのを

二人で確認しながら演技をする。


「いやぁ。この顔ものすごく可愛い」

「こっちの子の、この顔もいいよ。僕はホワイトのほうが好みだなぁ」


「じゃぁ、もうこのホワイトの、ほうで決めちゃう?」

土田記者のこの言葉は、二人で決めていた合図だった。


健司は鮫島に向かって話しかけて注意を引き付ける。

「えーと、子犬が産まれた時に買うための予約とかは、できるんですよね」


土田記者は少し離れた所に停まっていた白いセダンに向かって手を振って

合図をした。


エンジンをかけっぱなしで停車していた白いセダンが動き出し、

鮫島の軽自動車の前方で、鮫島の車が動けない様に停車した。


鮫島は、前方の白いセダンの動きには、特に気が付いていないようで、

健司と商談を進めるために、車の荷台から書類のようなものを出して、

ニコニコと近づいて来ている。


「ええっと、ホワイトか、シルバーか決まりましたか? 

 どちらも健康ですから、いい子を産んでくれると思いますよ。

 たぶん人気の子犬になると思うので、予約表にサインをしてもらって、

 内金を三万円いただければ、生まれた子犬の中から、昭島さんが優先的に

 選べるようにしますよ」


土田記者は、白いセダンから運転手の男性と、女性が二人降りたのを

見届けてから言った。

「この二頭ともいただきます。元の飼い主にお返ししますわ」


「え? 何と言いました?」


鮫島が聞き返す前で、健司は近寄って来た今野さんの奥さんにマリリンを

そして土田記者は村瀬さんの奥さんにポポを手渡した。


「キャンキャン」「まぁマリリン!」

「クーンクーン」「ポポちゃーん大丈夫だった?」


「あっ! 俺の犬を、何するんだ!」

鮫島が芳野さんと土田記者のほうに歩み寄ろうとするのを、

白いセダンの運転手が制止しながら言った。


「さっき、警察に通報した。

 もう逃げられないぞ。この二頭は、逸見が丘で下村が盗んだ犬だ。

 それはお前も分かっているはずだ。観念しろ悪徳ブリーダー」


「何の根拠が有って、そんなことを!あれは俺が育てた犬だぞ!」


「嘘ついても無駄よ。さっきマイクロチップの番号を確認させて

 もらったのよ」

土田記者が、マイクロチップの読み取り機をポケットから出して

鮫島に見せた。


鮫島はこの昭島と名乗る二人が、犬を探している客の振りをして、

自分に近づいたのだと、初めて気が付いた。

逃げようとして、自分の車のほうを向いた。


車は、前に白いセダンが停まっていて動かせないのが明白だった。


「ちっ! くそう!」

鮫島は手に持っていた予約表を、運転手の男に投げつけて走り出した。


エクステリアコーナーのほうに走って行く。エクステリアコーナーの

横に有る細い道のほうの出入口から走って逃げるつもりらしい。


その鮫島が走って来るのを、サリーが待ち構えて激しく吠えている。


フェンスにつながれているリードを目いっぱい伸ばして、ぴんと張り

出入口の半分弱を通れないようにして、出入口の真ん中で牙をむいて

近づく鮫島に吠えながら睨んでいる。


そのサリーの怒った形相は、健司も始めて見る激しい顔だった。


鮫島はサリーが噛みつけない場所を通り抜けようとして、

サリーの届かない位置を走り抜けようとした。


その時、竹箒を沢山さしてあるラックの影から、男が飛び出してきて

鮫島を突き飛ばした。

鮫島はサリーのほうにひっくり返った。


走って追いかけてきた白いセダンの運転手と、健司が追いついて、

鮫島を取り押さえる。


地面に倒れたまま、男三人に抑え込まれている、鮫島の所に、

サリーが近づいて来て、前足を鮫島の顔の上に軽く置いてペンペンした。

「わっ、よせ」


「今野さんがここにいてくれてよかった」

白いセダンの運転をしていた毎朝新聞のカメラマンが言った。


今野さんの旦那さんは、逃走防止のために、竹箒のラックの所で

待ち構えていたのだ。


健司は、杉下というカメラマンに向かって言った。

「今野さんと、村瀬さんの旦那さんに出入口を固めてもらって

 正解でしたね」


大きな通りのほうの出入口で、待機していた村瀬さんの旦那さんは、

遠くから鮫島が確保されたのを見て、ポポちゃんを抱きかかえる奥さん

の所に行こうとして、こちらに歩いてきていた。


 ***


健司たちは、風見が丘の警察署の一室で事情聴取を受けていた。

もう顔見知りになった吉野さんという警官が笑いながら言う。


「またまた槇村さんのお手柄ですか」


「いえ、今回はパソコンで悪徳ブリーダーを見つけた所までは

 頑張りましたけど、あとはもう土田さんの指示に従って、

 偽の夫婦役を演じてただけですから」


カメラマンの大橋さんも笑いながら言った。

「槇村さんは本当に犬に好かれますよね。鮫島を確保したあと

 助けたマリリンちゃんや、ポポちゃんも、槇村さんのことを

 随分気に入って、甘えてましたもんね」


「サリーちゃんも鮫島の逃走防止に一役買ったものね。

 最後に、前足で鮫島の顔を軽くペンペンしたのを見た時は、

 大笑いしたわよ。まるで悪い子をしかるようだったわ」

と土田記者。


サリーは部屋の隅で、ニコニコして土田さんをみていた。


 ***


あとから、土田記者に聞いたのだが、その日のうちに、

警察の人が鮫島の家に入り、さらわれたクッキーちゃんと、

ベッラちゃんも保護して、飼い主に返したということだった。


また、鮫島が飼育していたトイプードルとポメラニアンの

親犬と、生まれて2ケ月ぐらいの子犬たちは、動物愛護団体の

人たちに保護をされたらしい。


 ***


翌日の毎朝新聞には、カメラマンの大橋さんが白いセダンの中

から撮影した写真が大きく載っていた。


健司と土田記者は後ろ姿だが、鮫島がポポちゃんを土田記者に

手渡そうとしている場面だった。


記事のタイトルは

『悪徳ブリーダー逮捕。盗まれたワンちゃん全頭無事保護!』

となっている。

おとり捜査のことは、かなり伏せた形の記事になっていた。


また健司がお願いしていたので、健司の名前などは掲載されて

いなかったが、健司はこの新聞も、『保管』するために

コンビニでも買い足しておいた。


サリーにも記事を読み聞かせてあげたが、サリーの感想は

<<犬達が助かったのは良かったけど、私が写真に写ってない>>

というがっかりした一言だった。







次のエピソード> 「第30話 恵さんの出産」へ続く


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