第12話 災害現場

健司は道路まで岩が転がって来ているのを見て、金森家の前は危ないと

判断して、ゆっくり安全そうな所まで車をバックさせて止めた。


幸子に電話をする。


「あ、サっちゃん?」

「ケンちゃんサリーは大丈夫なの?」


「サリーは大丈夫。

 実はがけ崩れで金森さんの家が潰れてるんだ」

「何ですって!」


「この大雨の音で、周りの家の人も気が付いて無いみたい。

 警察と消防署に連絡してくれる? たぶん金森さんのお爺さんが

 生き埋めになってる。僕は自治会長の林田さんに応援を頼む」


「わかった。警察と消防署ね。ケンちゃん危ないことしないでよ」


健司は幸子との電話を切ると、スマホの電話帳をスクロールして、

自治会長の林田さんに状況を伝えた。

林田さんは、今すぐにそこに行くと言ってくれた。


健司は車を降りて、後部の荷室に有るツールボックスに入れてあった

懐中電灯を持って、土砂降りの中を金森家に走った。


黒い大きな門は閉まっている。鍵がかかっているようだ。

さっき見た岩が柵を突き破ったところから庭に入る。ボスもおそらく

ここから出て来たのだろう。


家の有った場所まで走り寄るが、もうそこはただの土と木々の

塊のようになっている。


懐中電灯で照らすと、ボスとサリーは、崩れてきた土砂によじ登って、

かろうじて見えている屋根の端っこに向かっている。


サリーの足元が崩れて、サリーがバランスを崩し、ずり落ちそうに

なったが、シニア犬とは思えない機敏な動作で立て直した。


「サリー。むちゃするな。危ないぞ!

 ボス! 警察と消防署に連絡を頼んだ。自治会の林田さんにもだ。

 応援が来るから無茶をするな」


土砂降りの音で、健司の声が犬達に聞こえたかどうか分からなかった。

健司も土砂の山に足をかけて、登れそうなところを登り始める。


その時、「ワォーン」とサリーの遠吠えが聞こえた。

<<崩れる>>


つづいて地響き。


ハッと見上げると、また上の方から土砂が新たに覆いかぶさってくる。

健司は慌てて登るのを止めて、飛び降りて逃げた。


振り返ると、サリーも跳ねるように、崩れて来る土砂から逃げて

駆け下りてきた。


「ボスは?」


「ギャウ~ン」

太い悲鳴をあげながら、ボスが土砂と一緒に転がり落ちてくる。

太い鎖と、その鎖が付いた杭も一緒だ。


健司はボスの巨体が地面近くまで転がってくるのに駆け寄る。

「ボス! 大丈夫か!」


「ガゥ!カルルル」<<転がっただけだ>>

ボスは立ち上がると、体に巻き付いた鎖をほどこうとして、もがいた。

<<こいつが邪魔で、身動きが取り難い>>


山はまだゴロゴロと音を立てている。


近くにサッカーボール大の岩が勢いよく転がって来て、健司とボスの

横を転がって通り過ぎると、道路の方まで転がって柵に激突して止まった。


「ダメだ! ボス!危ないから少し離れよう!」

健司はボスの巨体の首輪をつかんで、ボスを山から引き離そうとするが

ボスは動こうとしなかった。


<<ボス!ケンジの言う通りだ。私たちだけでは無理だ。

  警察が来るまで待とう>> サリーもボスを説得しようとする。


<<くそう!、爺さんが死んじまう!>>

ボスが苛立たしそうに、太い足で何度も地面を蹴った。

その悔しい気持ちを表すように、泥水が跳ね上がった。


<<爺さんは、二階の隅の部屋で寝ている>>。

「え? お爺さんの寝室? どこなの?」


<<あの見えている屋根の少し下の部屋だ>>

健司が、ボスの言ったあたりを照らすが、屋根しか見えない。


再び土砂がゴロゴロと落ちて来るのだけが見えた。


「危ないからちょっと離れようよ」

健司とサリーの説得で、何とか、ボスも現場から離れた場所まで

後退した。


<<ケンジ。こいつ外してくれないか。動きがとりにくい>>

ボスは、太い鎖を苦々しくバンバン踏みつけている。


「よし、ちょっと見せて」

健司は懐中電灯で、ボスの首輪と鎖の連結部分を照らした。

太い金具でがっちりと付いていて、首輪も鎖も、ぱっと見で外す

のは無理そうに見えた。


「これ、がっちり止まってる。何か道具がないと取れないよ」


—— 力の強いイングリッシュ・マスティフを、すぐ取れるような、

   リードで繋ぐはずはないか —— 


鎖の先を見る。

鎖が繋がっている太い杭は、かなり地面深くまで打ち込んであった

らしく結構長かった。

地面に打ち込んであった側の先端は尖っていた。

「ボス。これ良く地面から引き抜いたね」


<<俺も逃げるのに必死だったんだ>>

「どういうこと?」


健司がボスの杭が打ちこんであった方を懐中電灯で照らす。

そこには、バラバラになった犬小屋と、大きな岩があった。

—— ボスの犬小屋も被害に遭ったのか ——


懐中電灯で周囲を照らしてみる。確かにあちこちに岩が転がって来ている。

お爺さんが作っている庭の畑の中にも大きな岩があった。


「ボス。お爺さんは畑を耕す道具なんかは、どこにしまってる?」

<<そこの納屋だ>>


ボスが首を向けた所には、大きな納屋が有り、納屋はがけ崩れに

巻き込まれてなかった。

「ちょっと、何か道具が有るか見て来る」


納屋の扉には鍵はかかっていなかった。中を懐中電灯で照らす。

スコップ、鍬、土を運ぶ一輪車など、広い納屋の中に結構な

道具類があった。


そうだこれだ。健司はのこぎりを見つけて手に取った。

ボスとサリーの所に戻る。

「ボス。鎖は取れないけど、この杭のほうは外してあげるね」


健司は太い鎖が、杭に取り付けてある金具の部分をのこぎりで切った。

金属の鎖や金具は切れないが、木製の杭ならのこぎりで切れる。


<<さすが健司。そこなら切れるわね>>サリーが横で感心していた。

「ああ、この杭が付いて無いほうが、まだ動けるだろ」


<<助かる。ケンジ。この前はすまなかった>>

ボスは、健司のことを『怪しいやつ』と言っていたのを詫びているようだ。


「いいよボス。謝らなくて。僕も君たちの声が聞こえるのが、なぜなのか

 分からないんだから、怪しくて当たり前だよ」


のこぎりの切り口から、杭の金具がポロっと取れた丁度そのとき、

道路の方から林田さんの声が聞こえた。懐中電灯の光がぐるぐる回っている。

林田さんは白いレインコートらしく、体の輪郭も見えた。


「槇村君! 何処だ?」

健司のレインコートは紺色なので、暗闇では見えにくいのだろう。


「林田さんここです」健司も懐中電灯をぐるぐる回した。


「何処から入ったんだ?」

「あっちです。柵が壊れてるところ」


林田さんは、健司と二頭のいる所まで入って来て、がけ崩れを懐中電灯で

照らすと言った。

「こりゃ酷い。お爺さんはまだ中なのか?」

「だと思います」


「槇村君はなんでここに来てたの?」

「この子が、うちの前まで逃げてきたので、追いかけて来たんです」

健司が、ボスの頭を撫でていると、林田さんが驚いた。


「大丈夫? いつも俺はその犬に吠えられるんだけど、君には懐いてるの?」

「ちょっと前までは吠えられてましたけど、もう友達です」


「怖いから、その鎖離さないでよ。

 こんなに真っ暗じゃぁ、救助も危ないなぁ。さっき電話貰ってから

 森田君に自治会の倉庫から、発電機と照明器具持ってくるように

 お願いしたから、もうすぐ来てくれると思うけど」


そんな話をしている所に、パトカーが警告灯を回しながら到着した。

健司が道路の方に駆け寄る。

林田さんと、犬の二頭も一緒についてきた。


中から出てきた二人のお巡りさんは、懐中電灯を持って周囲を照らして

状況を見て取ると、一人が無線で応援を頼み、もう一人が壊れた柵から

中に入って来て話しかけてきた。


「通報してくれた槇村さんの旦那さんは?」

「あ、僕です」


「犬が来たのを追いかけたって、奥さんに聞いたけど、その犬?」

警官は、近くに来ていたサリーを指さした。


「いえ、これはうちが預かってる犬で、ここの金森さんのうちの犬は

 この子です」

健司が鎖を引っ張って、ボスを引き寄せる。


懐中電灯の光の中に、ぬっと現れた巨体を見て、警官は驚いて思わず一歩

下がった。


「うわぁ。大丈夫なの? その犬。危なくない?」

「大丈夫ですよ。友達です」

「ヴォン」とボスが軽く吠えた。


「またあとで詳しく話を聞かせてね。危ないからここにいて」

警官は手を挙げて、もう一人の警官に合図すると、二人で状況確認の

ために、がけ崩れの近くに歩いて行った。


「林田さーん!」

声がするほうを振り向くと、道路に軽トラックが来ている。

森田さんが、自治会館の倉庫から発電機と照明を持ってきたようだ。


健司もお祭りを手伝った時に、自治会の倉庫に照明器具が有るのは

知っていた。林田さんと軽トラックから器具を下ろすのを手伝う。


「どこか、雨の当たらない所ないかな」と森田さん。

「あ、さっき納屋が無事なのは確認しました」と健司。


三人で発電機と照明器具を納屋に運ぶ。

林田さんと、森田さんは自治会の役員を長く勤めていて、お祭りなども

何度も経験しているので、手慣れていた。


発電機と照明器具を繋いだ部分が濡れると危ないので、発電機は

納屋の中で動かし、二人は防水性の照明器具二つを持って外に出た。


その二つの光に照らされた災害現場は、絶望的な様子を見せていた。


「山が家に乗ってる」

そう呟いた森田さんの言葉が、状況をよく示していた。


裏山から崩れてきた土砂は、完全に金森家を押しつぶして、

さらにその上に、崩れた山肌が木々を乗せたまま、すぐそこまで

来ていた。


<<爺さん!>>「ウォーン」

ボスの悲し気な声が、豪雨の中で響き渡った。





次のエピソード>「第13話 救助」へ続く


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