第13話 救助

夜中の12時を過ぎていた。

がけ崩れのあった金森家の周囲には、すでに沢山の緊急自動車が集まって

来て、多くのレスキュー隊員達が、いろいろ作業を開始している。


近所の人たちも、傘を指して見に来たが、あまりの豪雨なので、

すぐに帰ってしまっている。


ただ、時折、大き目の岩が崩れ落ちて来るので、安全を優先して、

本格的な救助活動は始まっていない。


健司と林田さん、森田さん、そして二頭の犬は、豪雨をさけて納屋の中に

避難していた。

レスキュー隊が沢山照明を持って来ていたので、自治会の照明をひとつ

納屋の中に置いたので、納屋は明るかった。


ボスだけは救助活動が心配なようで、納屋の入り口から、ずっと母屋の

ほうを見ている。


健司のスマホが鳴った。幸子からだった。

「ケンちゃん。何処にいるの?」


幸子の声の後ろで、豪雨の音がしているので、幸子も様子を見に来たの

だとすぐにわかった。

「がけ崩れから少し離れた納屋の中。サリーも一緒だよ」


健司は納屋の入り口まで行って、懐中電灯をぐるぐる回した。

幸子がすぐに気が付いて、納屋に駆け込んで来た。


「すごい雨。あら、こんばん…キャー」

幸子は奥にいる林田さんと森田さんに挨拶をしようとして、

横に巨大な犬がいるのに気が付いて、手に持っていた荷物を落としそうに

なった。あわてて、健司が荷物を受け止める。


「この大きい犬。大丈夫なの」


「大丈夫。もう友達だから。サリーは子供のころから、このボス君と

 よく遊んで立って、恵さんに聞いたよ。サリーの友達なんだって」

—— 本当はサリー本人から聞いたのだが、仕方がない ——


「このおっきいのが、うちの前まで逃げて来ていたの?」

「そうだよ。犬小屋も岩に壊されちゃって、驚いて、鎖を繋いでた杭を

 引き抜いて逃げてきたみたい」

—— 本当は逃げたのではなく、健司に助けを求めに来たのだが

   どうせ信じないだろう ——


幸子は、はっと我に返り、ここに来た目的を言った。

「これ、古いタオルとお茶を持ってきたの」

ビニール袋に詰め込んだ古いタオル数枚と、お茶の入ったポットを、

健司に見せた。


「ありがとう。サっちゃん気が利くねぇ。助かるよ」


健司はタオルを出し、林田さんと森田さんにも渡してから、自分も顔を

拭いた。幸子は、紙コップも持って来たらしく、紙コップにお茶を注ぎ、

三人に配った。

「あ、あったかい、生き返る」


「それで、どんな感じなの?」

「いや、まだ時々がけ崩れが起きるから、危なくて救助が始められない

 みたい」


「お爺さんは確か独り住まいよね」

「今は独り住まいなんだって。

 僕も林田さんにさっき聞いたんだけど、息子さん一家の家がお隣の家

 なんだって。でも、その息子が数年前から米国赴任中で、一家そろって

 アメリカに行ってるから、今はお隣は無人なんだって」


「お爺さん大丈夫なのかな?」


納屋の男三人は無言だった。

がけ崩れの様子を見ると、家はかなり押しつぶされていて、お爺さんが

助かる見込みは、あまりなさそうだと、内心思っていたからだ。


「うまく、家具か何かのすき間に入って、屋根の下敷きになって無いと

 いいんだけど」


「ヴォーン」ボスが悲し気な声を上げた。

「ごめんごめん。ボス。きっとお爺さんは大丈夫だよ。レスキュー隊が

 助けてくれる」


「ボスちゃんっていうの? お爺さんのことが心配なのね」

幸子は恐る恐る大きな犬の体を撫でた。


「なんていう犬なの?」

「イングリッシュ・マスティフっていうらしい」

「ふーん。こんなオッキイわんちゃん始めて見たわ」


「ケンちゃんはまだ、ここにいるの? 私、サリー連れて帰ろうか?」


幸子はレインコートのポケットから、サリーの赤いリードを取り出した。

そう、サリーは家から飛び出してきたので、リードが外してあったのだ。


<<私は、ボスが心配だから、もう少しここにいたい>>

サリーが訴えるような顔で、健司に助けを求めた。


「あ、サっちゃん。僕の車を乗って帰ってくれないかな。

 もう僕は泥だらけで、とても運転席に座る気がしない。

 あっちの方に止めてあるから」

健司は車を止めた場所を指さして、ポケットからキーを出し幸子に渡す。


「サリーもびしょ濡れ、泥だらけで車には乗せられないから、

 僕があとで連れて帰るよ」


「わかった」

幸子は腰をかがめてサリーを撫でながら言う。


「サリーちゃん、帰ったらお風呂に直行よ」

サリーはお風呂が好きなので、とても嬉しそうな顔を幸子に向けた。


幸子が黄色いレインコートのフードをかぶり、豪雨の中に出て帰っていく。


<<サリー。お前、いい家族に預けてもらってるんだな>>

ボスがサリーに向かって言った。


<<言ったでよ。ケンジは優しいし、サっちゃんもいい人よ。

  東浜スーパーで会ったこと無いの?>>


<<俺はスーパーに連れて行ってもらったことはねぇ。爺さんは、

  俺の散歩には遠くのドックランには、車で連れてってくれたが>>


 ***


雨は少し小降りになったり、強く降ったりを繰り返している、


レスキュー隊の何人かが、土砂の山を少し登って行くのが、納屋からも

見えた。健司達も納屋から出て、どうなるのかを見る。


レスキュー隊の人たちが、慌てて降りたと思ったら、再び、ゴロゴロと

岩がひとつ転げ落ちてきた。


—— この分だと、

   夜が明けて、重機が来るまで救助は出来なさそうだな ——


その時、再び、大きな土砂崩れが起きる。

警官やレスキュー隊員が、慌てて現場から離れた。


<<爺さんの部屋が見えた!>>


さっきの土砂崩れで、家の二階部分の前にあった土砂が崩れて、

屋根の下の部屋の割れた窓の上半分が覗いていた。


ボスが勢いよく走り出す。

「あ! ボス! 待て!」


健司は鎖を持っていたが、止められるはずもなく、勢いよく引っ張られた

鎖に健司が引きずられてよろけて、地面に倒れそうになり、思わず手を

離してしまった。


「ボス! 危ないからダメだ!」


泥しぶきを上げながら走り、土砂崩れの山に突進する巨漢の犬に、

驚いたレスキュー隊員が慌てて避けた。


ボスはその横を、鎖を引きずりながら走り抜け、土砂の山に駆け上がった。

割れた窓を目指している。


健司も土砂の山の傍まで走って来たが、レスキュー隊員に近づかないよう

制止され、ボスを見守るしかできなくなった。


<<あの窓から入る気かしら?>>

気が付くと横にサリーも来ている。


「ボスが入れるほど、すき間が無いように見えるけど」


土砂は崩れ易く、ボスは何度もずり落ちそうになるが、窓の近くまで

登っていた。

<<爺さんの匂いがする!>>


ボスは窓の下半分を覆っている土や泥を、前足でかいて取り除こうと

している。


<<私も手伝う!>>

サリーが走り出そうとするのを、健司は首輪を掴んで止めた。

「ダメだ。サリー。サリーが怪我しちゃったら、僕は恵さんや、

 お婆さんに、なんて誤ればいいのか分からない。まだ山が崩れてくる

 かもしれないんだ。行かないでくれ」


サリーは健司の言う事を理解して、前に進もうとするのを止めた。


レスキュー隊員が聞いてくる。

「あの大きな犬は、君の犬かい?」

「違います。この屋敷に住んでるお爺さんが買っている犬で、たぶん

 お爺さんの匂いが分かって、窓に入ろうとしているんだと思います」


「そのお爺さんが、あの窓の部屋にいるのは確実なのかい?」

「良く知らないんですが、あそこが寝室なんじゃないでしょうか?」

—— まさか、ボスからあそこが寝室だと聞いたとは言えない ——


ボスは自分がギリギリ入れるぐらいのすき間ができたとたん、

家の中に飛び込んでいった。


健司だけでなく、警官もレスキュー隊員達も、林田さんや森田さんも、

ボスがどうなったかを、心配で見上げるしかできなかった。


<<爺さんがいた!くそう! タンスに挟まれてる>>

「グゥアルルル」


他の人間には、ボスの唸り声しか聞こえていないはずだが、健司とサリー

はボスがお爺さんを発見したのが分かった。

サリーは、再び応援に行こうとしたが、健司が首輪を持って止めた。


豪雨の中でも、家の中からガタゴトいう音がかすかに聞こえる。

ボスが何とかお爺さんを助けようと、もがいているに違いない。


「あっ! 出て来たぞ」林田さんが指さした。


ひしゃげた窓枠のすき間に、ボスのおしりが見えている。

必至に何かを引っ張っているようだ。


ボスの下半身が窓から出てくる、そして窓の奥にボスの顔が見える。

くわえているのは、お爺さんのパジャマの襟元だ。


「要救助者発見! 要救助者発見!」

レスキュー隊員達が、四人ほど土砂の山を駆け上がっていく。


隊員達が窓の所にたどり着くころには、ボスはお爺さんを窓から引っ張り

出していた。


隊員達がお爺さんの手足を持って、斜面を半分滑り降りるように下る。

ボスも滑りながら一緒に降りて来ていた。


山の下には担架が準備されていて、お爺さんは担架に乗せられて、

救急車のほうに急いで運ばれていく。

「息は有るぞ!」レスキュー隊員が叫んでいる。


隊員達がお爺さんを運ぶのを見送るボス。

そのボスに。林田さんや森田さんが拍手を送る。

「ボス! よくやった」


近くにいたレスキュー隊員達も、ボスに向かって拍手をしていた。


警官が自治会長の林田さんに近寄って来て問いかけている。

「家にはあのお爺さん一人だけですか?」

「ええ、この家には、お独り住まいのはずです」林田さんが答える。


「連絡するご家族はいないんですか?」

「アメリカに行ってる息子さんご一家がいるはずなんですが、

 向こうの連絡先等は自治会の資料には登録されていないので、

 自治会では把握できていません」


警官は、林田さんと話をして、自治会長の林田さんの電話番号などを

連絡先としてメモしているようだった。

—— 自治会長の林田さんがいてくれて良かった ——


救急車のほうを見ると、お爺さんはもう酸素マスクをつけられて、

救急車の中に運ばれている。


ボスが、心配そうに道路際まで近づいて救急車を見ている。


健司はボスの横に寄り添って、体を撫でながら言った。

「ボス。頑張ったね。お爺さん、気を失ってるみたいだけど、

 息は有るって言ってたから、きっと大丈夫だよ」


救急車が後部ドアを閉めて、サイレンを鳴らしながら走り去った。


<<ボス! 怪我してるじゃない>>

サリーがボスの足から血が流れているのを見つけた。


健司もボスの足を見る

確かに、ボスの左足から、泥と血が混ざった液体が流れている。


<<大丈夫だ。大したことは無い>>とボス。


「ダメだよボス。ちゃんと消毒しないと、腫れ上がっちゃうぞ。

 一緒に、うちに行こう」


<<俺はここの納屋で寝るからいい>>

<<ケンジの言う通りだ。ちょっとは言う事をお聞き>>


そんな、押し問答をしている所に、林田さんと森田さんが近づいて来た。


「槇村さん。これありがとう。奥さんにも良くお礼をいってください」

森田さんは幸子が持ってきたお茶のボトルを渡してくれた。


「いえ、こちらこそ助かりました」

「僕たちは、照明つけた以外はあんまり役に立たなかったけどね。

 そのワンちゃんが大手柄だよ。あ、でも怪我しちゃってるね」

森田さんがボスの足の血に気が付いた。


「この子、うちに連れて帰って、消毒してあげます」と健司。


「じゃぁ、発電機なんかは俺達がしまっておくから、君は早く犬を連れて

 返って治療をしてやったら?」

林田さんがそう言ってくれる。


「ありがとうございます。そうします。お疲れさまでした」


健司は、ポケットから赤いリードを出して、サリーの首輪に着けると、

ボスの鎖ももって、二頭に言った。


「じゃぁ、ボス、サリー、一緒に帰ろう」


<<ケンジ。すまんな>>とボス。

<<ボス。お風呂に入ろう。お風呂に入ろう。>> 

とサリーはもうお風呂が楽しみになっている。


—— うちのお風呂狭いけど、ボスは入れるかなぁ ——


ただ、健司も雨の中で冷え切っていたので、サリーでは無いが

早く温かいシャワーを浴びたかった。


健司と犬二頭は、まだ強い雨の中をトボトボと歩きだした。






次のエピソード>「第14話 ボス、槇村家に入る」へ続く

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