超大型犬との生活
第14話 ボス、槇村家に入る
夜1時を過ぎていた。
家に着いてインターホンを押すと、最初にモニターに映ったボスの顔を
見て、幸子が室内で仰天していた。
庭の水道ホースで頭から水をかけて、健司と大型犬二頭は大まかに
泥を落としてから玄関に入る。
幸子がびしょ濡れのサリーが帰宅するのに備えて、玄関からお風呂までの
廊下にレジャーシートを敷いてあった。
—— あ、賢い ——
「はい。タオル。タオル」
幸子が健司にタオルを渡し、ながら玄関ホールに上がるように言った。
玄関のたたき部分に、大きな犬が二頭も入るスペースが無かったのだ。
「お爺さんは?」
「意識は無いけど、無事みたい。救急車で病院に運ばれた。
ボスが家に入ってお爺さんを引っ張り出したんだ。レスキュー隊員達が
褒めてたよ」
「まぁ。ボスちゃんが? 凄いわねぇ」
「でも、ボスがその時、足を怪我しちゃったみたいで」
健司がボスの左足を指さすと、玄関たたきに血が流れていた。
「まぁ、大変。早くお風呂で洗って消毒しないと」
<<俺はお風呂というのに入ったことは無い>>
ボスの念話は幸子に聞こえるはずが無かったが、幸子はあたかも、
聞こえていたかのように相手をする。
「ボス君。傷口にばい菌が入ったら大変なの。だからお風呂に行くわよ。
こっちに来て」
ボスは、お風呂がどういうものか理解できて無く、困惑した顔で、
サリーの方を向いた。
<<気持ちいいわよ。早く行きなさい>>
サリーがお姉さんらしく指導している。
ボスはレジャーシートに血をしたたらせながら、幸子の後を追い、
お風呂のほうへのそのそと歩いた。
「じゃぁ、サリー。僕がボスを洗うから、サリーはちょっと待っててね。
ゴメンね」
<<私は大丈夫。ボスの足が心配>>
***
超巨大犬のボスには、やはりお風呂が小さかった。
洗い場のスペースギリギリいっぱいに立つボスに向かって、健司は浴槽の
中に立ってシャワーをかけてあげるが、反対側を洗うために、ボスを
Uターンをするだけでも狭いので一苦労する。
ボスは温かいシャワーをかけてもらい、目を細めて喜んでいた。
<<これがお風呂か。温かくって気持ちいい。
俺はいつも屋外で、爺さんに水をかけてもらってた>>
気持ち良さそうなボスだったが、左足の傷口にシャワーを当てると、
かなり痛そうに、足を引っ込めようとしている。
「ボス。傷口の泥を流さないと、大変なことになっちゃうから、
痛いけどちょっと我慢して」
健司は、ボスの体を優しく撫でながら傷口を良く洗った。
—— 思っていたより傷が深い。窓ガラスが突き刺さったのか? ——
傷口は動物病院で縫ってもらわないといけないのが明らかだ。
イングリッシュ・マスティフは、体は大きいが、被毛が短いので
ゴールデンレトリバーよりも洗いやすかった。
ボスを洗い上げて、お風呂のドアを開けると、幸子がトイレットペーパー
のロールと、包帯やガーゼを持って待ち構えていた。
「消毒液は?」と健司が聞く。
「スマホで調べたら、人間用の消毒液はきついから、使わないで
良く洗うだけにしろって。もしも血が止まらないときは、
ガーゼや布で圧迫して止血しろって書いてある」
「そうなの? 僕は消毒液かけると思ってた」
二人がかりで、ボスの左前脚にガーゼを当てて包帯を巻き、
止血だけをしておく。
そのあとは、血だらけの左前脚をトイレットペーパーでよく拭いた。
「良しこれでいいわ。ボスちゃん。あとは体を拭こうねぇ」
幸子が自分の体よりも大きいボスに、赤ちゃん言葉で話かける光景は
何だか面白かった。
ボスはなぜか、そういう幸子の言う事には、とても素直に従っている。
健司は、ボスを拭くのは幸子に任せて、サリーを呼んだ。
「サリー。お待たせ。お風呂の順番だよ」
***
二頭を洗ってから、体を乾かしてあげるのが終わったのは、もう夜中の
3時近くになっていた。
—— もう今日は、お仕事や済みますって、あとでメールしとこ ——
ボスのために、リビングにタオルケットを敷いて簡単な寝床を用意する。
「ボス。このぐらいのスペースで寝られるかな」
<<ケンジ。すまんな。十分な広さだ。でも俺は外でもいいんだぞ>>
「だめだよ、外はまだ小雨降ってるでしょ。せっかくお風呂入って、
体を綺麗にしたんだから、今日はここでゆっくりしな」
そこに、サリーが幸子にドライヤーをかけてもらい、モフモフ、
ふさふさになって登場する。機嫌よくお尻を振ってくる。
「おっ、サリー。見違えるようにきれいになったね」
<<気持ちいい。気持ちいい>>
そんなに広くもないリビングに、大型犬のゴールデンレトリバーと、
超大型犬のイングリッシュ・マスティフが並んで伏せをしているのは、
それはそれで、壮観だった。
幸子が脱衣所での一仕事を終えて、ダイニングテーブルの椅子に
やれやれという感じで腰掛ける。
「サっちゃんもお疲れ様」
「大変だったね。みんな、お腹すいちゃったんじゃない?」
「そうだな。さっきまでは救助で気が張ってたけど、シャワー浴びたら
急にお腹が減って来たよ」
「カップラーメンは有るわよ」
「それが、いいねぇ簡単で」
「ワンちゃん達にもドッグフードあげる? こんな時間だけど」
「そうだね。ボスはドッグフード食べるのかなぁ」
***
「ボス、これ食べられるかな」
健司がサリー用のドッグフードを、洗面器に入れてボスに匂いを嗅がせる。
<<何だこれ?>> ボスがずいぶんと悲しそうな顔をした。
<<私はこれ好きなのよ>> サリーはキョトンとして見ている。
ボスに話を聞くと、お爺さんはドライタイプのドッグフードではなく、
馬肉のジャーキーや、犬用の生肉の餌をボスに食べさせていたようだ。
「サっちゃん。サリーのシニア犬用ドライフードは、
ボスの口にあわないみたい。とても悲しそうな顔してる」
<<美味しいのに>>横でサリーが文句を言ってる。
「他に食べさせるものねぇ……」幸子は冷蔵庫を開けて考える。
「ケンちゃんにハンバーグ作ろうと思って、ひき肉買って来たけど、
どうかな」
健司はスマホで調べる。
「うーん。生はダメだって。
しっかり過熱して、味付けなどはするなと書いてあるなぁ。
ドライフードにトッピングするのも有りだって」
「あ、トッピングね。それならドライフードも食べられるのかしら」
幸子がフライパンでひき肉を焼き始めると、二頭はすぐに、
その匂いに釘付けになって、美味しいごはんに期待をよせている。
「サリー、ボス、ほらほらよだれ出てるよ。よだれよだれ」
健司は二頭の反応が面白かった。
ひき肉をトッピングしたドライフードを出すと、二頭は物凄い勢いで
平らげる。
<<んまい!>><<美味しいわ>>
健司も幸子と一緒にカップラーメンを食べた。
「僕、もう今日は、仕事を休むってチームメンバーにメールしとく。
ボスを病院につれていかないといけないから」
「あ、休めるなら、それが良いわね。もうすぐ夜が開けちゃうもんね」
「サっちゃんは、今日は何時からのシフト?」
「ん~。今日は、もともとお休みの予定なの。
だから、私もサリーとお散歩したいなって、思ってたんだ」
「よし、じゃぁ、朝一番で笠原動物病院に電話をかけて、診てもらえる
ようなら僕はボスと病院。サっちゃんはサリーとお散歩だね」
「ちょっと待って、天気予報見る」
天気予報は、春の嵐の雨は朝6時にはおさまって、昼頃には良く晴れると
なっている。
「あらー。良く晴れるなら、午前中にお洗濯して干さないと、
タオル類ほとんど使っちゃったから」
「じゃぁ、サっちゃんとサリーのお散歩は午後か。
それまでにボスの治療は終わるかな?」
「治療が終わってても、ボスちゃんは歩かないほうが
いいんじゃない。しばらく安静にしないと」
「ああ、それもそうだね」
「じゃぁ決まり。僕は動物病院に行くまで少しだけでも仮眠しよう」
「私も寝るわ」
次のエピソード>「第15話 ボスの診察」へ続く
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