第9話 白い雲
日曜日、お昼過ぎ。
健司は、恵さんと約束をしていたので、立花家に遊びに行く。
門で呼び鈴を押したとき、庭の向こうでサリーが伏せをしている
のが見えたが、こちらには寄ってこなかった。
—— お昼寝中か?——
「あ、健司さん。どうぞ上がって来てください」
玄関を開けた恵さんが、健司を手招きする。
居間に行くと、梅子お婆さんも、恵さんが居て嬉しいのか
いつもよりにこやかな感じで、ソファーに座っていた。
恵さんが、さっそくお手製のアップルパイと紅茶を出して
くれたので、三人で話をしながらお茶をする。
「え~、東浜スーパーのサービスカウンターの人って、
健司さんの奥さんだったの? 知らなかった」
「ええ、そうなんです。パートタイムで、東浜スーパーの
正社員じゃないですけどね」
三人が話をしている間、サリーはずっと、遠くで伏せたまま
家の窓の方には近づいてこなかった。
恵さんも、外を見ながら、心配そうな声で言う。
「サリー。朝からなんか急に元気が無くなったのよ。
起きた時は、嬉しそうにして、元気だったのに」
「え? そうなんですか?」
「そう。朝一番にお庭に出て、少し歩き回っていたんだけど、
そのあと、ごはん出してあげたら、半分ぐらいしか食べなかった。
ごはん残すなんて、初めてかもしれない」
「ちょっと、僕、見てきていいですか?」
健司は玄関から出ると、居間の窓の前に置いてあった
サリー用の水の入った器を持って、サリーの方へ行く。
「サリー。こんにちわ。どうしたの? 具合悪いの?」
「クゥン」
サリーが悲しそうに吠える声を初めて聴いた。
<<今朝、ここの道の前を散歩をしていたムギとネギから、
昨日、タロウが死んだと聞いたの>>
「え? そうなの?」
—— それでか。ワンネット情報で聞いたんだな ——
この前、わんこメモ書く時に調べたら、ラブラドールの平均寿命は
10歳から12歳と書いてあった。
13歳のタロウは、おそらく老衰だったのだろう。
「そっか、タロウが……
ごめんな。あれから11番地に行けなくって」
<<いや、あの時、健司のおかげで、
タロウとゆっくり話ができて良かったわ>>
健司は、ゆっくり話をしたほうが良さそうなので
サリーの横に座り込んだ。芝生が少し冷たかった。
仲の良かった友達を失ったサリーに、何といえば良いのか、
わからなかったので、サリーの体をゆっくりと撫でてあげる。
サリーは少し体を動かして、健司の近くにすり寄り、
健司のほうに頭を寄せた。
***
居間の中から、健司とサリーの様子を見ていた恵は、
梅子お婆さんに言う。
「なんか、サリーったらものすごく健司さんに懐いてるわね」
「そうなのよ。不思議な人だねぇ。あの健司さんは。
サリーも、健司さんと知り合ってから、少し若い時のように
はしゃぐ感じになったりしてるからねぇ。
よほど健司さんのことが気に入ったんだね」
「なんかそれって、ちょっと妬けるわね」
***
サリーは、伏せの状態から起き上がり、健司の横にお座りをした。
<<ケンジ。死ぬとどうなるんだ?
みんな、公園で死んでいる鳥のように、臭い匂いになるのか?>>
—— えっ? どう説明しようか。
犬にとって匂いは重要だろうから、死ぬとみんな臭くなる
なんて言わないほうがいいな ——
健司は少し迷った。
「うーん。タロウは、北村さんの家で、あの歳になるまで大事に育て
られてたから、きちんと埋葬してもらえるんじゃないかな。
だから、『臭く』はならないと思うよ」
<<マイソウ??>>
「埋葬っていうのはね、人が死んだときもそうだけど、火葬場って所で、
体を焼いて、弔うんだ。そのあとお墓に入れる」
<<トムラウ? そうすると、タロウはどうなるんだ?>>
健司は、まさか死後の世界のことを犬と語らう事になるとは
思っていなかったので、どう言えばいいのか迷ったが、
ゆっくりと話を続けた。
「僕も死んだことが無いから、良く分からないけど……
死んで体が無くなっても、いい人の魂は天国という所に行くって
言われてるな」
<<タマシイって?>>
「形は無いけど、心とか、気持ちとか、思いのようなもの」
<<タロウは、優しくて、いい犬だった。
タロウのタマシイも、その天国って所に行くのか?
その天国とは何処に有るの?>>
「あの空の上に有るっていう人がいるね」
健司が空を見上げると、春にしては珍しく、
くっきりと青い空にきれいな白い雲が浮かんでいた。
サリーも空を見上げた。
<<タロウのタマシイは、あの白い雲の上に行ったのか?
私も死んだら、あの上に行って、タロウに会えるの?>>
「親しい人や、家族は、天国でまた会えるって良くいうね。
沢山の人が天国にいるだろうから、どうやって会えるのかは
僕にはよくわからないけど」
<<私はタロウの匂いを遠くからでも探せる。
だから、きっとタロウにまた会えるよね>>
サリーは嬉しそうに、白い雲を見上げながら、尻尾を左右に振った。
「ああ、また、たぶん会えるよ」
健司はサリーの体に手を回して抱きかかえ、慰めるように、
ぽんぽんと体を叩いた。
サリーはそんな健司の顔を見て、顔をペロっと舐める。
「あ! こら」
<<ケンジの顔、すごくしょっぱい>>
「はい、じゃぁこれ口直しに、サリーのお水」
サリーは健司が差し出した水の器に顔を突っ込み
シャクシャクと音をたてて、水を一気飲みした。
「サリー。お腹すいてんでしょ。朝のごはんを
半分しか食べたなかったって、恵さんが心配してたよ」
<<うん。タロウに会えると思ったら、お腹すいて来た>>
「じゃぁ、残りのごはんの食べに行く?」
<<行く行く!>>
健司が立ち上がると、サリーは横でスキップをするように
跳ねながら、嬉しそうに健司と一緒に居間の窓の方に向かった。
***
居間から見ていた恵さんが呟く。
「なーに、あのサリーの態度。 さっきまでは呼んでも、
こっちに来なかったのに。なんか、ちょっぴり妬けるなぁ」
次のエピソード>「第10話 お婆さんの入院」へ続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます