不良少女 5


 花山院学園理事長、獅子王麗奈。


 同時に学園の運営母体であるレムナント財閥の総帥でもあり、学園生からは獅子王閣下と呼ばれ、恐れ敬われている存在だ。


 数年前までは高校生で、その時は『総理大臣より偉い女子高生』なんて言葉が流行語大賞にノミネートされるほど。女優顔負けの美貌と、グラビアアイドルも裸足で逃げ出す豊満な肉体。かといってインターネットに獅子王麗奈の裸コラを流そうものならレムナント財閥法務部から訴えられてケツの毛まで毟られるかSATに襲撃される。そんな噂もまことしやかにささやかれている。



 ―――そして、である。



「あー、そっか、獅子王閣下かぁ」


 が、葵にそう言われてもなお、聖技には獅子王閣下とのコネがあるという自覚は薄かった。


「ボク、まだ会ったことないんですよねー」


「一回は会っといた方がいいんだろうが、オレも何度も会いたくはねえな。すっげぇベッピンだったんだけどよー、なんつーか、オーラ? 圧っつーの? 気の弱ぇヤツなら目が合うだけで死ぬんじゃねえかって雰囲気。格が違うっつーのはあーいうのを言うんだろうな」


「……なんか会うの怖くなってきましたね」


「まぁ、会えるのはまだ先だろ。今は中国復興の陣頭指揮取ってるらしいし」


「あー、それ、ボクも聞きました。偉い人って大変ですねー」


「中国人の生き残りなんて数万人しかいねえんだからよ、復興したって意味無ぇ気もするんだけどな。ともあれ気を付けろよ、オレらみてーな下々の連中にワザワザ近付くような連中はよ、まず姐さん目当てに違いねえからな。下手な約束はしねえこった」


 実際、葵も入学当初は随分と苦労したものだった。紆余曲折を経た結果、最終的に裏バンに呼び出されることになり、裏バンの手下どもに囲まれた状態でタイマンを張ることになった。


 が、何故かそこに一人の帯刀女が猿叫を上げながら乱入し、何故か葵を除く全員を病院送りにし、何故か裏バン含めた不良生徒たちを葵一人だけで病院送りにしたという噂が広まった。


 新たな裏番長、星川葵が誕生した瞬間だった。結果、葵に近寄ろうとする不埒な生徒は激減した。というか完全にいなくなった。ついでに不良生徒も更生した。


「なんかあったらオレに言えよ。なんとかしてやっからよ」


 まぁ、そんな心配はないだろう。葵はそう思う。葵本人に裏バンになったつもりがなくとも、傍から見れば聖技は葵の舎弟である。妙なちょっかいをかける者はいなくなるはずだ。よしんばそのような者が現れたとしても、それは獅子王閣下ではなく、裏番長星川葵に用がある者だろう。


 ともあれ、葵の心中も葵の学園内の評判も揃って知らない聖技は、本人の主観で状況を分析する。


「まーたぶん大丈夫ですよ。そういう人たちには慣れてるんで」


「慣れてるゥ? なんでまた」


「うーんとですね、ボク、地元でよくつるんでた子が3人いるんですけどね」


「おう」


「地元の半分くらいの土地を持ってる大地主の家の子とー、ずっと町長出してて親戚に議員とかもいる家の子とー、あとショーコー? ショーカン? なんかすごく偉い地位についているらしい家の子でー」


「いや待て待て待て」


「なんです?」


「将校と将官じゃあ格が違い過ぎんだろ。軍のトップ100とかだぞ?」


「へー、風音のオジサン、そんな凄い人だったんだ」


 本当に将官なのか疑わしく思えてきた。多分将校の方なんだろう、と葵は思った。


「で、まぁ、周りがそんなんなんで。なんですっけ? 馬をいんとするならまず将をですっけ?」


「逆だ逆。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』な」


「で、まぁ、そいつらにお近付きになりたい奴らはですね、ボクにも目を付けてくるわけですよ」


「なんでそんなタイソーな連中と絡んでんだよお前?」


「えーっと、もう言いましたっけ、ボクんち病院だって。その家の人たちのいきつけだったんですよ。なんでもひいおじいちゃん同士が大戦の時に仲良くなったらしくて」


じゃなくてな? 居酒屋とかスナックじゃねえんだから」


「え?」


「え?」


 聖技は過去を思い返す。もう何年もの間、『いきつけの病院』と言ってきた気がする。……まぁいいや、と聖技は思う。これが聖技の武器、どんなときもポジティブハートだ。


「まぁそんなわけでして、確かに出来た友達の中にはそれっぽい人たちも何人かいるみたいですけど、まぁ多分、何とかなるでしょ」


 ごまかすように聖技はそう言った。実際のところは数人どころではない。新しい友人、そのほとんどが聖技にではなく、その背後にいる獅子王閣下目当てだろうと感じていた。とはいえ、この場でそのことを口に出さない程度の分別も持っている。


「あ、ガブちゃんだ。おーい、ガブちゃーん!」


 聖技は食堂の中、集団を引き連れながら歩くガブリエラに声をかけた。彼女は聖技の方に視線を向け、聖技を見つけた瞬間に明らかに「げ」と言ったような表情を作り、けれども聖技はお構いなしに笑いながら手を振った。


 ガブリエラは露骨にため息をつくと、後ろにいる生徒に二言三言話しかけた。集団を離れて一人こちらへと向かってくる。豊満な胸をドタプンドタプンと揺らし、豊満な金髪をドリルンドリルンと巻いている。


 接触エンゲージ


「今日は朝から姿が見えませんでしたわね。ついにお辞めになったのだと思っておりましたわ、セイギ・シモツケ」


「いやー、今日はちょっと寝坊しちゃってさー」


「そして、そちらの方は……2年生のアオイ・ホシカワ様、ですわね? 同じ特待生同士、さっそく協力関係でも結ばれたのかしら?」


「そういうテメーはアレか、守護天使シュッツエンゲルガブリエラ・サルヴィアだな? 薔薇の二重円の会ドッペルローゼンヘッド


 何故だろう。理由は分からない。分からないのだが、葵とガブリエラ、二人の間で火花が散っているように聖技は感じた。ていうかシュッツエンゲルって何?


「あ、それでアオイ先輩。ガブちゃんも聞いてよ。学園をチンチンが走ってるって話の続きなんだけどね、」



「いきなり不審者情報ですわーーー!!?」



 目を見開いたガブリエラは聖技の両肩をがっしりと掴み、ガックンガックンと揺さぶり始める。


「ちょ、セイギ・シモツケ! それどこで見たんですの!? 時間帯は!? 今すぐ警備に通達しなければ……! 初等部グルンドシューレの子たちには集団下校をさせて、あぁ、でも下校時間が合いませんし、わたくしたちが合流するまでサロンで待ってもらっていた方が」


「おい聖技、だから電車って付けろって。さっさと訂正しないとドンドン悪い方に進んでくぞこれ」


「おち、つい、て、ガブ、ちゃ」


「電車? え? 電車の中に露出魔が現れたんですの?」


 ようやくシェイクが止まった。


「違う違う。えっとねガブちゃん、ああいう電車のことをね、日本ではチンチン電車って言ってね」


「そ、そんなはずがないでしょう!? いくらわたくしが日本の文化に疎いからと言って、そんな、し、を乗り物の名前に付けるわけありませんわ!! 騙されませんわよ!?」


 ガックンガックン。


「シュヴァンツって何?」


「ドイツ語でチンコのことじゃね?」


「あー」


 瞬間、聖技は体を揺らされながらも、ニンマリとした笑みを浮かべた。悪ガキが好きな女の子にイタズラを仕掛ける時に浮かべるような、そんな笑顔だと葵は思った。


「ていうかガブちゃんさー、チンチンがどんな意味かって知ってるんだー?」


「え?」


 ピタリ。


「どうやって知ったのー? やーい、えっちー」


「や、いえ、ちが……!」


「あ、ガブちゃんちょっと待ってね。たぶんアレ、ボクが頼んだやつだから」


 聖技は近くまで来ていたウエイターから、注文した特盛の海鮮丼を受け取った。頼んでみるものだ。おそらくはわざわざB学から持ってきてくれたのだろう。この学食には似つかわしくない馬鹿みたいにデカいどんぶりに、宝石のように輝く魚介がところ狭しと並んでいる。熱々の汁物も嬉しい。


「おぉ、この味噌汁まだチンチンだ」


「いきなり何を言っておりますのー!?」


 顔を真っ赤にしたガブリエラが絶叫した。


「いやだからさ、味噌汁がチンチンなんだよ。B学とは結構距離あるのにさ」


「あ、あなた……一体何を注文しましたの!?」


「え? 普通の海鮮丼だけど? ガブちゃんも触ってみる? まだチンチンなの分かるよ?」


「分かりませんし触りませんわよ!?」


 見かねた葵が口をはさんだ。


「おいサルヴィア、一応補足しておくとだな、聖技が使ってんのは、たしか愛知だったか? その辺の言葉でな、『すごく熱い』って意味でな」


「あ、アオイ様までわたくしのことを騙そうと!? はっ! まさかセイギ・シモツケに何か弱みを握られて……!?」


「いや違くて。おーい」


「ゆ、許せませんわ、セイギ・シモツケ……! 可愛らしいシュヴェスタたちを怯えさせるだけに飽き足らず、アオイ様までその毒牙にかけるなんて……!」


「聞いてねえなこいつ」


「毒牙て。本当ガブちゃん日本語詳しいね」


「貴女の悪事、いつか白日の下にさらしてみせますわぁーーー!!!」


 わぁーーー


 わぁーー


 わぁー


 と、謎の反響を残しながら、ガブリエラは逃げ去っていった。ハラハラしながらその様子を見守っていた集団は、慌ててその後を追いかけていく。


「中学生男子かよ」


「先月までそうでしたし」


「いや女子」


「……あれ、ガブちゃん一人だけ戻ってきましたね?」


「おん?」


 ガブリエラは二人の前で立ち止まる。肩で息をしながらも、胸の前で右手を使って二重円を描いた。そして祈るような姿勢を取り、


「遅くなりましたが、ハァ、妹君、ヒマワリ・ホシカワさんの、ハァ、ご冥福を、お祈り、ハァ、申し上げますわ」


 ちょっとエロいな、と聖技は思った。


 ガブリエラは再び立ち去る。残された二人は遠ざかる背中を眺めながら、


「で、何? 知り合いなん?」


「あ、はい。クラスメイトです。アオイ先輩もガブちゃんのこと知ってたんですね」


「あぁ、あいつ有名人だからな。日本で唯一の守護天使シュッツエンゲルだし」


「さっきも言ってましたけどなんです、それ?」


「聖女候補で、それと聖女の補佐役みたいなもんらしい。オレもそんくらいしか知らん。しかしま、会ったこともねえヤツにゴメーフクをお祈りされてもな。しかも侵略宗教のマリウス教のヤツからよ」


 葵はそう言うと、まだ大量に残っているカレーの残りに再び取り掛かることにした。聖技が勢いよくどんぶりの中身を減らしていくのとは対照的に、葵の食べるペースはだんだんと落ちていく。


 結局、半分どころか3分の1も食べ切れなかった。先に海鮮丼を完食していた聖技に、残りを全て食べてもらった。

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