そして、黒百合は手折られた
@seinendango
第1話 悪を滅ぼす者
悪を滅ぼす者 1
「
ナンパだ。相手は一人だけ。周囲には人が多い。どこかにナンパ仲間が紛れているかも知れない。ダボッとしたオーバーサイズのパーカーに、膝が隠れる長さのハーフパンツ。腰にはポケットがいくつもあるウエストポーチ。
ナンパなんて初めてだ。なにせ地元ではものすごく有名な姉がいて、その妹に手を出そうものならただでは済まないと恐れられていて、冗談でも向日葵を口説こうなんて命知らずはいなかったからだ。
向日葵は困惑した。けれど、それは初めてのナンパにどうしようか、というものではない。
(……えーと、この子、
ナンパ師は向日葵よりも少し背が低い。声も結構高かった。つまるところ、向日葵より年下の男の子にも見えるし、同い年くらいの女の子が男っぽい恰好をしているようにも見える。
「あはは、ごめんごめん。びっくりさせちゃったかな?」
相手は勝手に、ナンパに困っていると判断したのだろう。人の良い笑いを浮かべながらウエストポーチをまさぐり始めた。
「その制服、花山院のでしょ? ボクも同じなんだー、ほらコレ証拠」
そう言って取り出したのは生徒手帳だ。向日葵も同じものを持っている。
開かれているページには、向日葵が抱いた疑問、その答えが載っていた。向日葵が今着ているのと同じ制服姿の顔写真。ついでに性別の欄には、しっかり”女”と明記されている。
学園の欄は、向日葵と同じ高等部1年。備考欄には特待生の文字。そして名前の欄には、
「ボクは
向日葵が読むより先にそう言って、聖技は握手の手を差し出した。
「あ、うん。あたしは―――あ」
「うん? どうかした?」
(『ザ・フィーバー』の、『
名乗る寸前、気付いた。向日葵は、この少女のことを知っている。それも一方的に。とある界隈において『下野聖技』という名は有名だからだ。
「ううん、何でもない。あたしは、えーと、向日葵」
向日葵は、わざと名字を言わなかった。ちょっとしたイラズラ心。
たぶんこの子は、お姉ちゃんのことも知っているはずだ。だから急に会わせて驚かせてやろう。向日葵はそう思いながら握手に応じる。
「それでヒマワリちゃん、なんで制服なの? 入学式って明日だよね?」
そう言った直後、聖技は急に不安そうな顔になり、
「え、あれ? 明日だよね? 実は今日だったりしないよね!?」
「だ、大丈夫。明日で合ってるよ」
聖技はほっと息をついた。
「あっぶなー。やらかしたかと思ったぁー。……で、なんで制服?」
「うん、これはね、」
という向日葵の言葉の途中、聖技はいきなりの大声でさえぎった。
「いや待って! ここは当てて見せるから!」
そう言って、腕を組んで目を瞑って熟考すること実に10と数秒。これに間違いないと一つ頷き、向日葵を人差し指でびしりと指差して、
「今日が入学式だと勘違いして寝坊して大慌てで駅まで来て、駅員さんに入学式は明日ですよって言われて戻ってきた!!」
「ぶっぶー、ハズレ」
「あっれぇ~? 間違いないと思ったのに」
首をかしげる聖技をつっつき、駅前のベンチを指差した。
「少し長くなるから、あっち座らない?」
「おっけーおっけー」
二人並んでベンチに座る。着替えの入った古さの目立つボストンバッグをドカリと置いて、妙に聖技の距離が近いなと思いながらも、向日葵はいきさつを話し始めた。
さっきも言った通り、入学式が明日なのは把握していること。
姉が一年先に同じ学園に入学して、青梅でマンションを借りていること。
今日からは一年ぶりに、一緒に暮らせるようになること。
姉と再び暮らせるのも楽しみだったが、地元の友達と別れるのも惜しくて、ギリギリまで友達たちの家に泊まっていたこと。
今日制服を着ているのは、姉に見せようと思ってということと、午後からは最後の手続きのために学園に行って、加えて案内をしてもらう予定だから、ということ。
「あ、それボクもだよ。2時半くらいに来てって言われてる」
「あぁ、じゃあ一緒に行く?」
「うん、もちろん!」
向日葵は内心ほくそ笑んだ。着々とサプライズの準備が整っていく。こうも順調に進むなんて。
「青梅を1時過ぎに出る電車で、ちょうどいい時間に着くらしいよ」
「……ということは、通学片道1時間以上、か。それはちょっとユーウツだなぁ……」
「つまりこれから毎日1時間、ボクと遊べるってことだね!」
「うーわ超ポジティブ。お姉ちゃんからは奥多摩で乗り換えだって聞いてるけど」
「うん、ボクもそう聞いてる。そこから専用線で20分だって」
「ねぇ、下野さん」
「アハハ、そんなかしこまらなくていいよー。聖技でいいって」
向日葵は一瞬悩んだ。ちゃん付けで呼ぶか、それとも君付けで呼ぶ方がいいか、と。どちらも正解な気もするし、逆にどちらも間違いな気もしてくる。なので、
「んーと、じゃあ、聖技で」
思い切って、呼び捨てにすることにした。いきなり呼び捨てにしても気を悪くするような子ではない、と思ったのだ。
「で、聖技。なんで青梅に?」
向日葵は「青梅駅に何か用事があったの?」という意味で聞いたのだが、聖技は別の意味に捉えたらしい。
「あー、最初は奥多摩で探したんだけどね。やっぱ往復で2時間も電車はタルいじゃん? でも全然ダメ。あっち、アパートとかマンションとかなーんもなし。一軒家ならいくつもあるって言われたんだけど、さすがに一軒家に一人で住むのはねー」
「東京なのにそんな場所あるの? 土地足りないって聞くけど」
「あるんだよねぇ……。いや、実際に行ってみたワケでは無いんだけどさ。あー、あとはほら、やっぱり女の子の一人暮らしじゃん? だからセキュリティがしっかりしてて、学園のサポートが受けれる物件ってオススメされたので、一番通学時間が短く済むのが青梅だったんだよね。だからボクもこっちに住んでる」
「あー、ね。お姉ちゃんも同じだったのかも。後で聞いてみよ。……で、これが最後なんだけど。あ、さっきの話とも繋がるんだけどさ」
「うん」
「お姉ちゃんとの待ち合わせが、青梅駅に午後1時なの」
聖技は腕時計を確認した。女物の腕時計だ。ボーイッシュなファッションなので、そこだけが妙に浮いているように向日葵は思う。アナログの針が差すのは、午前10時を少し過ぎた頃だった。
「……あと3時間もあるよ?」
「あははははは。その、こっち来るのって初めてだからさ。乗り換えでしっかり確認する時間を取れるようにって、けっこう早めに出発したんだけどね、もう全部が全部、すっごいスムーズに乗り換え出来ちゃって、それで……」
「予定よりも3時間もはやく到着しちゃった、と」
「……はい」
「おねーさんに電話する? 貸すよ? 番号分かる?」
言いながら、聖技は携帯電話を取り出した。青の折り畳み式で、UFOと不可思議なマークのストラップが付いている。携帯電話に詳しくない向日葵は知らなかったが、今年の3月に発売されたばかりの最新モデルだ。
「うーん、どうかなー? お姉ちゃんケータイ持ってないんだよね。
「じゃーバイト先に行ってみる?」
「それが困ったことにね、どこで何のバイトなのかは教えてくれなかったんだよね」
「ありゃりゃ。んー、じゃあボクんち―――は、ダメだ。まだ荷物ぜんぜん片付いてないんだった……」
「いつこっち来たの?」
「えーっと、三日前? だったかな?」
「……入学式はもう明日なのに、まだ片付いてないの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫。いざとなったら出して使った後に
「なお、え、なに? なんで急に壊したの?」
「あれ? ボクなんか変なこと言った?」
「言った言った。直すって」
「え、うん。使った後になおせば、今なおさなくてもいいかなーって」
「もう壊れてる!? 今直さないと使う時にも壊れたままだよ!? てゆーか何で壊れたの持ってきてんの!?」
「え? 壊れたのなんて持ってくるわけないじゃん」
「え? でも、直すんだよね?」
「うん、なおすよ?」
「え?」
「え?」
――――”なおす”という言葉が、”片付ける”という意味の、聖技の出身地で使われる方言だと向日葵が気付くまで、二人の間に奇妙な混乱は続いた。
そして妙に疲れた二人は、喫茶店で続きを話すことにした。
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