悪を滅ぼす者 2


 12時半を少し過ぎた頃、向日葵ひまわり聖技せいぎは喫茶店を出た。


 聖技が借りているマンションを目指して、二人並んで歩き出す。学園に行くのなら制服を着ていった方がいいんじゃないか、という話になったのだ。


 向日葵は、所在無さげに両手を腰の後ろで組む。駅を出た時に持っていた大きなボストンバッグは、今は駅のコインロッカーの中だ。


「ごめんね聖技、あとでお昼代は返すから」


 そしてうっかり、バッグと一緒に財布もコインロッカーの中にいれてしまった、という訳だった。仕方ないじゃないか。コインロッカーなんて使うのは初めてなんだから。心の中で向日葵は言い訳する。


「いいよいいよ、奢るって。ボクが入ってみたかったトコだし、ナンパした方が奢るのがトーゼンってもんじゃん?」


「それはやっぱり悪いし、財布がないのはあたしのミスだし」


「気にしぃだなぁ。ボクはオカネモチなのだ、特待生だからね。寮に住まないんだったら支援金? 支度金だっけ? が貰えるからさ、ちょっとくらい贅沢しても困らないんだよ」


「それは知ってるけど。あたしとお姉ちゃんも特待生だし」


「おや、それは新情報」


「ていうかそのお金ってアレじゃない? 花山院かさんいんってお金持ち用のエリート校らしいじゃん。そういう人たちとの交際費用なんじゃないの?」


「交際費…………。つまり、デート代……、ってコト?」


「いや違くて。いやある意味間違ってないけど」


「あぁ、だから遠慮して全然注文しなかったの? あれだけじゃ足りないでしょ。あ、もしかして、身体測定あるからダイエット?」


「ううん、あたし、元から小食だから。給食も結構残しちゃってたし。……ていうか聖技は食べ過ぎだと思う。3人前くらい注文してなかった?」


「えー、いつもあれくらいはペロリだよー。ボク食べるの大好きだからさー」


「エンゲル係数エグそうだなぁ……。太らない?」


「フッフッフ、ここで全世界の女の子を敵に回すあの言葉を言ってあげよう。ボク、食べても全然太らないんだよね!!」


「あー、ね」


「あれ、怒られない」


「さっきも言ったけど、あたし小食だからさ。お腹いっぱい食べたいとか、ダイエットしなきゃとか、そういうふうに思ったことないんだよね」


「うーん、それはもったいない。人間食べなきゃ生きていけないんだからさ、食べるのを楽しめないと損した気にならない?」


「ならないならない」


 聖技は向日葵に近付くと、腰に手をやり抱き寄せる。


「うわほっそ。ヒマワリちゃんって体重何キロ?」


 向日葵はジト目になった。


「……いや、聞くな、それを。流石にハズイから」


「あはは、ゴメンゴメン」


 向日葵が呆れていると、今度は聖技がじっとその顔を注視してきた。腰抱きのままだから顔が近い。お互いに少し近付けば唇同士が触れ合いそうで、なんだか変な気分になってくる。


「え、なに? 聖技?」


「ヒマワリちゃんさぁ、やっぱり前に会ったことない?」


「なぁに、やだもー。ナンパの続きー?」


 姉のことがバレたかとドキリとした。聖技を引き剥がしながら、向日葵は話題を学園のことに戻そうと思う。


「さっきのの行き違いもだけどさー」


「うん」


「同じ日本人でもあんな風に、同じ言葉で意味を勘違いするのにさ、外国人たくさんいるらしいじゃん。ヤバくない? 言葉通じるかも分かんないし」


「英語喋れないの?」


「無理。聖技は?」


「フフフ、これは自慢なんだけど、」


「自慢なんかい」


「ボク、英語だけは得意なのだ!」


「よし聖技、翻訳は任せた」


「任された!」


 そう言った聖技は向日葵に近付くと、今度は肩を抱いて顔を寄せ、小声のキメ顔で、


「安心して。ヒマワリのことは、ボクが守ってあげるからね……」


 言われた向日葵は手を顔と顔の間に挟んで、聖技の頬を押し返した。


「カレシか」


「あはは!」


「全く。あたしのカレシになりたいなら、まずはお姉ちゃんを倒してもらわなきゃね」


「まーかせて! ついでにおねーさんもカノジョにしちゃおう! 一妻多妻制だ!」


「初めて聞いたよそんな日本語」


 全く、と向日葵は再び呆れたポーズを取るが、その内心では必死に笑いをこらえていた。


(ま、まだよ……。まだ笑っちゃ駄目……!)


 というのも、向日葵は知っているからだ。聖技と姉は中学の部活で、何度か試合をしていることを。そして、聖技は姉に一度も勝ててない、ということを。


 きっと姉と再会した時、聖技は実にいい反応をしてくれるだろう。


 脈絡なく、急に聖技が立ち止まった。その場で辺りを何度か見回すと、困ったように呟いた。


「あれ、ここドコだ?」


「え、何? 迷ったの!?」


 あははははー、と聖技は誤魔化し笑いをして、


「いやー、ずっと片付けてたから冒険してなくってさー。まぁ大丈夫でしょ。たぶん方向は合ってるから」


「いやそれ普通に迷うやつ。ほら、一回来た道戻ろ。駅まで戻れば確実でしょ」


「えー大丈夫だってー。ボクを信じてよー。着替える時間無くなっちゃうよー」


「手続き出来ない方が問題でしょ。最悪制服は無くてもいいし。ていうかアンタ、スカートは苦手だから着替えたくないって言ってたじゃない。ほら、戻る戻る。回れー右!」


「回りまーす右ー」


 向日葵は聖技の前に回り込んで、肩を掴んで180度回転させる。来た道を戻り始めた。


「こういう時、ケータイで地図見れれば便利なのにね。ムービングマップMMDとかカーナビとかあるんだからさ、何とかなると思わない?」


 聖技のその言葉に、向日葵は少し考え、


「あー……、いや、無理じゃない? そんな小さいケータイに、地図のデータがまるっと入るとは思えないし」


「……これ、40メガの大容量なんだけどなぁ」


 

 瞬間、日常を瓦解させる暴音が鳴り響いた。



 耳をつんざくような大音量のサイレン。思わず聖技は、両耳を手で押さえてこらえる。


「うっるさ!? お昼のサイレン? ……あれ、でもさっきも鳴ってなかった?」


 サイレンは依然として鳴り続けている。そこで改めて聖技は向日葵を見て、―――人生で初めて、人が心の底から恐怖している姿を見た。


 向日葵は、腰でも抜けたかのように地面に座っていた。未だに鳴り響くサイレンで聖技には聞こえなかったが、口は細かく震え、カチカチと歯が音を立てている。せわしなく動き回る眼球は焦点を結ばず、血の気が引いて真っ青になった顔の上を、目に見て分かるほどの脂汗が伝っている。


「ヒマワリちゃん?」


 サイレンがうるさい。自分で出した声すら満足に聞き取れない。


「ヒマワリちゃんっ!? しっかりして!!」


 様子がおかしい。肩を掴んで身体を揺するが、反応らしい反応が返ってこない。


 周りの建物からは、次々と人が飛び出してくる。何かあったのかと窓から顔を出すような程度のものではなく、誰も彼もが一目散に、着の身着のまま同じ方向へ走っていく。その中には聖技たちにちらりと目を向ける者もいたが、誰一人として声を掛ける者はいなかった。


 サイレンが突然ピタリと止まり、続けてバツンという音が鳴る。女の合成音声で放送が始まる。



『第一次、ドール・マキナ、避難警報が、発令、されました。住民の、皆さまは、急ぎ、最寄りの、シェルターへ、避難して、ください。市街地、交戦、規定法に、もとづき、アーバンジャミングを、実施します。これより、テレビ、電話、無線、ラジオなどの、通信装置は、ご利用、いただけません。繰り返します。第一次、ドール・マキナ、避難警報が、』


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