悪を滅ぼす者 17


「はい、じゃあ目を見せてー」


 下まぶたを引っ張られた。ペンライトの光が眩しい。左目、右目と順に確認される。


「はい口開けてー。あーって」


「あーーー」


 白衣セーラー服の女は口の中を確認した後、うん、と頷いてペンライトを消した。胸ポケットに戻して両手をフリーにすると、今度は腕を取って脈を測り始める。


「うん、脈も問題なし。覚えてる? アンタ入学式の直前に倒れたのよ」


「あ」


 思い出した。同時に、自分のせいで向日葵ひまわりが殺されてしまったことも。


「…………」


 信じられなかった。向日葵が死んだことが、ではない。


 向日葵が死んだことを、否、向日葵の存在そのものを、ちょっと寝落ちしたくらいで綺麗さっぱり忘れてしまっていた自分自身を、だ。


 唐突に、自分がどれだけ醜い人間なのかを見せつけられた気がした。お前はこんなにも薄情な人間クズなのだと、友達が死んだのはお前のせいなのに、一人だけのうのうと日常に戻れるような人間カスなのだと、そう言われた気がした。


「症状としては典型的な貧血だけど、それで失神するなら話は別。心当たりはある? 何か持病は? いつも飲んでる薬はある? ……ちょっと、ねえ、聞いてる?」


「あ、え、あ、はい。いたって健康体、いや倒れておいて健康体もクソもないんですけど。たぶん昨日、緊張して眠れなかったせいかなーって」


 嘘だ。確かに緊張はしていた。だがその理由は入学式ではなく、ドール・マキナに勝手に乗って戦ったことが、軍や警察に判明していないだろうか、という不安によるものだ。


「ストレス反動の揺り返し? じゃあ失神よりも寝落ちに近いのかしら」


「あの、入学式は」


「そんなのもうとっくに終わったわよ。アンタ6時間も寝てたからね」


「ヴェッ!?」


 聖技に返事をしながら、白衣セーラー服はベッドの反対側へと回り込んだ。チューブの途中にあるアジャスターを調整して点滴を止めると、テキパキと動いて聖技の腕から針を抜き取る。


「はい、もういいわ。立てる?」


 ベッドから降り、自分の足で立った。特にふらつくことも無い。


「大丈夫そうです」


「そう。じゃあちょっと待ってて」


 女はベッドに座って足を組み、携帯電話を取り出した。全部黒塗りで、やたらとゴツくて分厚い機種だ。ピポパと操作してどこかに電話をかけ始め、


「プラムよ。起きたからこれから連れて行くわ」


 そう言うと、相手の返事も待たずに電話を切った。


「じゃ、服を着たらいくわよ」


「? 行くって、どこに?」


 ふと、じんわりとした不安が、胸の中を侵食する。やっぱり、自分が昨日ルインキャンサーを動かしたことはとっくにバレていて、この部屋の外には軍や警察から来た人間たちが待機しているのではないだろうか。


「キリンから聞いてない? 手続きが残ってるから放課後に時間をちょうだいって」


「きりんって、えーと」


「アンタを案内した生徒会長」


「あぁ」


 聖技は麒麟との間で交えた会話を思い出す。校門に入って教室にたどり着くまで色々と教えてもらったが、


「……たぶん、言われてないと思います」


「はぁ~~~……。まーた忘れてたわね、あの女……」


 どうやら常習犯らしい。とりあえず聖技は言われた通りに服を着ることにした。その途中で、


「そうだ、言ってなかったわね。プラムはプラム・マハーラージャ。見た目じゃ分かんないかもだけどインド人で、見た目で分かると思うけど中等部一年よ」


「―――え?」


 着替える手が、止まった。


「え?」


「あ、いや、なんでもない。白衣だったから勝手に保健の先生だって思ってただけ」


 そう言うと、聖技は着替えを再開した。けれどもその心臓はバクバクだ。


(あっぶなぁー! 大人が中学生のコスプレして生徒とヤるつもりだったとか言わなくてよかったぁー!)


 だいたい同じ意味のことを第一声で発してしまっているのだが、どうやら言われた本人には気付かれていないようなのでセーフだ。セーフだと思うことにした。


「あぁ、これは遊びで着ているわけじゃないから安心して。プラムは飛び級してるから。日本は法整備が追いついていないんで学園外だと無効になっちゃうんだけれど、インドでちゃんとした医師資格を取ってるわ」


「お、おう、うん、なるほど、凄いんだね」


 となると次の問題は、このプラムという少女が主張することが本当の事なのか、それともそういう”設定”なのかだ。


(中学一年生かー。まぁ、そういう時期だよねー。海外でもそういうのってあるんだなー)


 そう思うと、なんだかこの少女にとても可愛げがあるように思えてきた。まぁ身長は聖技より高いし胸も尻も大きいし顔もかなり大人びているので、その見た目で一人称が自分の名前なのは流石にどうなんだろう、なんて失礼なことを思ったりもしていたが。


 同時に、はっきりと自覚した。



(……ボクは、きっと、ひとでなしだ)



 向日葵を失った悲しみを、もう忘れようとしている。



   ●


 服を着た聖技は、プラムと一緒に保健室を出た。人の気配がない建物特有の、耳に痛い静寂を感じる。


「そういえば、ここってどこの建物?」


「講堂よ。入学式があったところ。この学園、大体の建物に一つは診療室が用意されているから」


 扉の上を見てみると、部屋の名前が書かれたプレートが取り付けてある。確かにプラムの言う通り、保健室ではなく『診療室』と書かれていた。


「こっちよ、付いてきて」


 プラムの後ろを付いていく。ふりふりと揺れる白衣に包まれた尻を見ながら、早乙女と連絡先を交換するのを忘れていたなと気付いた。目の前で倒れてしまったのだ。きっと心配させただろう。


「他の皆って、もう解散しちゃったのかな」


「でしょうね。外にいる戦車は目にしてるんでしょ? 入学式からしばらくは厳戒態勢。寮生は敷地外へは外出禁止だから、もう寮に戻ってると思うわよ」


 ずんずんと進むプラムを追っていると、聖技はあることに気付いた。外へではない。建物の奥に向かっているんじゃないか、と。


「……プラムちゃん、もしかして道を間違えたりしてない?」


「? いえ、こっちで合ってるわよ。ほら、あそこの突き当たり、三つ並びの公衆電話が見えるでしょ? あそこが目的地」


 はて、と聖技は首を傾げた。さきほど、プラムが携帯電話を使うところを見ている。なのにどうして公衆電話に用があるのだろうか。


 二人は廊下の一番奥まで進んだ。するとプラムは一面グレーの、公衆電話のスリットに入れる向きを表す赤い矢印だけが印刷されたテレフォンカードを取り出す。


「このカードを入れてー、決まったコードを打ち込んでー」


 0、2、1、4。


 入力した番号は短い。天気予報とか時報とか、それらに類するサービスだろうか。でも0214ってなんだっけ。


 直後、突き当たりだったはずの壁が、左右に突然開いた。


「……………………は?」


 プラムは一切の迷いなくそこに飛び込んで、


「ほら、急ぎなさい。この扉、すぐにしまっちゃうわよ」


 そう言われて、慌てて後を追いかける。聖技が通り過ぎた直後にあやうく扉が閉まって、振り返ると、


「……エレベーター?」


 そうとしか思えない、階を入力する用のボタンがいくつも付いた長パネルが右側にある。


「それ、ダミーだから。触らないようにね」


 プラムの行動は迅速だった。迷いなく小さな鍵で操作盤を開く。さっき公衆電話に入れたのとは別の磁気カードを取り出してカードリーダーに読み込ませる。さらに操作盤の数字のボタンをいくつも押していく。今度は数が多い。聖技は途中で覚えるのをあきらめた。


 そして、エレベーターが下がり始めた。


「…………」


「…………」


 無言の時間が、しばし流れた。いったいどこまで降りるのだろう。階数表示板も無いせいで、今どれくらい降りているのかも分からない。


 そして、ゆっくりとエレベーターは止まった。外に出ると、そこはホールになっていた。同じような扉が大量に並んでいる。扉の上、聖技が見える範囲では、『教員棟』『図書館』『病院』『初等部教室棟』といったプレートが取り付けられていた。


 ホールに繋がっているのは、通路が一本だけだ。プラムは迷いなくそこを歩き始め、さっぱり意味の分からない聖技は「ま、待ってよプラムちゃん!?」とその後を急いで追いかけた。


 通路は、すぐに終点の扉へと到着した。プラムは扉に手を掛けながら振り返る。そして薄く笑いながら、こう言った。



「ようこそ、セイギ。花山院学園―――”アガルタ”へ」


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